すべては幻想である──ある神経症者の自意識から|唯幻論始末記

心理学
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この記事で取りあげている本

 

この記事に書いてあること
  • ものぐさな神経症者である岸田秀によって書かれた『ものぐさ精神分析』という波紋。
  • 唯幻論は人間にとって〝すべては幻想である〟と主張する。
  • 発表から42年経つ唯幻論への批判に終止符を打つために『唯幻論始末記』は書かれた。
  • 母親との関係から性文化を説明したのが性的唯幻論。
  • 母親との関係から文明論を展開したのが史的唯幻論。
  • 神経症者の自意識は病んだ人生か、苦しい現実か、となる。
  • 苦しい現実を選んだ岸田秀が、自身の自意識をどのように発展させてきたのかをまとめたものが『唯幻論始末記』である。
  • 岸田秀の業績は自分自身を精神分析し、その結果を体系化したことにある。

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『唯幻論始末記』はどんな本か

 1977年、青土社から一冊の本が出版されました。『ものぐさ精神分析』という本です。
 文芸雑誌『ユリイカ』の編集長である三浦雅士が同雑誌に著者へと連載を依頼したことから連載がはじまり、単行本として刊行されるや、当時気鋭の批評家であった柄谷行人の注目もありベストセラーとなりました。また同書には幻想文学者の澁澤龍彦が以下の帯文を書いてもいます。

快刀乱麻を断つごとく 澁澤龍彦

ユダヤ人の脳味噌から生れた精神分析学なるものを自家薬籠中のものにして、快刀乱麻を断つごとく、この湿っぽい日本の現実や、私たちの卑小な自意識のドラマの構造を、白日のもとにあばき出してくれる。心理学の先生で、こんな面白い文章を書くひとはいない。

 澁澤の影響力ひとつ取ってもかなりの広告効果が見込まれたでしょうから、その後に『ものぐさ精神分析』から影響を受けたところ大であると称する者たちが出てきたことも納得がいきます。
 筆者個人の狭い知識だけでも、『ものぐさ精神分析』を抱えて過ごした読書期間を持つ著名人に伊丹十三や小谷野敦などの名前が浮かびます。試しに同書のWikipediaのページを参照しても、『ものぐさ精神分析』の影響を受けた著名人の名には次の人物が並んでいます。橋本治、内田春菊、柴田元幸、内田樹、来生たかお――などなど。

 さて、その著者がまた特徴的なのです。

 彼の名前は岸田秀と言います。自称、神経症・人格障害者です。
 1933年生まれの香川県出身で、上京して早稲田大学文学部心理学科を1956年に卒業し、1959年には同大学院を卒業。その後1964年にストラスブール大学院に入学、二年半の後に博士課程修了。ところが本人は卒業したつもりでいたものの、同大学院では博士号の取得を確認してはいないとのこと。1972年に和光大学助教授の職を得て、1976年に同大学の正教授となり、2004年の定年退官まで勤めあげました。

 岸田秀の経歴を見てみると「卒業したつもりだったけど、じつは博士号を得ていなかった」とあって、「ん?」となります。
 ひとことで言うと、岸田秀は〝ものぐさ〟なのです。面倒くさがり、というやつですね。
 ベストセラーになった『ものぐさ精神分析』のタイトルにもあるように、岸田自身が自らを「ものぐさ」だと称しているのです。
 岸田自身の自己認識を並べてみると、「神経症」で「人格障害」で「ものぐさ」だということになります。まとめれば、彼は「ものぐさ神経症者」なのですね。

 岸田秀が『ものぐさ精神分析』で主張したことは至極単純な言葉です。いわく、すべては幻想である。人間の意識や歴史の事件などのすべては物と物の関係によってできているという立場を「唯物論」と言いますが、岸田の場合は物ではなく、すべては幻想であると考えるので、「唯幻論」と称されています。

 唯幻論は発表の後に多くの批判にさらされました。あるいは、まともな理屈ではないと見なされ、正当筋の学者や学会などからは無視されたりなど。

 唯幻論はトンデモ説ではないかと疑うひとや、その考え方が癪に障るというひとが実在したことはたしかです。実際に岸田秀は自身が評論家の米原万里から、面と向かって「あなた、本当に自分ではそう思って、あのようなことを書いているのか」と問いただされたこともあるとのこと。岸田秀の唯幻論は、そうした反応を呼ぶ思想なのです。

 『ものぐさ精神分析』の刊行および唯幻論の発表以来、岸田秀は自説の公表をきっかけとした喧噪にさらされてきました。唯幻論の立場は、岸田秀という人間のひとつの人生を象徴するものです。そうした喧噪の果てに、自説とそれにまつわる自らの人生をひとまとめにして本にしたのが、当記事で取りあげる『唯幻論始末記 (わたしはなぜ唯幻論を唱えたのか)』(以降『唯幻論始末記』) となります。

 『唯幻論始末記』にどういった背景があるのか。帯文にある岸田秀の言葉を確認したのち、内容紹介へと移っていくことにしましょう。

わたしは八十有余年、多くのさまざまな人間関係を経験し、そこで発生したいろいろな問題をどう受け止め、それにどう対処しようとしたかということを基本的な参考資料としていろいろ愚考し、いつの間にか、フロイト理論を剽窃した唯幻論という説を唱えるに至り、ごく狭い範囲内においてではあるが、いくらか名を知られるようになった。(略)ここで、わたしがどういうわけで、どういう道筋を通って唯幻論という説を思いついたかを説明し、唯幻論への批判に対してこれまで書いた反批判・反駁をまた改めてまとめて提示することにした。――あとがきより

『唯幻論始末記』の内容紹介

 ここからは、『唯幻論始末記』の目次を並べていき、筆者が特に思うところのあった章に「★」のマークをつけ、その章に関してだけ内容の紹介をすることにします。

★第1章 性的唯幻論と史的唯幻論

 唯幻論は、動物としての人間の本能が壊れていることを基礎に置きます。他の動物は本能によって生きる目的が定まっていて、その手段もまた本能によって定まっています。しかし岸田秀は、人間は目的のほうはいいにしても、その手段のほうが本能によっては決まっていないというのです。だからこそ、人間には言葉や社会などの「文化」が必要で、岸田秀はそれらをひっくるめて「幻想」と見なします。そして、幻想なくしては生きられない人間の理論的説明を「唯幻論」としてまとめたのです。
 唯幻論では、本能が壊れて生きる手段を幻想に頼っている人間観を前提に据えれば、生命の目的である〈増えること〉のための手段にも幻想があるものと考えます。いわば人間の生殖行為およびその価値観にも性に関する文化(幻想)があるというのです。これを「性的唯幻論」と言います。
 他方で、もう一方の生命の目的である〈生きること〉への幻想としては〝歴史〟があります。これは〝神話〟と言っても〝物語〟と言ってもいいでしょう。人間はそのような幻想のなかで事実の軽重を判定し、ひとつの出来事を「歴史的事件」と呼んだりします。そうした判定基準のなかで人間は自身の生き方を決め、〝自分が何者であるか〟を理解するのです。これを「史的唯幻論」と言います。

★第2章 わたしの略歴

 著者である岸田秀がどのような人生を送ってきたのかを振り返り、自身の人格形成に想いを馳せ、いかにして唯幻論を唱えるに至ったのかを語ります。
 この第2章では、おもに母親との関係と、それに由来している(と本人が堅く信じている)という神経症と人格障害についての自己分析がなされています。
 岸田秀が自説の母胎とするフロイト精神分析との出会い、心理学を専攻し、精神分析を教える運びとなった経緯なども語られます。とはいえ岸田が大学や大学院に進学するさいの学究動機は、あくまで自分の症状をどうにかするためにあるのであって、学問として精神分析を勉強するためではなかったとも告白しています。
 岸田は自らの略歴を振り返り、フロイトの言葉である次の文を書きつけます。「人生は精神を病むか、それとも、好ましくない現実を直視するかの二者択一だ」。
 岸田秀の人生、および彼の主張する「唯幻論」が登場したのも、彼が己れの現実を直視し、格闘したことの産物だったのです。

★第3章 偽りの理想的母親像

 岸田秀の理論は、彼の、母親との関係との格闘によって鍛えられました。この点に岸田に対する批判の多くが向けられたと言っても過言ではないでしょう。なにせ岸田の言い分は、部外者からすれば、自分の母親に対する不当な怒りに過ぎないようにも見えるからです。
 むろん、母親との関係の当事者である岸田秀は反論します。
 いわゆる理想的な母親像が無条件に子どもを愛して、子どもの意思を尊重することなのだとすれば、(岸田秀いわく)彼の母親はそうではなかったのです。岸田の母親は、彼に対して自身の目的のための単なる道具として子どもを育成したのです――と、岸田は主張し、これを「偽りの理想的母親像」と呼ぶのでした。
 子は成長するうえで親に対して無力な存在なのであって、生きていくためには完全に依存しなくてはなりません。そうした事情のうえに変な親を持ってしまった子は、変な親に負けるか、変な親を克服するかのいずれかになります。そして、どちらを選ぶにしても、選択の責任は子の側にあります。
 第3章で岸田が告白するのは、人間「岸田秀」が選んだのは、偽りの理想的母親像を押しつけられて苦しむことになった現実を克服することだったのです。

★第4章 強迫観念から生まれた性的唯幻論

 岸田秀にはいくつかの強迫観念がありました。彼はそれらをすべて、母親との関係のなかに原因を見ます。
 岸田の強迫観念は幼少期からあり、それらは総じて、自由で自発的な判断や興味関心に従って何かを楽しんでいたわけではありませんでした。さまざまな強迫観念は、岸田に自分の〝すること・したこと〟を自身の納得のうちに楽しむことを許さなかったのです。岸田は自身の青春時代を、「~をしなければならない」という命令もしくは「~をしてはいけない」という禁止に小突き回されていたのだと回想しています。
 岸田の強迫観念は彼の恋愛関係にも表れました。岸田は、なるべく身勝手でエゴイストな相手に対してひざまずくかのような熱烈な態度を取る一方で、あるとき唐突にその相手を裏切る――これを繰り返すことが岸田の恋愛関係のパターンだったと告白するのです。
 岸田は自身の恋愛関係をおかしいと思い、考えはじめます。この繰り返しはいったい何に由来するのか、と。その疑問の解明には自身の性愛関係が鍵になりました。彼は恋愛関係にある相手と性行為をすることを避ける傾向にあったのです。岸田秀は、愛し合うことは〝清らかな〟関係でなければならない、と信じていたと我が身を振り返ります。
 強迫観念が過去のうまくいかなかった人間関係を反復しているものだと仮定すれば、幼少期から見られた岸田の強迫観念は母親に由来するという見立てが得られます。なぜなら人間関係のはじまりはまず、母親からはじまるからです。
 岸田もまた例外ではなく、恋愛および性愛の関係に入り込んでくるのは母親との関係でした。岸田秀が、自身の母親に対して「偽りの理想的母親像」(第3章)を子どもに押しつけたと考えていることを思い出せば、明らかに「うまくいかなかった人間関係」だとわかります。つまり、人間「岸田秀」の最初の人間関係はうまくいっておらず、それゆえに岸田の精神は反復することを通して、自身のうまくいかなかった人間関係の「やりなおし」をしようとしているのです。
 岸田は考えます。自身の性行為を行うかどうかの鍵となるのが、同じ場所に性愛関係を結ぶことが可能な状況にある相手がいるかどうかによるのではないのだとすれば、これは人間が動物としての本能が壊れているからだ、と。そして自身の強迫観念がそうであるように、人間の性愛観が、自分が持つ人間関係のイメージ(観念)に由来するのなら、それはまさに幻想でしかないのだ、と。そのような解釈から岸田は「性的唯幻論」を導き出すのです。

第5章 現実感覚の不全

★第6章 でっちあげられた「天孫降臨神話」

 戦後。岸田秀は中学生の頃だかに、ある本屋でアメリカ人のジャーナリストが書いた本を開くと日本兵の死体の写真を見ました。すると岸田はショックを受け、突然うつ状態となって家に帰り、寝込んでしまいます。そのときのことを岸田はこう振り返ります。「このことがわたしの人生を決定した。もしこのことがなかったら、わたしはまったく違った人生を送ったかもしれない。
 岸田は以上のエピソードの原因を、70年近く経った今でも「よくわからない」と告白します。しかしそのことが決定的であったことは、彼の関心が歴史に向かったという事実からもわかります。実際、彼の理論は歴史を説明することへと向かうのです。
 あるとき岸田秀は、死んだ日本兵が惹き起こす憂鬱と、母親のことを思うと落ち込む気分とが同じようなものであると気づきます。そして岸田は、自分が、日本兵の惨めな姿に、母親に対する自身の姿を重ねてしまっているからではないかと考えたのです。――しかし岸田は、別に、死んだ日本兵の写真を見たときに母親のことなど考えてはいませんでした。それでは、これは彼のこじつけでしょうか?
 ここで精神分析学が出てきます。精神分析学には「無意識」という考え方があります。意識はわたしたちが普段考えごとをしたり物思いにふけるときに〝これは自分がやっていることだ〟と思っている範囲のことです。それに対して無意識は、自分の意識している範囲の外側で思考したり感想したりする領域のことを指します。
 無意識の観点を岸田の死んだ日本兵の写真を見たエピソードに適用すれば、意識的にはそれは母親との関係とは結び付かなくても、無意識は何らかの共通点があれば二つを結びつけてしまうのです。
 無意識にとっては、ただ類似しているかどうかが重要になるのであって、事柄の軽重は関知しません。ゆえに、国との関係も親との関係も、どちらも同じテーブルのうえに置かれて吟味されることになります。だからこそ、岸田にとって死んだ日本兵の写真と自分の母親との関係とが結びつくことも可能になってくるのです。
 さて、岸田のショックは彼の人生にひとつの課題を植えつけました。自分の母親との関係にも通じているであろう〝日本兵はなぜ死なねばならなかったのか〟を理解するという課題を。この課題のために岸田は日本の歴史を探ることになったのです。
 岸田が日本の歴史を辿っていくなかで、「想定された過去」としての天孫降臨神話が浮かびあがります。第二次世界大戦のときに天皇を頂点に据えた天孫降臨神話は、史実を仮構することで国民に〝戦う理由〟を与えるための、ひとつの物語でしかなかったのです。つまり幻想だった、というわけです。そのような史実の幻想性を喝破する理論こそ、彼の「史的唯幻論」なのでした。

第7章 善意の加害行為

★第8章 消えた我が家

 岸田が育った家は、もうない。これは岸田の〝ものぐさ〟が招いたことです。彼は自身がものぐさであることによって、故郷の家をほったらかしにして滅亡させてしまったのでした。それは意識的にも無意識にとっても岸田自身による「抹消」に他なりません。
 岸田はしかし、今はなき故郷に母親の影を見ます。彼の自由を抑圧し、彼の人権を蔑ろにしたという、悪質な心理的虐待犯のことを。
 自身の生涯を振り返り、本能が壊れてしまった人間の背負う宿命において、〝自分の人生を自分で決めたいと思うこと〟は、はたして当然のことなのだろうか――そのようにつぶやきます。むろんのこと、それも幻想のひとつでしかないのでしょうが。
 「人生は精神を病むか、それとも、好ましくない現実を直視するかの二者択一だ」――と、岸田に教えたフロイトとの出会いもまた、ひとつの、けれども切実な幻想を、岸田自身に刷り込んでしまったのかもしれません。

『唯幻論始末記』のまとめ

神経症者の現実

 精神分析学から言えば、ひとは誰もが神経症です。もしも神経症じゃなかったら、その人物は精神病ということになり、精神の病いに罹っていることになります。

 では、「神経症である」ことはどういった状態を言うのでしょうか。

 広い意味での神経症は、〝ルールを守ることができる〟状態のことです。言い換えれば、他人の目を気にすることができる状態を言います。

 赤信号は止まれ。学校には遅刻してはいけない。知っているひとに会ったら挨拶をする。

 そのようなルールを守れるひとは、誰もが神経症と呼ばれる資格があります。社会生活を営むことはある程度、神経症であることを引き受けることなのです。

 しかし守るべきルールによって苦しむようであれば、それは病的な神経症だとされるでしょう。

 問題はその神経症が病的かどうかにあるのです。

 

神経症者の幻想

 『唯幻論始末記』を記した岸田秀もまた神経症です。

 神経症者の苦しみを、自分を動かすものが「自分自身の自由な意思によるもの」ではなく、「他人から押し着せられたルールである」という奴隷状態にあるとすれば、それはまさしく岸田の症状の説明になります。

 岸田を束縛するルールは、母親によって植えつけられた強迫観念です。強拍観念に支配された現実は、岸田にとっては自分の人生の主導権を取り上げられている状態だったのです。それが岸田秀の神経症の原因でした。

 岸田は自分にとって好ましくない現実をどうにか直視し、フロイトの精神分析学の助けもあって、自身を束縛するルールを〝幻想である〟と喝破することに成功しました。

 岸田秀の唯幻論は、ひとりの神経症者が自身の神経症と格闘した足跡なのです。

 

『唯幻論始末記』という終止符

 岸田は『唯幻論始末記』を発表することによって自らの理論的な歩みに終止符を打つことを宣言します。あたかも、岸田自身の人生が唯幻論そのものであったかのように。

 かつて岸田の処女作である『ものぐさ精神分析』の帯に、澁澤龍彦は「自意識のドラマの構造を、白日のもとにあばき出してくれる」と書きました。それから42年が経ち、唯幻論者岸田秀は『唯幻論始末記』の帯に自らこう記します。「わたしにとって、これが人生最後の本になるであろう。」――と。

 澁澤と岸田の帯文とのあいだになんらかのつながりを邪推すれば、『ものぐさ精神分析』から『唯幻論始末記』までの42年間を、〝岸田秀という神経症者の自意識の成長物語〟だとでも呼べるように思われます。

 そう、自意識こそ神経症者の出発点であると同時に、自分自身の越え難い限界でもあるのですから。

神経症者の精神現象学

 哲学者であるヘーゲルの著作に『精神現象学』があります。ざっくり言うと、それは人類の精神が(神経症的な)社会経験のなかで、安定した状態を作り、ときには新たな経験にさらされて不安定なものとなりながらも、安定を得ようと格闘することで成長してきた〝発展する精神〟の構造について考察した哲学書です。つまり、人間の歴史的な精神の現れ方(現象)を問う学が「精神現象学」なのです。
(むろん『精神現象学』が扱うのは〝人類〟の精神なわけですから、社会経験という個人が経験する他人との関係や人生のなかで段階的に経験するものではなく、人類が歴史的に経験してきたことを指します。)

 ヘーゲルが精神の構造を考えることで人類史の発展のドラマを描いたように、岸田もまた人間における精神と歴史との対応、つまり〝ドラマの構造〟を描きます。その意味で、彼の唯幻論もまた「精神現象学」の名に値するものだと言えましょう。神経症者が自身の自由を求めた歴史は、そのまま岸田自身の理論の展開と重ねられるのです。ゆえに岸田の精神現象学は、神経症者としての精神であることを強調したかたちでの、〝自意識の現象学〟なのです。

 

 病んだ人生か、不安な現実か

 ひとりの人間である岸田という個人から出発し、本能の壊れた人間という限界に辿り着く――これが唯幻論です。すべては幻想であると気づくことによって、岸田は、己れの自意識を束縛するルールを「あるひとつの幻想」へと還元しました。

 神経症者が己れの自意識に絡まるルールを、フロイト精神分析学を用いてひとつひとつほどいていく。それもまたひとつの精神の発展の歴史だと言えましょう。もしも自意識の発展を諦めてしまったなら、フロイトが示唆するように、精神を病むことになったかもしれません。とはいえ発展しようと望むことさえ、好ましくない現実と格闘をすることになります。それは決して安らかなものではありません。むしろ不安で苦しいものです。なにせ自意識が己れ自身を、生きたまま解剖し、分析し、解釈するのですから。しかし、岸田が選んだのは後者の道でした。

精神分析学を使用する

 精神分析学は臨床の場面で患者を治療するには不向きだとされています。ある精神科医は患者にいくら精神分析をしても 、よくなるどころかむしろ悪化するとさえ語られています。大元であるフロイトでさえ、彼の精神分析の技法が自身の臨床場面でまともにうまくいったケースは多くありません(むしろ「ほとんどない」と言っていいでしょう)。しかしフロイト自身は精神分析することの恩恵を、それこそ精神の健康面において体感していたのでした。(彼自身の精神分析理論の体系化が仕上がっていくことは、まさにフロイト自身が享受していた恩恵でした。)

 そう、精神分析は本質的に相手に対して行うものではないのです。その点で岸田がフロイトの使った道具(用語や思考法)を使用して自分自身に対して精神分析を行ったのは正しかったのです。

 以上を踏まえて、岸田の業績は次のように言い表すことができます。

 岸田秀は精神分析学を、正当にも、自身に〝使用すること〟によってその存在価値を体現した理論家であり実践家なのである――と。

_了

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