映画『天気の子』3つのキーワードから深掘り考察【微ネタバレ解説】

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(C)2019「天気の子」製作委員会
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こんにちは、ザムザです。

先日、話題の映画『天気の子』(2019)を観てきました。

映画『君の名は。』(2016)を制作した新海誠監督の最新作です。

前作『君の名は。』の興行収入は、宮崎駿監督によるジブリ映画『千と千尋の神隠し』(2001)の次点に並ぶ歴代2位の大ヒットとなりました。そのヒットの波が国外にまで及んだことも記憶に新しいでしょう。

前作のヒットの後に制作されたのが『天気の子』。――となると、新海誠監督の最新作への関心も世界的なものになっていると言っても過言ではありません。

 この記事では、映画の中のキーワードから3つ選びだし、それらを手掛かりにして、少々小賢しい『天気の子』の楽しみ方をご紹介します。

※当記事には映画本編に関する多少のネタバレ要素が含まれています。

 

この記事で取りあげている画
新海誠『天気の子』,コミックス・ウェーブ・フィルム,2019

(C)2019「天気の子」製作委員会

 
この記事に書いてあること
  • 『天気の子』は、サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』のように大人への不信感を抱いた主人公が、上から目線な大人の社会全体と対立する物語である。
  • 『天気の子』には空と心がつながる「天気の巫女」が登場し、雨空を晴れにすることができる。しかしそれは人間の都合から天候を「狂っている」とみなして治療することでもある。
  • 天気の巫女は「天候そのもの」でもあるため、ボーイ・ミーツ・ガール物語としての『天気の子』は、天気の巫女を救うことで、同時に天候も救う物語でもある。  
  • 『天気の子』は「天気の子」と共に「これまでの世界=晴れときどき雨の天候=アントロポセン」を乗り越える物語として、「ポスト・アントロポセン」の風景を描いている。

 

映画『天気の子』3つのキーワードから深掘り考察【微ネタバレ解説】

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『天気の子』のあらすじ

(C)2019「天気の子」製作委員会

 まずは『天気の子』のあらすじを押さえておきましょう。あらすじは以下、映画紹介ブログ《MIHOシネマ》の記事〈「天気の子」のあらすじ・感想・評判・口コミ(ネタバレなし)〉からの引用になります。

 高校生の森嶋帆高は、離島から家出をして東京にやってきた。生活は困窮し住む場所はなく、1人ぼっちの生活に寂しさを募らせていった。そんな時、小さな編集プロダクションを営むライターの須賀圭介と出会う。森嶋は須賀の元で暮らし、怪しげなオカルト雑誌のライターとして働くことになった。

森嶋は天野陽菜という少女に出会い、交流を深めた。彼女は弟と2人きりで暮らしていた。ごく普通の少女に見えるが、実は彼女には隠された秘密があった。それは「祈る」ことで天気を晴れに変えることができる能力を持っていることだった。天候の調和が狂った雨が降り続く東京では、多くの人が晴れを望んでいた。そのことを知った陽菜は、祈りを捧げ天気を変えた。(https://mihocinema.com/tenkinoko-66601#i-5 )

 以下、上に引用しましたあらすじを踏まえて、以下、『天気の子』で描かれていた内容を吟味していきます。

 

 『天気の子』の3つのキーワード

 ここからは映画『天気の子』が、より突っ込んで楽しむための3つのキーワードをご紹介します。キーワードに関しては、『天気の子』のパンフレットに掲載された新海誠監督のインタビュー内容と、映画を鑑賞したわたし自身の印象とを参考に、以下の3つの言葉を選びました。

  1. キャッチャー・イン・ザ・ライ
  2. 大人たちへの不信感
  3. アントロポセン

 以上の3つのキーワードがどのような形で『天気の子』と絡まるのか。以下に見ていきます。

キーワード【キャッチャー・イン・ザ・ライ】

キャッチャーはライ麦畑を走る子どもたちが崖下に落ちないように見守る

 映画の冒頭、離島から東京へと逃げ出てきた森嶋帆高の荷物の中に一冊の本がありました。本のタイトルは『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(1951)。邦訳にはいくつか種類がありますが、もっともポピュラーなところでは「ライ麦畑でつかまえて」が挙げられます。アメリカの小説家J.D.サリンジャーの最も有名な青春小説です。

 ざっくり言えば、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』は、主人公ホールデン・コールフィールドが大人たちの属する社会に反抗し、うんざりさせられながらも、自分が大人とは呼べない純真なものを愛していることに気づく物語になっています。小説のなかでホールデンは「自分がなりたいもの」として、そうした純真なものたちを見守るライ麦畑のキャッチャーを挙げるのです。

 『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の物語のなかで、ホールデンは自分がなりたいものを次のように語ります。少し長いですが、『天気の子』のテーマと大いに関係がありますので、そのまま引用します。

 

「とにかくね。僕にはね、広いライ麦の畑やなんかがあってさ、そこで小さな子供たちが、みんなでなんかのゲームをしているところが目に見えてくるんだよ。何千っていう子供たちがいるんだ。そしてあたりには誰もいない━━誰もって大人はだよ━━僕のほかにはね。で、僕はあぶない崖の縁に立っているんだ。僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえることなんだ。━━つまり子供たちは走ってるときにどこを通ってるなんて見やしないだろう。そんなときに僕は、どっからか、さっととび出して来て、その子をつかまえてやらなきゃならないんだ。一日じゅう、それだけをやればいいんだな。ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ

(※野崎孝の訳より引用。太字は引用者。)

 

 サリンジャーの小説では、ライ麦畑を子供たちが駆け回っています。まわりなんて見ずに走りまわっている子どもたちは時おり、ライ麦畑から崖下へと落ちそうになる。ライ麦畑のキャッチャーはそんな子どもたちを見守り、もし落っこちそうな時にはその子どもをキャッチするのです。

 

『天気の子』は子どもがキャッチャーになる物語

 『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の主人公ホールデンは社会や大人たちに対して不信の念を持っていました。彼がそうなりたいライ麦畑のキャッチャーもまた大人ですが、しかしそれはホールデンが反抗する大人とは違います。

 ホールデンがなりたいライ麦畑のキャッチャーは、子どもたちを見守り、そして彼らがピンチになれば手を差し伸ばし、キャッチする。そんな存在なのです。

 言い換えれば、ライ麦畑のキャッチャーとは、社会からこぼれ落ちる存在に手を差し伸ばす者のことなのです。

 以上を踏まえれば、『天気の子』の主人公森嶋帆高の場合は、故郷の離島ではなく、東京の新宿こそが自分が走りまわるライ麦畑だと信じたのだと見ることができます。そして知り合いもいない土地で彼は、天野陽菜にキャッチされ、さらには彼女に対しても捕まえ役になる。

 ようするに森嶋帆高と天野陽菜は走りまわる子どもでありながら、他の子どもが落っこちないように見守るキャッチャーでもある。つまり『天気の子』は「東京を走りまわる子どもたちの物語」である同時に、「キャッチャーズ・イン・ザ・トーキョーの物語」なのです。

 

キーワード【大人たちへの不信感】

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森嶋帆高と大人たち

 森嶋帆高は自分が自由に走りまわれるライ麦畑を求めて東京に来ました。しかしそこに溢れかえっていたのは不親切な大人たちでした。ネットで質問してもまともな回答が来ず、年齢を問わないと聞いて客引きの仕事を求めて行った風俗店でも「仕事を舐めてんのか‼︎」と追い払われる始末。

 そんななか、三日連続ポタージュスープで過ごしていてた24時間営業のマクドナルドで、森嶋帆高はそこでアルバイトをしていた天野陽菜からビッグマックを恵んでもらいます。帆高は「僕の16年の人生で一番美味しい夕食だった」と感極まるのでした。

 それから森嶋帆高は離島から東京までの船で知り合った須賀圭介を頼り、怪しいオカルト雑誌のライターの仕事をはじめます。そんな日々のなか、ある時、風俗店で働かされそうになっている天野陽菜と再会し、彼女を助けることになります。

 その後、オカルトライターとして「晴れ女」の噂を追っていた帆高は、陽菜が天気を晴れさせる力を持っていることを知り、彼女に仕事を持ちかけ、晴れ女の仕事をはじめるのでした。

 

「上から目線な大人の事情」と「子どもであることの弱さ」

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 森嶋帆高と天野陽菜(そして陽菜の弟の凪)とではじめた晴れ女の仕事。しかし大人の社会は彼らを野放しにはしてくれませんでした。と言うのも、帆高には親元から捜索願いが出されていて警察に追われ、陽菜には両親がいないために行政から保護の対象として目をつけられていたからです。

 以上の『天気の子』での森嶋帆高と天野陽菜の事情は、「大人たちへの不信感」として理解できます。そこにあるのは、彼ら子どもたちを大人の社会の都合に付き従わせようとする「上から目線な大人の事情」でもありました。

 たとえば帆高が頼ろうとしたネットの書き込みにしても風俗店にしても、あるいは陽菜が必死に働き口を探して守ろうとしていた弟との暮らしに福祉行政によるお節介なども。そのいずれもが社会における「子どもであることの弱さ」を前提にした目線の高さがあるのです。

 

『天気の子』は「目線の高さ」にこだわる

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 帆高との晴れ女の仕事のなかで、陽菜は「意味」を感じることができます。この「意味」は上から目線の社会から与えられたものではありません。そうではなく、「目線の高さを合わせた関係」のなかで生じたものでした。しかし大人の社会は、そのような子どもが自前で得た「意味」を認めないのです。

 以上のように、『天気の子』には「大人たちへの不信感」を思わせる描写が多くあります。その点から、上から目線の対応をしてくる大人たちと共に下から大人たちの顔色をうかがう子どもたちの姿を認めることができるのです。このような社会の上下関係に注目すると、『天気の子』が「目線の高さ」にこだわっていることがわかります。

 たとえば天野陽菜は「早く大人になりたい」と漏らすように、やたらと「長幼の序」にこだわっています。それに対して帆高の場合は陽菜ほど長幼の序(この場合は「大人の社会の事情」のこと)にこだわっていません。これはどちらも目線の高さに関係します。

 つまり、天野陽菜は大人たちへの不信感から早く大人になろうとし、森嶋帆高はその不信感から大人になることを拒否するのです。だからこそ劇中、帆高はピストル(拳銃)を撃つことができ、陽菜は帆高が発砲したことに対して「きもちわるい」と言って不快感を表したのでした。

 

コラム:晴れ女の仕事の報酬が定額でなかったことは上から目線の関係の否定?

 森嶋帆高と天野陽菜が晴れ女の仕事をはじめたときに目を引くのは、代価が一律ではないことです。最初こそ3000円くらいに設定しますが、実質的には顧客の言い値によって代金を受け取っています。

 『天気の子』のテーマを「目線の高さ」にあると設定すれば、晴れ女の商売の仕方は「上から目線であることの拒否」だと見ることができます。所定の価格を設定する、もしくは需要の相場に応じて価格を釣り上げることもできたにも拘らず、そうしないでいること。むしろ重視するのは目線の高さの合った関係だった。━━というふうに。

 ですから場合によって高い報酬を得ることもあれば、子どものおこづかいほどの額になることもある。そのようなやり取りのなかでは、大人の社会がそうであるような「上から目線の関係」がないのです。

キーワード【アントロポセン】

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地質学用語の「アントロポセン」

 『天気の子』の最後の最後で、森嶋帆高が読む雑誌の記事にちらっと「アントロポセン」の文字が映ります。

 アントロポセン(Anthropocene)とは日本語で「人新世」と訳されている地質学用語です。アントロポセンは人間の活動が惑星規模の影響力を持ち地球環境にまで及んでいる事実を、地質年代の観点から指摘した概念なのです。

 なぜアントロポセンが『天気の子』の中で出てきたのか。━━もちろん作品(のテーマ)に関係があるからです。

 以下では、『天気の子』を「アントロポセン」のキーワードから見てみることにします。

 

天候は巫女の祈りで変えられる

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 『天気の子』の作中、空と繋がった晴れ女は「天気の巫女」となり、雨を止ませてきた伝承が紹介されます。800年前の伝承によれば、天気の巫女は力を使い果たすと消えてしまうという話も登場しました。天気の巫女は人柱として自分以外の多くの人々のために天気を晴れさせてきたというわけです。

 天気の巫女の存在はアントロポセン的です。というのも、天気の側からすれば、そのままであればずっと雨天であったところを、人間である「天気の巫女」の活動のせいで晴天にさせられているわけです。なので「究極の晴れ女」である天気の巫女の影響が地球環境にばっちり影響を与えてしまっていることになります。

 天候にとっては雨空を青空に変えられことは、あくまで人間の都合でしかないのです。この意味で『天気の子』では、天候は人に「変えられるもの」となっているのです。ただし「天気の巫女」の祈りを介して、ですが。

 

『天気の子』は人間が天候を救う物語である

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 ふつう、天候は人間の都合で変えることはできません。しかし『天気の子』では天気の巫女の祈りによってそれが可能になります。その天気の巫女に選ばれたのが天野陽菜だったのでした。

 『天気の子』は森嶋帆高と天野陽菜のボーイ・ミーツ・ガールの物語です。ネタバレにしても大雑把に過ぎる説明をすれば、多くの人たちのために天気の巫女としてやまない雨を晴れさせるべく人柱になった陽菜を帆高が救う物語です。

 言い忘れていましたが、天気の巫女の心は空とつながっています。ですので、巫女が悲しい気持ちになれば天気もそれに相応しいもの━━雨、雷、そして雪━━になるのです。言い換えれば、天気の巫女は「天候の代理」と言っていいでしょう。 

 人間である天気の巫女が天候の代理であるとすれば、天気の巫女を救うことは天候を救うことにもなります。先ほど『天気の子』が「陽菜が帆高を救う物語」と言いましたが、それはまた、「人間が天気を救う物語」であることも暗示しているのです。

 

人間は「晴れときどき雨の世界」を選び取ってきた

 再び「アントロポセン」のキーワードに立ち返ってみましょう。

 『天気の子』の世界では長い人類史の中で度々天候の狂いがありました。しかしその度に人間の中に空と心を通わせるものが現れます。それが「天気の巫女」でした。天気の巫女は天気を治療する役割を持っていて、天候(の気分=天気)が狂うたびにみずからを人柱とする形で天気を治療してきたのです。

 ━━以上のことは、人間が天候の狂いをそのつど人間という生物種の都合で治療してきたことを表しています。まさにアントロポセン。別の言い方をすれば、狂いたくても狂わせてもらえなかった天候の姿が、アントロポセンの概念によって浮かんでくるのです。

 狂いたかった天候。そのことは『天気の子』のなかで定期的に「変わろうとしていた世界」があったことを表しています。そのたびに天気の巫女を擁した人間は「これまでの世界」と「変わりゆく世界」との選択肢を前に、これまでと同じ自分たちに馴染みの世界━━すなわち「晴れときどき雨の世界」を選んできたのです。

 

3つのキーワードまとめ

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 ここまで見てきた『天気の子』をより楽しむための3つのキーワードは次のような形にまとめることができます。

 

  • キャッチャー・イン・ザ・ライ
    • 本来のライ麦畑のキャッチャーは周りも確かめずに走りまわる子どもたちを見守る大人のことだが、『天気の子』では子ども同士がお互いをキャッチする「東京のキャッチャー」なのである。
  • 大人たちへの不信感
    • 『天気の子』では社会を生きるうえでの「子どもであることの弱さ」とそれを管理する「上から目線な大人たち」への不信感が描かれていて、上から目線ではない「目線の高さ」の対等な関係の可能性を模索している。
  • アントロポセン
    • 天気の巫女の力によって「晴れときどき雨の世界」を選んできた人間が生きる地球環境は、否応無しに人間の影響下にある。『天気の子』では天気の巫女を人柱の役目から救うことによって、天気を救う物語になっている。

 

『天気の子』に関するまとめ

C)2019「天気の子」製作委員会

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 ここでは、これまで確認してきた3つのキーワードを通して『天気の子』を解読してみます。

変わりゆく世界の肯定=ポスト・アントロポセン

 『天気の子』は、上から目線な大人の社会に対して不信感を抱く子どもたちの物語です。

 

 森嶋帆高と天野陽菜は互いをライ麦畑である東京で見出した子どもであり、キャッチャーでした。他方で、空と心がつながった陽菜は「天気の巫女」の力を持ち、祈ることによって、雨ばかりの世界のなかでも空に晴れ間をもたらすことができるのでした。

 「天気の巫女」は天候の狂いを治療する役目を持ち、みんなのために犠牲になることで、これまでの世界と同様の「晴れときどき雨の世界」にすることができます。

 天候が狂い、天気の巫女が人柱になり、天気を治療する。━━これが『天気の子』における「これまでの世界」でした。

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 しかし帆高は「天気なんて、狂ったままでいいんだ!」と叫び、みんなのために犠牲になろうとした陽菜を天気の巫女の使命から救います。

 

 空と心がつながっている陽菜を救うことは、天気の巫女の力によって治療対象とされていた天候を人間の都合から解放することでもあります。なぜなら、天候が狂っているかどうかは人間の判断でしかないのですから。

 言い換えれば、これまでの晴れときどき雨の世界を天候に対して祈る(要求する)ことは、天候(ひいては自然界)に対する人間の上から目線の姿勢があったのです。このことを『天気の子』の劇中で登場した言葉で表せば「アントロポセン」ということになります。

 だからこそ、天気の巫女である陽菜を救った帆高の選択は、天候を抑圧する「このままの世界=アントロポセン」を破壊し、雨ばかりの世界を受け入れることになるのです。これは「変わりゆく世界」の肯定であり、人間が天候と目線の高さを合わせた「ポスト・アントロポセン」の風景でもあるのです。

 

Weathering With You 〜「君と越え。」?

 映画のラストに、いかなる「ポスト・アントロポセン」な風景が展開されているのかはご自身の目で確かめてみてください。ひとつ言えることは、明らかに映画のラストには東京も、日本も、世界も変化しているということです。

 『天気の子』には英題がつけられています。Weathering With You』。

 プログラムに収録されている新海誠監督のインタビューでの発言によれば、英題の“Weather”の単語には「何かを乗り越える」という意味があるとのこと。そしてその英語のタイトルにも、深い意味が込められていると語っています。

  “Weathering With You”。日本語に直せば「君と越える」。前作のタイトルになぞらえれば「君と越え。」とでもなるでしょうか(さすがに変ですね)。

 

『天気の子』と『Weathering With You』

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 いったい何が乗り越えられているのか。もしくは君とは誰か、いや何なのか。━━それらは『天気の子』を楽しむ際のひとつのポイントとして覚えておくといいでしょう。

 当記事で用意する回答としては、何が乗り越えられているのかは「上から目線な大人たち」「これまでの世界」そして「アントロポセン」などを挙げることができます。そして君は誰であり何なのかには「人間の子ども」であり「天候の代理」でもある「天気の子」なのだと答えておきます。

 記事全体を踏まえて言えば、映画『天気の子』とは、社会全体に対立する主人公が天気の子と共に、これまでの人間が上から目線に自然を支配する世界を乗り越える作品なのです。

 

全体まとめ

 当記事では映画『天気の子』を3つのキーワードから解説および考察しました。「キャッチャー・イン・ザ・ライ」「大人たちへの不信感」「アントロポセン」という3つのキーワードを辿ることによって、タイトルの「天気の子」とその英題である「Weathering With You」とのつながりを考えたのです。間違いなく『天気の子』は現代、そしてこれからの世界の姿を映した傑作です。まだ見ていない人もぜひ見てみてください。

_了

関連資料
新海誠『天気の子』,KADOKAWA,2019

 

【映画パンフレット】天気の子

 

新海誠監督作品 天気の子 公式ビジュアルガイド

 

J.D.サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』野崎孝訳,白水社,1984

 

J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』村上春樹訳,白水社,2006

 

コメント

  1. 名無し より:

    非常に興味深い考察でした。アントロポロセンが作中で雑誌に映っていたというのは気付きませんでした。ラストシーンということもあり、物語のテーマのまとめとして使われたということなのでしょうね。

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