Have a nice sweet joshi!――ジョシとの距離感:『sweet joshi』

藝術
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この記事で取り上げている本――

須﨑祐次『sweet joshi』,コスミック出版,2011

 

この記事に書いてあること――

  •  『sweet joshi』の求心力は、文化によってジョシ(女子高生)をまなざすことになるわたしたちの、彼女たちへのノスタルジー(思い出)に由来する。
  • ジョシへのエロスは精神的な距離感によってもたらされる。
  • わたしたちのまなざしは〝まなざしてきたもの〟によって構成されている。『sweet joshi』は〝まなざせなかったもの〟を提示することによってわたしたちのまなざしを挑発する。
  • 『sweet joshi』はジョシたちからの天真爛漫な挑戦状であり、ラブレターである。

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『sweet joshi』について

 『sweet joshi』写真集です。タイトルにかこつけて言えば、スウィートな女子の姿が収められた写真集なのです。(帯文には「スウィート ジョシ by 須﨑祐次」とあります)

 読者がこの本を手に取るとき、撮影者の名前に惹かれて購入するひともいるでしょうが、当記事ではコンセプトに惹かれて読んだ読者を想定することにします。もっとシンプルな形で言えば〝表紙買い〟をした読者を想定します。

 『sweet joshi』の表紙には、制服姿の女子が紺色のスクールソックスに包まれた脚部をM字に構えた姿が写っています。向こう側に仰向けに寝ている姿勢を脚部のほうから撮影したアングルです。実際のところ、内容写真に写っているのは制服を着ている女子と、体操服を着ている女子、それとスクール水着を着ている女子です。ようするに女子高生のイメージを撮影した写真を集めた作品集なのです。

 この写真には求心力があります。だからこそ表紙を飾ることになったのでしょう。あるイメージが本の表紙を飾るということは、その本のコンセプトやテーマをある程度表現しているということです。

 当記事では表紙に込められた『sweet joshi』の求心力について、ご紹介します。

 

『sweet joshi』の内容紹介

女子高生とノスタルジー

 女子高生がひとつの文化になっています。ジャンルであり、コンテンツであり、マーケットとして。女子高生は女性のライフステージのプロフィールのひとつです。それはまた、彼女たちを〝女子高生としてまなざすわたしたち〟が形成されることでもあります。

 社会のなかには多様なプロフィールを抱えた人物がいます。彼らはときにすれ違い、互いの視界に入ります。彼ら彼女らが互いにすれ違うときに、多くの場合は相手がどういうひとなのかわからないものです。ところが制服を着ていれば、どういった人物なのかを表面的には察することができます。女子高生を女子高生だと気づくときに、学校に指定された制服のイメージによって彼女たちが高校生の若い女子だと気づくように。

 わたしたちが女子高生を女子高生だと気づくのは、制服が意味するものをわかっていなければなりません。10代のある時期に学校に通っていて、そこに通うために着用するコスチュームとしての制服として。それは多くのひとにとっては過去です。過去のある時期に、自分が着用し、もしくはクラスメートが着用していたコスチュームです。

 女子高生をスウィート(甘いもの)と呼ぶときには、わたしたちはどこかノスタルジックな感情を抱いているのではないでしょうか。

 ノスタルジーはひとが心惹かれるときに味わう感情の一種です。

 女子高生がわたしたちにとって求心力を持つのは、彼女たち女子高生のイメージを思い出にしているわたしたちが属する文化に由来するのです。

エロスと距離

 『sweet joshi』の帯に書かれたキャッチコピーに、次の文句があります。

アカるいエロス。予期せぬ驚き満載。

コワいものなんかなーんにもないジョシたち、無敵。だから素敵。

――――無邪気なジョシたちに潜むドキリとする瞬間――――

 ここで言う「エロス」は「エッチなもの」のこと〝だけ〟ではありません。そういう面もあるでしょうが、それはきわめて表面的な評価です。精神的な部分に注目すれば、エロスとは遠くて儚くて愛しいものを求める心のことなのです。

 たとえばわたしたちが『sweet joshi』を眺めるときに感じるノスタルジーには、圧倒的な距離があります。物理的な意味での写真を隔てたこちらとあちら、時間的な意味での世代を超えたこちらとあちら。そして精神的な意味で言えば、女子高生は街なかにいるのにもかかわらず、同時に、彼女たちはわたしたちの思い出と同じものでありながら違ってもいるという点で、遠い――そうした距離が開けているのです。

  わたしたちがジョシ(女子高生)に対してある種のスウィートさを感じるのだとすれば、それは彼女たちと開けた距離――その距離感によって享受することができているのです。

 まなざしへの挑戦状

 わたしたちはイマココにないものに憧れます。届かないものに手を伸ばします。〈今此の場所〉では得られないものを得ようとして、〈何処か別の場所〉を目指して動き出します。「ここにない」という直感と「どこかにある」という予感のあいだを繋ぐのがエロスなのです。

 『sweet joshi』が見せてくれものは、わたしたちと女子高生との関係性です。

 過去の思い出〝と〟現在のわたしたちとの、関係性。――この、〈と〉が重要です。わたしたちが女子高生というイメージを抱えた文化のなかに生きていて、女子高生のイメージ、女子高生へのまなざし、女子高生との関係性を持たざるを得ない文化のなかにいること。どのような〈と〉を抱えることになっているのか。そのような〈と〉の内容こそが、関係の性質という意味での「関係性」なのです。

 本書は、撮影者のまなざしを結晶化した写真というかたちで、わたしたちが〝まなざせなかったもの〟を挑発的に提示してくれます。

 帯のキャッチコピーには、次のような文もあります。

ジョシ、ハジケル。

オトナとコドモの間を奔放に跳ね回る可憐なジョシたちから届いた、天真爛漫な挑戦状――

 ジョシは〝間〟すなわち〈と〉の領域にいます。わたしたちがキャッチコピーに書かれているように『sweet joshi』を「天真爛漫な挑戦状」として読めば、次のような読み方をすることができるのです。

 わたしたちの女子高生に対するまなざしが、変えることのできない過去の出来事のように決まっているのなら、そのまなざしは自分たちが〝まなざしてきたもの〟によって決まっています。『sweet joshi』が挑戦状になりえるのは、そうした〝まなざしてきたもの〟に対して、わたしたちが〝まなざせなかったもの〟を提示することによって、となるのです。

『sweet joshi』のまとめ

 帯のキャッチコピーに書かれている「挑戦状」の下には「ラブレター」というルビが振ってあります。

 本書の読者がこのラブレターから、どのようなジョシを受け取り、自分が〝まなざしてきたもの〟と向き合うことで自身では〝まなざせなかったもの〟を発見することになるのか――それこそが『sweet joshi』を読むことの醍醐味なのです。

 言い換えれば、女子高生の遠さを『sweet joshi』にまなざすことで、読者は女子高生のイメージに求心されてしまう自分自身を再発見できることでしょう。Have a nice sweet joshi!

_了

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