においの問題を考察する|パラサイト 半地下の家族【ネタバレ解説】

画の紹介
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2月某日、ザムザ(@dragmagic123 )は映画『パラサイト 半地下の家族』を見ました。

鑑賞後の人生を揺るがしかねない大傑作です。

そして、見ればその意味を知りたくなる幾つもの象徴的な謎が見つかります。

この記事ではその謎のうち、特に「におい」をキーワードに設定して作品を掘り下げていきます。

※この記事には映画本編に関するネタバレがあります。
この記事で取りあげている画
ポン・ジュノ『パラサイト 半地下の家族』,ビターズ・エンド,2019

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この記事に書いてあること
  • 映画『パラサイト 半地下の家族』には幾つかの謎がある。「におい」はこの映画を象徴するキーとなる観点のひとつだ。長男ギウが水石を得て発案した「パラサイト計画」。しかし寄生先のパク家では「半地下のにおい」を嗅がれ、キム家が暮らす階層が計画のネックになる。ここでのにおいは社会の階層性そのものを象徴している。
  • パク家の家長ドンイクは「一線(度)を越すな」と言う。それは「半地下のにおい」を湛える階層と自分たちが生きる階層とをきっちり分断しようとする意思の現れだ。一方で、無計画なキム家の父ギテクは自分がゴキブリのような存在であることを気にしている。ドンイクが雇用関係で以てギテクに身分を弁えさせるとき、ギテクの尊厳は傷つけられる。
  • 『パラサイト 半地下の家族』は貧富や階層などの社会問題を扱う点で『ジョーカー』と関連させられる。「コメディアンである道化師が悪役になる喜劇」を描いた『ジョーカー』に対し、『パラサイト』は「道化師のいないコメディ」「悪役のいない悲劇」を描き、差別の根拠に「におい」の次元を置くことでトラウマ設定的ではない社会風刺的な娯楽映画になっている。

 

においの問題を考察する|パラサイト 半地下の家族【ネタバレ解説】

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『パラサイト 半地下の家族』について

 当記事では映画『パラサイト 半地下の家族』を紹介するのに、「におい」をキーワードに設定します。それに伴って焦点となる人物は主にギテクとなります。また、臭うことの意味に的を絞ることで、映画本編に関する情報はある程度限定したうえでの紹介となります。ご了承ください。

あらすじ

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 まず、『パラサイト 半地下の家族』のあらすじをご紹介します。引用元は映画情報サイト『映画の時間』(https://movie.jorudan.co.jp/)です。

家族全員で失業し、半地下の住宅に住むキム一家。事業に失敗した父ギテク、妻チュンスク、大学受験に失敗した長男ギウ、美大に進学したい長女のギジョンの4人は、なんとか内職で食いつないでいる。そんなある日、ギウは友人の紹介で、高台に住む裕福なパク一家の娘の家庭教師の仕事を得る。さらにギウは、パク一家の末っ子のダソンの家庭教師として、妹のギジョンを兄妹である事を隠して紹介する。こうして次々にパク一家に“パラサイト(寄生)”していくキム一家だが…。https://movie.jorudan.co.jp/cinema/38042/

 以上が、ざっくりとしたあらすじになります。

 

登場人物

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 ここでは映画を紹介する便宜のために主要な登場人物を整理しておきます。

  • キム家=全員失業中、半地下生活を送る下層市民
    • ギテク=事業に失敗した過去を持つ、貧乏気ままなキム一家の父親。(以下「父ギテク」)
    • チュンスク=元ハンマー投げのメダリスト。ギテクの妻。(以下「母チュンスク」)
    • ギウ=大学入試に失敗し続けている受験のプロ。長男。友人のエリート大学生にパク家での家庭教師の仕事をもらう。(以下「長男ギウ」)
    • ギジョン=経済的な理由で美大に行けないものの、相当の世渡りスキルを持つ次女。(以下「次女ギジョン」)
  • ミニョク=ギウの友人。大学に落ちたギウに対し、こちらは合格しているエリート。
  • パク家=丘の上の一軒家に住む富裕層
    • ドンイク=IT企業の社長。パク一家の父親。(以下「家長ドンイク」)
    • ヨンギョ=ヤング&シンプルな社長夫人。(以下「ヨンギョ夫人」)
    • ダヘ=高校2年生の恋に恋するパク家のご令嬢。(以下「令嬢ダヘ」)
    • ダソン=やんちゃだけど敏感なパク家のご子息。(以下「子息ダソン」)
  • ムングァン=パク家が住う家に代々仕える、家に専従するお手伝いさん。
  • グンセ=ムングァンの夫。パク家の地下で暮らす完全地下生活者。

 以上が『パラサイト 半地下の家族』の主要な登場人物になります。

 上の情報を踏まえた上で『パラサイト 半地下の家族』の考察していきます。

 

③におい/超えてはならない一線

 映画『パラサイト 半地下の家族』を見ると幾つかの象徴的視点に気づくことができます。それは物であったり、言葉であったり、それから画面には映らないものであったり。筆者はそうした鍵となる要素を、①水石、②計画、③におい──の3つに分けました。

 ①水石に関してはすでに次の記事を書いています。

 ②計画に関しては次の記事を書いてます。

 ここでは上記の3つのキーワードのうち、③の「におい」について掘り下げます。

階層のにおいが越す一線

 ここでは、映画『パラサイト 半地下の家族』において「におい」が「半地下に暮らす低所得者層」と「丘の上に暮らす高所得者層」とを分断する階層を象徴するものであることを確認します。

においとは何か

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 映画『パラサイト 半地下の家族』を解読するうえで「におい」は重要なキーワードになります。劇中でにおいが表すのは「階層」です。低所得層のにおいと、それを敏感に察知する高所得層の人間。においは体臭がそうであるように、自分が発しているにおいには鈍感です。しかし、他の人からは敏感に感じられることがあり、往々にして、人はにおいによって他人に好感や悪感情を抱くことがあります

 においは画面には映りません。映るとすれば、においを代表象する物質あるいは動作によって間接的に表現されるものです。こうしたにおいの持つ象徴性は、『パラサイト 半地下の家族』が「半地下に暮らす低所得者層」と「丘の上に暮らす高所得者層」との社会階層を描いていることと照応します。階層性もまたにおいと同様に代表象されるものです。

 見えざる階層性を見えざる臭気が象徴する。これは社会に蔓延する悲劇をより強調することになります。あるにおいを「嫌悪してしまっていること」は自分の意志とは無関係です。居住地の高低が階層の高低を表すだけでなく、その階層間に横たわる差別感情が、においを「嗅いでしまうこと」によって顕在化する。これが『パラサイト 半地下の家族』にとってにおいがキーワードになることの理由です。

 

半地下のにおい

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 半地下の生活には独特のにおいがあります。言葉によって表現すれば、「1日のうちで陽の光が射すのは一瞬に等しく、薄暗くて風通しも悪いため、ひどい湿気とカビ臭さに満ちている。」そんな環境ですからゴキブリなども多く、映画冒頭では路上で撒かれる殺虫剤を家の中に入れようとするシーンもあります。

 キム家において特に臭いのは父ギテクです。長男ギウの計画によってパク家に潜入してから、何度かキム家の面々のにおいはパク家の子息ダソンによって勘付かれます。とはいえこれはさほどパラサイト計画の問題になりません。問題(になりがちなの)は父ギテクでした。

 父ギテクはパク家のお抱え運転手として雇われます。業務上、ギテクはパク家の家長ドンイクとヨンギョ夫人と接する時間が長くなる。ヨンギョは特に不審に思うことはありませんが、ギテクのふとした拍子に出てしまう悪態などによって、ドンイクは不審を募らせるのでした。そのような不信感を抱かせた相手のにおいは得てして意識的になりやすいものです。そしてドンイクはギテクから臭う「半地下のにおい」に勘づき始めます。

 

ドンイクの引く一線

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 パラサイト計画における父ギテクのしでかしたミスは、運転中に発した「お里が知れる」ような四文字語、それから家長ドンイクに向けて訊ねた夫婦仲についての質問でした。これらはドンイクにとっては雇用関係上の逸脱行為に等しかったのです。しばしばドンイクは言います。「一線(度)を越すな。ドンイクは「お上品な私たち」と「下品な奴ら」との間に線引きをしたかったのです。

 高所得層の高所得化と低所得層の低所得化が行き渡った資本主義社会においては階層間に線引きがなされている。とはいえ両者は消して交わらないのではなく、雇用関係によって接近することがある。たとえば長男ギウが引き受けた家庭教師のように、ムングァンが仕えたハウスキーパーのように。

 パク家とキム家の関係もそうです。ここには雇用関係による一線が引かれています。そんなパラサイト計画のなかで、家長ドンイクと父ギテクの間には不穏な影がある。ドンイクは事あるごとにこの「階層の一線」を強調します。その点にギテクは納得がいかないのです。さらに、ギテクにこの一線を強く意識させたのがドンイクが指摘する「半地下のにおい」でした。

 

家族のやさしさを確かめる

 ここでは、父ギテクの「半地下のにおい」を家長ドンイクが嫌がり、パク家の人たちのやさしさを信じたいギテクが度を越す振る舞いをするものの、ドンイクが拒絶することを取りあげます。

無計画者のにおい

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 映画『パラサイト 半地下の家族』では、長男ギウが友人であるミニョクから水石を贈られることによってパク家へのパラサイト計画を企てます。そして父ギテクもパラサイトするキム家の一員としてその計画に乗っかりますが、ギテクは無計画なまま、ギウの計画に流されている

 無計画な父ギテクは「計画に加わりながら反計画の姿勢」でいます。家長ドンイクがギテクのにおいを気にするのは、キム家の面々の中でギテクとはもっとも近く長く過ごすからというのもあるでしょうが、穿った目で見れば「ギテクの無計画な姿勢」に由来すると言えます。なぜなら、落ちぶれないためには計画や将来性が要求される資本主義社会にとって半地下のにおいは無計画者のにおいに等しいのですから。

 半地下のにおいが低い階層性を暗示する。他方で、半地下のにおいを感知できる鼻を持っていることは「自身が低い階層に属していないこと」、つまり高い階層性を示すことになります。丘の上の高所得層にとって、そのにおいには馴染みがないために嗅ぐことによって違和感を覚えてしまう。言い換えれば、計画性ないし将来性の有無です。これが階層の高低に対応している。

 

金持ちと貧乏人

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 パラサイト計画の只中、完地下という計画外の問題が生じます。このときにパラサイト中のキム家と完地下の住人であるグンセの妻ムングァンと諍いがあります。ムングァンはキム家の実態を知り、パク家に対して計画をバラすと脅す。すると父ギテクは「やさしい家族になんの罪がある!」と怒るのでした。

 父ギテクが怒った理由を確認しましょう。丘の上の家に完地下があることが発覚する直前、パク家の面々はキャンプに出かけて留守にします。家主が留守のなか、キム家はパラサイト計画の成功を祝うのですが、このときにギテクはパク家を評してこう言うのです。「金持ちなのに、いい人たちだ。」それに対して妻チュンスクはこう言います。「金持ちだから、いい人たちなのよ

 父ギテクの言い方には金持ちへの屈託がある。しかし妻チュンスクはそれを訂正します。ギテクは言われるままにチュンスクの言葉を受け入れる。チュンスクの認識は直後の完地下でのムングァンとのやりとりで証明されます。というのもチュンスクは、完地下を知るや否やパク家にバラそうとしますし、ムングァンの方もキム家の計画を知るやバラしてやると脅迫するのですから。半地下と完地下に属する彼らは互いに「金持ちではななく貧乏だから、いい人ではない」というわけです。

 

やさしさを確かめる

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 父ギテクには「金持ちはいい人ではないものの、パク家はいい人である。」──こうした認識があります。言い換えると、ギテクはパク家がやさしい家族であることを信じたいのです。それはパラサイトさせてもらってる立場からもそうでしょうし、実際にパク家に家族の絆があるという点からも頷けます。しかし、これは裏切られてしまうのです。

 家長ドンイクは次第に父ギテクのにおいを露骨に嫌がります。彼は言います。「私は一線を超える者が嫌いだ。」一線を心得るドンイクはギテク本人へと直接には言いませんが、しかしヨンギョ夫人に漏らし、たまたまギテクもそれを聞くことになります。「度を越した臭いだ。“地下室”の臭いとも言える」ヨンギョはギテクのにおいを意識しだし、ギテクもまた意識されることを意識するようになるのでした。

 においは社会で自分が属する階層を象徴する。他方で、においは階層の一線が引かれているのとは無関係に匂うものです。身分の度をわきまえて欲しいドンイクにも、ギテクの半地下のにおいは嗅がれてしまいます。──これは、ギテクが何度も“度を超えて”夫婦仲を訊ねる理由の説明にもなるでしょう。ギテクは「パク家の人たちはいい人である」ことを信じたかったのです。やさしさを確かめようとしてギテクはドンイクにヨンギョへの愛を訊ねる。しかし、ドンイクが雇用関係によって引いた線は、ギテクの逸脱行為を許しません。さながら「階層をわきまえろ」と言わんばかりに。このような態度は礼儀を欠き、「人を人としてもてなすもの」とは呼べないでしょう。

 

ゴキブリは尊厳を求める

 ここでは、父ギテクが完地下の住人の立場と自分自身の交換可能性に気づき、家長ドンイクの「半地下のにおい」に対する差別から自分自身の尊厳を守るために彼を刺したことを取りあげます。

事件はパーティで

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 家長ドンイクの父ギテクに対する不満が高まるなか、ギテクのドンイクに対する不満もまた高まります。そしてヨンギョ夫人の思いつきによってパーティーが開かれる。このときにギテクはドンイクと共にインディアンの仮装をする運びになりますが、ギテクは乗り気ではありません。

 ここでまた、ギテクはドンイクに夫婦仲を訊ねます。「仕方ない。奥様を愛していますもんね。」──ですが、ドンイクは「これも仕事だ」と言い、これを“あからさまに”自分たちの雇用関係を持ち出すことによって黙らせるのです。それから長男ギウが始末に失敗した完地下の住人グンセがパーティ会場へと出てきます。このとき、グンセは地下で瀕死の状態にある妻ムングァンの敵である半地下の面々を討とうとする……。

 蜂の巣をつついたような庭先では次女ギジョンが刺され、ドンイクは家族を守ろうとし、ギテクに車の鍵を渡すように要求します。ところが、このときにギテクは“あからさまに”においへの嫌悪感を見せるのです。完地下から出てきたグンセのにおいが耐えられないとでも言うように。──直後、ギテクはドンイクを刺します。

 

ギテクとゴキブリ

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 父ギテクが家長ドンイクを刺したことは一つの謎です。この理由を考える上で、ギテクと完地下の住人グンセのやりとりを参照しましょう。キャンプに出かけたパク家が大雨で急遽家に帰ってきて、本来ならここにいるはずのないギテクやギウ、それにギジョンは大慌てで隠れます。このときにギテクはグンセを伴って完地下に身を潜めて、グンセの身の上話を聞くことになるのでした。

 グンセが語ったのは自分が完地下の住人になった経緯です。台湾カステラで一儲けしようとしたこと、そして無計画にもパラサイト生活を送ることによって生きている。父ギテクは自分の境遇との共通点を思わずにいられませんでした。それはギテク自身とグンセとの交換可能性と言っていいでしょう。──ムングァンに養われているグンセと、長男ギウの計画に乗っかっている自分。

 思い出すべきは、父ギテクが母チュンスクに「ゴキブリ」と言われてキレていることです。(劇中キム家族内ではキレた振りのように思わせましたが、この記事ではマジギレだと理解します)。ギテクにとってゴキブリとは自分自身をもっとも的確に表現する言葉であると共に、もっとも言われたくない禁句でもあったのです。

 

人間同士の交換可能性

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 完地下で生活を送る人を見て思うことの一つには、「そのような最低の生活を送る人に対して、人は人間としての尊厳を認めることができるのだろうか」という疑問があります。とはいえキム一家はパク家を騙して雇用関係を利用してパラサイト生活を送っていますし、ムングァンとグンセの夫婦にしてもパク家への寄生という点では同じ穴のムジナで五十歩百歩でしょう。肝心なのは、社会から完全に分断されたグンセに対して、人は敬意を払えるのかということです。

 グンセに一個の人間としての尊厳を認められるかは、ギテク自身の尊厳にも関わってくるのです。ギテクとグンセとの交換可能性に触れましたが、これは「おまえはおれでもある」ということです。しかしドンイクにはこうした認識がありません。いわば「おまえはおまえだ。おれとは関係ない。」こう言ってしまえるのが、ギテクやグンセを鼻つまみ者にするドンイクなのです。

 決定的だったのは、家長ドンイクがグンセのにおいを決定的に拒絶した仕草でした。そこに込められていたのは分断です。「雇用関係における上下」にこだわっていたのと同様の、「階層関係における高低」へのこだわり。これは人種の分断と言ってもいいでしょう。グンセの完地下のにおい──分断したはずの向こう側に属するものが境界線を超えて臭ってくることへの嫌悪は、グンセとの交換可能性に気づいた父ギテクにとって、自分自身の尊厳を否定されることにも等しかったのです

 父ギテクが「仕方ない。奥様を愛していますもんね。」と家長ドンイクに念を押したのは、「おれたちは妻を愛する市民として同族だよね。同じ人間で、上も下もないよね?」という、ゴキブリではないことの確認でもありました。しかし、パラサイトとして生きるゴキブリのような自分にあくまで雇用関係を念押しするドンイクは、グンセのにおいに対する嫌悪と共に、ギテクをあくまでゴキブリ認定したのです。ここでのゴキブリとは誰かの生活に寄生しなくては生きられない関係に依存する存在であり、地下のにおいを発する害虫のこと。──家族の前では冗談に済ませられたところを、ドンイクに対してはブチギレてしまったのですね。

 

『ジョーカー』との比較

 ここではトッド・フィリップス監督の映画『ジョーカー』との比較関連を検討します。「におい」をキーワードに設定して考えをまとめていくうえで出てきた副産物として、貧富や階層など、社会的な問題を取りあげた作品として『パラサイト 半地下の家族』と関連させています。

喜劇的で、悲劇的な

(C)2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & (C) DC Comics

 映画『パラサイト 半地下の家族』のキーワードに「におい」を設定するとき、映画『ジョーカー』との対比ができます。たとえば映画『パラサイト 半地下の家族』のキャッチコピーは「道化師のいないコメディ」「悪役のいない悲劇」とありますが、これは明らかに「コメディアンである道化師が悪役になる喜劇」を描いた『ジョーカー』を思わせます。

 『ジョーカー』では映画館で富裕層がチャップリンの映画『モダン・タイムス』を鑑賞する場面があるのですが、劇中で誰かを恨まずにいられているのはチャップリンの映画を見ている富裕層として生まれた者だけである、という指摘があります。(『ジョーカー』の日本版パンフレットに所収の社会学者・宮台真司の論考のこと。この論考は『パラサイト』を見る上でも参考になる。)

 『ジョーカー』でも貧富の分断が描かれていました。ここでの階層間を仕切る分断は、職に就けているか否か、金を持っているか否かに主眼が置かれていました。『パラサイト 半地下の家族』でも事情は同じですが、こちらではそれに加えてにおいの要素も加わり、表面的には誰のことも恨まずに幸せな家族生活を送っている富裕層のパク家にも、「半地下のにおいを臭いと感じてしまう感受性」があることを暴いてみせたのです。そこに悪役はいませんが、「生理的と言ってもいい次元で差別をしてしまっている」という悲劇的な事態があります。そしてここには笑わせようとする道化師はいませんが、喜劇的な事態であることもまた確かなのです。

 

内なる差別の基準

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 映画『ジョーカー』でチャップリンの『モダン・タイムス』を鑑賞し、笑い声を挙げている富裕層は「悪であることを免れていられる階層」として描かれています。そこには恨みもないから、差別もなく、だからこそチャップリンの映画を見ても労働者の苦しい実情とは無関係に娯楽として楽しむことができました。

 しかし『パラサイト 半地下の家族』ではそんな富裕層者の裡にも生理的な次元での差別意識があることを暴きます。このことはアレルギーが良い例です。アレルギーの症状が出るのは普段からアレルギーの原因となる物質に接する機会が少ないからです。抗菌の環境にいられる環境で暮らせるからこそ、いざアレルギーの原因となる物質に晒された場合に人体の免疫系が過剰反応してしまう。こうした生理的な次元で事の善し悪しの基準が決まっているのだとすれば?

 人間の欲求には低次のものから高次のものまで五段階ほどあると考える、マズローの欲求階層説があります。安全状態や衛生状態などが充足しているからこそ、チャップリンの映画を楽しんだり、承認欲求や自己実現などの高次の欲求を楽しもうとするし、実際に楽しめもするというわけです。とはいえ、高次の欲求を充足させようとしているからといっても、低次の欲求が満たされない場合の耐性がついているわけではありません。むしろ、アレルギー症状がそうであるように、過剰な反応を見せることになるかもしれません。

 

においとゴキブリ

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 貧富の差を環境に焦点を当てて言えばゴキブリが良い例になるでしょう。ゴキブリが出てくることが普通の環境で生活している人にとって、ゴキブリが現れることは大した問題ではありません。しかし普段からゴキブリを目にしないでいられる環境では、ゴキブリの登場は異常事態であり、ゴキブリを見慣れた人からすれば異様なほどの拒否反応を見せたりするものです。

 『ジョーカー』で描かれていた分断は、たとえ貧しい者を目にしたり、目の前に現れたりしても臭気に耐え兼ねる表現はなかったでしょう。分断を描いていたとは言え、それがメインの映画ではありませんから。ところが『パラサイト 半地下の家族』では「普段ゴキブリを目にしない人がゴキブリを見て気持ち悪がる」といった差別が描かれているのです。ここでのゴキブリは半地下・完地下の住人の喩えではありますが、実際「におい」を通して社会的な階層間の分断が生理的な次元にまで達している様子は、「人間とゴキブリ」という対比の理解が容易にできてしまうほどに根深いものとして描かれているのです。

 最後に『ジョーカー』に対して『パラサイト 半地下の家族』が優れている点を確かめます。同じ社会格差を扱った作品ですが、『ジョーカー』は二重の意味で制限があります。一つにはアメコミ原作だからこそ鑑賞者には先入観や期待値が設定されがちなこと、もう一つには主人公であるジョーカーへと感情移入するにはある程度鑑賞者の個人史(有り体に言えば「イジメられてきたか」)に負うところが大きいこと。──『ジョーカー』には以上のような制限があり、主人公のアーサー=ジョーカーのトラウマや狂気によって駆動する不幸な人間の特異性に焦点が置かれていました。

 しかし『パラサイト 半地下の家族』では不条理な構造で規程されている家族が、重石のようなトラウマもなしに正気のままで計画を企てる、決して特異な人間像ではないい普遍的な人間の姿が描かれているのです。そしてその不条理さを象徴するのが「におい」でした。こちらは特段鑑賞者の個人史に依存することもなく伝わってしまう娯楽性もあり、感情移入の難しさから『ジョーカー』に酷評をつけることがあったとしても、『パラサイト 半地下の家族』に酷評をつけることはないでしょう。

 

まとめ

当記事では映画『パラサイト 半地下の家族』をより深く考えるために「におい」をキーワードに設定しました。「水石」から始まった「計画」が「パラサイト」です。そして雇用関係を通して宿主の懐深くに入り込んだ「半地下の家族」の障害になったものが「におい」だった。──においは生理的な次元での好悪が決定していることを暗示します。人がどれだけ善良でいようとも、ある社会階層のにおいとして悪臭を遠ざけようとするとき、そこには分断が生じてしまう。否応なしに嫌なにおいとそうでないものとを差別してしまう。この映画はそうした意識に気づかせ、わたしたちの善良さを批判してくれるのです。

_了

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