【成功を定義する】なぜ成功するには非常識でなければならないのか?

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成功したい人って多いみたいですね。…と他人事のように言ってはいますが、ザムザ(@dragmagic123 )だってきっと成功とやらをしてみたいのでしょう。──この言い方には成功できない理由が隠れているのです。この記事ではそれが何なのかという点を見ていきます。参考にするのは神田昌典の『非常識な成功法則』と、成冨ミヲリの『絵はすぐに上手くならない』、千葉雅也の『勉強の哲学』の3冊。それらから「なぜ成功するためには非常識にならなければならないのか?」を取りあげます。
この本で取りあげている本
 

【成功を定義する】なぜ成功するには非常識でなければならないのか?

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個人的なものである「成功目標」を取り戻すために

「夢を叶えたい」「事業で成功したい」「人生の成功者になりたい」──そうしたメッセージがとくに目を凝らす必要もないほどに目に入ってくる世の中でいます。さながら、そんな願望が充満している場所こそが「世の中」だとでも言うように。
馬鹿にしているわけではありません。ただ、成功した人たちに対して、成功していない人たちの数が多いことが、興味深いのです。
というのも、人間には千差万別の個性がある。その前提に立ってみれば、人はみな千差万別の成功目標を立てて、それぞれがそれぞれに、自分勝手に成功していてもおかしくないはず。ところが、現実ではみな同じような目標を目掛けた「椅子とりゲーム」によって成功したかどうかを判定している。だから、成功した人に対して成功していない人の数は必然的に少数になるわけです。
ここには「成功したい」という願望が、何者かの陰謀に巻き込まれてしまっているかのような風景さえ空想できはしませんでしょうか? 夢を持てと乗せられて搾取されるという「ドリーム・ハラスメント」なんてものもあると言いますが、 “ドリーム” はその他大勢と十把一絡げに扱われるようなものではなく、もっと個人的なものではなかったでしょうか?
この記事では、個人的なものである「成功目標」を取り戻すための方法を、言語偏重的な考え方を用いて把握していきます。言語に注目するというのは、得てして曖昧なものになりがちな〈成功〉を「定義する」という発想をインストールすることを目掛けることに掛かっています。
以上のことの検討を通して、経営コンサルタント・神田昌典の『非常識な成功法則』が「成功するためにはなぜ非常識でなければいけないのか」という点を納得していきます。

成功したい!──では、どうやって?

ここでは、人が成功したいのに成功できない理由を「成功が定義されていないからだ」として、その成功の定義する方法を見ていき、定義という言語的次元を押さえた上で、成功するためには “非常識にならざるを得ない” という点を追いかけます。

定義が曖昧ならば「成功」という状態が存在しない(成冨ミヲリ)

現在、書店に行けば自己啓発本として「成功者たち」による「成功するための方法」が書かれた本が並んでいます。ところがどっこい、実際に成功した人は決して多くありません。そうした実情があるにつけ、それでも自己啓発本が売り上げを伸ばしているというのは、多くの自己啓発本は “成功するため” に読まれると言うよりも、読んだそのときが “気持ちよくなるため” に読まれていると言っても過言ではないでしょう。
イラストレーターの成冨ミヲリは、以上の実情についてを次のように的確に表現しています。
巷では成功本といわれるような書籍が多く出版されています。しかし、実際にこういう本の内容をそのまま実践して成功する方はほとんどいません。なぜかと言うと、「成功」という定義が非常にあいまいだからです。例えば、お金をたくさん得た人でも自分のことを成功したなんて思わないものです。社長になったからといって成功したわけでもないですよね。ですから「成功した」という状態そのものが存在しないのです。
(『絵はすぐに上手くならない』,p17:太字は引用者)
「成功」という定義が曖昧ならば「成功した」という状態そのものが存在しなくなる。これはまさしくそうでしょう。「頑張れ」と励まされて意味があるのは、具体的な作業や課題がわかっているからこそであるように、「成功しようぜ!」と発破を掛けられても何をするかがわかっていなければ、成功しようがないのです。
だからこそ、成冨は上の文章の後半部に以下のメッセージを書きつけます。
成功にしても絵がうまいにしても、定義をしっかりと作ればそれは到達可能な目標になります。例えば「年収三千万円を超えたら成功とする」と定義を決めれば、成功は達成することができますね。達成したければ、具体的な目標が必要になります。
(『絵はすぐに上手くならない』,p17)
定義をしっかりと決めればそれは到達可能な目標になります。」ここで「定義」とあるのは重要です。文章を構成する言葉の定義が曖昧であればその文章で伝えたいことがぼやけてしまうように、成功することにも定義が必要だと説く。こうした「成功を定義する」視点を押し進めてみましょう。
 

「やりたくないこと」からミッションを見つけ出す(神田昌典)

コンサルティング業で名を馳せている神田昌典の本に『非常識な成功法則』があります。タイトルからもわかるように、成功は常識的なことを取っ払うことで実現させられるのだと語る本でございます。
「非常識な成功法則」のメインパートで語られているところを切り取ると、「儲けることだけに徹して、謙虚であることを嫌悪して傲慢になり、人脈を大切にするといった甘い考えを切り捨てろ」──といった具合になっているわけです。ね? 非常識でしょ?
しかしここでは、モラルに反したメッセージを取りあげたいわけではありません。そうではなく、成冨ミヲリが説くような「成功を定義する」ための具体策を『非常識な成功法則』からうかがってみたいのです。というのも、この本の中で重視されているのも「成功の定義」なのですから。
神田はまず、「やりたいこと」を見つけようとしても「やりたいこと」は見つからないのだと述べた上で、「やりたいことを見つけるなら、やりたくないことを見つけなさい」と話を進めます。
「やりたくないこと」を明確化することによって、本当にやりたいことが見つかる。それは、あなたの潜在的に思っている願望を開いてくれる。世間体、家族からの期待、友人・知人の常識。そんな手垢のついた「やりたいこと」ではなく、あなたの心が求める、本当の「やりたいこと」に光を当てる。
(『非常識な成功法則』,p47)
「やりたいこと」はあくまでも “あなたの” やりたいことであるという点を押さえ、 “誰かがそう言っていた” とか “みんなやっているから” などと言った押し着せの願望を脇によけさせます。そうすることで自分の個性を発見するのです。「やりたくないこと」の明確化を図り、結果として、「あなた自身の願望」に則った「やりたいこと」が見つかる、というわけですね。
ちなみに成冨ミヲリは先の『絵はすぐに上手くならない』での中で個性を「自分ではコントロールできないもの」だと述べています。「やりたいこと」は人の影響を受けますが、「やりたくないこと」は誰になんと言われようと「やりたくない」わけです。そこに個性を認めるというのも納得でしょう
そして神田は「やりたくないこと」を取り除いた後に残った「やりたいこと」を、自分が生きている目的に関わる「ミッション(使命感)」なのだと述べます。──このミッションが自覚されるときに、成功も定義されるのです。
 

言語偏重の人になって言葉遊び的な態度をとること(千葉雅也)

自分のミッション(使命感)を自覚するときに、自分が達成すべき成功目標も定義されることになる。──神田昌典はこのミッションについて、以下のように解説します。
ミッションは、別になくても困らない。こんなものは、考えたこともない人間がほとんどだからね。
でも、これがあるのと、ないのとでは大違い。
どう違うのかと言えば、とにかく自分のやりたいことの実現のスピードが速くなる。その理由は、[中略]自分の毎日の活動に、目的意識を持つことにより、脳のアンテナが非常に敏感になり、必要な情報や資源を効率的にキャッチできるようになるからだ。それとその結果、必要なことが、必要なタイミングで起こってくる。
(『非常識な成功法則』,p57-58)
目的意識があるとないとでは雲泥の差。これはよく聞く話です。神田が推奨するミッションの自覚について語る上で、『非常識な成功法則』が興味深いのは、このミッションをインプリンティング(刷り込み)するために、「紙に書くこと」が挙げられている点です。
言い換えると、「やりたくないこと」を差し引いて残った「やりたいこと」を通して発見した、目的意識=ミッションを活用するために、“言語的な段階を踏まえている” のです。
ここで、千葉雅也の『勉強の哲学』に目を向けます。この本は一言でいうと勉強について勉強するための本です。 “勉強という行為” の内実が、メタな視点に立って検討されているのですな。そして、そこで千葉が説いているのは「言語への意識を高めた言語偏重の人になること」でした。
『勉強の哲学』がベースにしているのは西洋哲学の人間観である「人間らしさの本質は言語にある」という考え方です。「人間は「言語的なヴァーチャル・リアリティ(VR)」を生きている」とも言い換えられているそのアイデアは、「人間の生きる現実は言語で構築された環境なのである」というコンセプトへと続きます。
言語は、現実から切り離された可能性の世界を展開できるのです。その力を意識する。
わざとらしく言語に関わる。要するに、言葉遊び的になる。
このことを僕は、「言語偏重」になる、と言い表したい。自分のあり方が、言語それ自体の次元に偏っていて、言語が行為を上回っている人になるということです。それは言い換えれば、言葉遊び的な態度で言語に関わるという意識をつねにもつことなのです。
(『勉強の哲学 増補版』,p55)
以上が「言語偏重の人になる」ということです。ここで言われている言語への注目は、『非常識な成功法則』で自分のミッションを自覚するための手続きとして「紙に書くこと」を挙げていたのと通じるものがあります。というのも、神田はまた「紙に書いたミッションを読みあげること」を推奨しているのですが、これは本人が真剣であろうとするほどに、千葉が語る「言葉遊び的な態度」となってしまうのですから。
 

常識をシフトさせることは「非常識な態度」である(三者総括)

『絵はすぐに上手くならない』では成功本を読んでも成功できない理由として、その成功が定義されていないからなのだと語られました。『非常識な成功法則』では成功を定義するための方法として、「やりたくないこと」を明確にすることを挙げ、それを差し引いて浮かび上がった「やりたいこと」を、「ミッション(使命感)」として自覚する、というやり方が紹介されのでした。
『勉強の哲学』では、人間が生きる現実が、言語ごとに・言語によって異なる環境が起動していることを押さえた上で、その言語そのものに意識を向ける「言語偏重の人」になることが、自分を変えることに繋がると語ります。これはまた、言葉遊び的な態度を身につけるということでもあったわけです。
言語偏重の人という点で言えば、そもそも「成功を定義する」こと自体が言語的ですね。やりたいことを見つけるのにも「〇〇がやりたい」という言語の次元が入ってくるわけですから。
また、人間が生きる現実が言語によって起動するヴァーチャル・リアリティであるという観点に立てば、成功したい人というのは「すでに定義された存在」でもあることに気づけます。『非常識な成功法則』のタイトルに引っ掛ければ、人間を定義する言語の名前こそ「常識」と言えるでしょう。成功したいという願望は「現状を変えたい」のと同じですので、別の言語に移動する必要があります。つまり今の常識から別の常識にシフトしなければならないのですね。
人によって常識が違うというのはよくあることです。そして他人が自分と違った常識を生きているのを見ると、人は「非常識だ!」と言いたくなる。これも “よくあること” ではないでしょうか? 
『非常識な成功法則』がミッションを自覚するという言語の次元を挙げたのは、今の常識から脱け出すための手続きでした。あるいは、定義された現状を別様に定義するために、成功目標という言語を介して非常識になっていくことだ、と言ってもいいでしょう。
『勉強の哲学』で言うところの「言語から言語へ」というアイデアは、『非常識な成功法則』では「常識から常識へ」として示されています。そして、常識から常識へとシフトしていくプロセスは、まさに「非常識な態度」となってしまうわけです。
以上の話を含めて『絵はすぐに上手くならない』で語られた次のくだりを再び見てみましょう。
成功にしても絵がうまいにしても、定義をしっかりと作ればそれは到達可能な目標になります。例えば「年収三千万円を超えたら成功とする」と定義を決めれば、成功は達成することができますね。達成したければ、具体的な目標が必要になります。
(『絵はすぐに上手くならない』,p17)
定義をしっかりと決めればそれは到達可能な目標になります。」──ぜひとも、このメッセージに潜む、脱常識・脱言語的なニュアンスを噛み締められるようになりたいものです。
 

まとめ

成功したい人というのは多いですが、じっさいに成功する人は少ない…という疑問から出発して、「成功を定義する」という話を取りあげました。わたしたちは〈成功というもの〉に憧れていますが、得てして、〈成功していない自分〉が言語的に定義されたものだとは気付きません。自分を定義するものの別名は「常識」とも言うでしょう。この言語的次元にコミットする姿は、さながら「非常識」にもなる。これを自覚するだけでも、「成功に憧れる」姿勢は違ってくるのではないでしょうか。
_了

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