勉強はアタマでやるのではなくカラダでやれ:『脳にまかせる勉強法』

啓発書
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この記事で取り上げている本――

この記事に書いてあること――

  • 脳にまかせる勉強法は、個人の能力の可能性ではなく、人体の機能の潜在性に賭けた勉強法である。
  • 脳が私の原因だとしても、私は脳ではない。だからこそ私と脳とは他人の関係になりえる。
  • 意志・回数・感情という盲点を突いて脳を騙すことで、脳に記憶させる。
  • 集中・反復・関心によって意味を感じさせることで、脳に記憶させる。
  • 勉強も記憶も、「アタマで覚える」のではなく「カラダになじませる」ことが大切。
  • カラダが勘をつかめば、勉強も記憶も自動化することができ、学習を淡々と進めることができる。
  • 勉強すること・記憶することにとっては、人生観や世界観が問題なのではなくて、むしろ身体観が大切になる。

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『脳にまかせる勉強法』を書いたひと

 勉強ができるかどうかは、ひとを評価する尺度のひとつです。テストでいい点が取れることは、自己管理能力があり課題解決能力もあることの表れだと評価されます。だからこそひとは「勉強ができること」に憧れ、「勉強ができるひと」を羨みます。

 池田義博というひとがいます。

 すごいひとです。

 何がすごいのかと言うと、日本記憶力選手権の大会で2013年の初出場優勝を皮切りに、2019年までの6度の大会すべてで優勝しているのです。さらには日本で記憶力一位を飾った2013年にはロンドンで開催された世界記憶力選手権でも、優勝。つまりは「記憶すること」の達人なのであって、「記憶すること」に関してこのひと以上に説得力のあるひとはいないと言っても過言ではない――そんな人物なのです。

 さて、試験勉強は思考力以前に記憶力が試されます。

 記憶力は何も暗記科目だけに係わるものではありません。思考力が試される科目であっても、思考力を発揮するために用いる思考の道具は、記憶に依存しているのですから。暗記物は思考の道具ですが、その道具の使い方もまた記憶に依存しています。

 「勉強ができること」に憧れ、「勉強ができるひと」を羨むわたしたちにとって、池田義博の記憶法、および勉強法は喉から手が出るほどに知り得たい情報です。

 ありがたいことに、池田は自らのやりかたを幾つかの本にしてくれています。そのうちのひとつが『世界記憶力グランドマスターが教える 脳にまかせる勉強法』(以後『脳にまかせる勉強法』)です。

 当記事では池田の著書である『脳にまかせる勉強法』を読むことで、記憶力、ひいては勉強力を高める技法を、筆者の観点からまとめていきます。

「脳にまかせる」という方法

 まず、本のタイトルに注目しましょう。

 「脳にまかせる」とあります。

 脳。

 ここで注意するべきは、脳は私ではないということです。脳についての研究のなかには、私(意識)が脳のどこにあるのかといった研究があることは知られています。(※)

 しかし、注意すべきは脳のなかに私が発生する原因が発見されたとしても、〝脳が私の原因であること〟と〝私が私であること〟とは話が違ってくるということです。ようするに、わたしたち人間は「私は脳である」と思って生きてはいないのです。あくまでも「私は私である」という認識が根本における前提になっています。

 脳と私とを分けて考えて、池田は私ではなく脳に注目します。

 私とは意思のことだと言っていいでしょう。意思は記憶したことを使う自分であって、勉強したことを生かす自分でもあります。それに対して脳は、身体に収まっている臓器のひとつであって、身体を構成している器官のひとつです。こうした私と脳とを分けて考える認識は、私の性格脳の機能とを分けて考える認識を立てることができます。

 たとえ自分の性格が勉強に不向きだと思っていても、生体としての機能に訴えるアプローチならば、本人の性格の向き不向きは関係ありません。性格や個性などは当人の才能に関係するでしょうが、生体の部品である脳には同じ人間としての大きな違いはありません。ひとの性格面ではなく臓器の機能面へのアプローチならば、才能の有無や性格の向き不向きが関係ないのです。

 だからこそ本書が掲げる「脳にまかせる」アプローチは、「最強の記憶術」というキャッチコピーを掲げることができるのです。なにせ「脳にまかせる」ことは個人の能力の可能性ではなく、人体の機能の潜在性に賭けた方法なのですから。

※たとえば神経科学者である坂井克之の著書『心の脳科学―「わたし」は脳から生まれる』などは、タイトルだけを見てもドンピシャで私と脳とをつなげています。同じく神経科学者のマイケル・S・ガザニガの『〈わたし〉はどこにあるのか: ガザニガ脳科学講義』にしてもそうでしょう。このことは脳を研究する者自身が、私が脳のどこに位置しているのかについて関心を持っているのかということを読み取ることができます。それと同時に、脳科学研究に対するわたしたち一般人が持つ期待のありかたも浮き彫りになっていると言えるでしょう。公刊の都合上、本の書名は著者の関心であると同時に、読者の関心とも重なるかたちで名付けられるものですから。

「脳にまかせる勉強法」は3つの盲点で脳を騙す勉強法である

 『脳にまかせる勉強法』が説く脳の機能面を意識した、具体的な勉強法(記憶法)を見てみましょう。

 

 池田は①意志、②回数、③感情――という3つのキーワードを挙げます。誤解を恐れずに言えば、キーワードはいずれも〝脳を騙すこと〟が目的になっているのです。

 ①意志は、脳が集中しているなと思い込むことで、記憶しようという態勢になること。

 ②回数は、脳が何回も繰り返し入ってくる情報だから重要に違いないと思い込み、記憶する態勢になること。

 ③感情は、覚えようとしているものが自身を感動させるものだと思い込むことで、記憶する態勢になること。

 以上は、わたしたちが記憶に関して素朴に大切だと考えていることと重なります。それというのは「集中して、何度も繰り返し覚えようとし、そしてその作業を楽しむ姿勢が、〝何かを覚えること〟にとっては大切なのだ」という考えかたです。池田の提案するキーワードは、そのような「記憶すること」に関する一般的なイメージをひっくり返すものではありません。

 〝脳を騙す〟姿勢はきわめて重要です。しかしこの発想は一般的ではないでしょう。ひとつの指針としては、『脳にまかせる勉強法』を読むうえで〝脳を騙す〟という考え方を腑に落とすことができるかどうかが、重要になります。「最強の記憶術」を習得しようと身構える読者は、まず次のことを理解してください。

 脳は私ではありません。私ではないということは他人であるということです。自分の脳のことを、あたかも〝自分がお世話になっている他人〟だと考えてみるのです。その他人は自分が大変お世話になっているので蔑ろにはできません。だからこそ、ご機嫌を取る必要があります。それこそ、騙すことさえも厭わずに。

 〝脳を騙す〟という点で言えば、先に挙げた3つのキーワードは脳の盲点なのです。そこを突くことで、わたしたちは脳のやる気スイッチを押してやることができるというわけです。

脳は意味のあるものを記憶する

 池田の3つのキーワードを、もう少し細かに確認することにしましょう。

①意志は、集中しているモードになってみせることで、脳に〝いま自分はガチな姿勢で覚えようとしているんだ!〟と思い込ませ、記憶する態勢を取らせることです。
 集中できる環境に身を置くことだと言ってもいいでしょう。スマホの通知がしょっちゅう聞こえるようでは集中できません。あるいはスマホが手の届くところにあること自体が、すでに集中力を奪ってしまっているかもしれません。なのでスマホの通知を切ったり、手の届く場所に置かないという選択を〝自分の意志で行うこと〟が、環境づくりになりますし、集中しているモードをつくりだすことに繋がります。――これが意志を使った脳の騙しかたです。つまりは〈集中〉が大切だという観点ですね。
②回数は、何度も意識にのぼらせることによって、脳に〝こんなに何回も意識にあがってくるのだから重要な情報なんだ!〟と思い込ませ、記憶する態勢を取らせることです。
 覚えたことを脳が忘れていく時間的な推移である「忘却曲線」を、自分自身で実験した心理学者のヘルマン・エビングハウス(1850-1909)は、意味のない音の羅列を記憶しようとしました。そのときに彼が試みたことは繰り返し読み上げるという方法でした。実験の結果、エビングハウスは意味のないものにも人間は意味を見つけて、意味のあるものとして記憶できることを発見しました。覚えようとする回数を重ねることは明らかに記憶することに関わります。――これが回数によって脳を騙すやりかたへと繋がります。つまりは〈反復〉が大切だという観点ですね。
③感情は、気持ちの持ちかたによって、脳に〝こんなにおもしろいんだから自分にとって重要な情報なんだ!〟と思い込ませて記憶する態勢を取らせることです。
 勉強に抵抗があるのは、勉強が〝つまらないもの〟だとイメージされているからです。つまらないものに取り組むことは気が重い作業です。なので覚えようとしていることに、自分が心踊らせられるようなポジティブな意味を与えることが重要になります。〝この勉強をし終わったらゲームをしてもいい〟という自分へのご褒美などがそうです。
 自分が取り組んでいる課題や覚えようとしているものに対してポジティブなイメージを喚起できれば良いのです。勉強が終わった後のことでなくても、覚えようとしていること自体に好もしい意味づけをしてもいいでしょう。自分の興味関心のほうから眺めることで、つまらないものでしかなかったイメージにおもしろみを脚色することもできるのです。――これが感情を使った脳の騙しかたになります。つまりは〈関心〉が大切だという観点と見ていいでしょう。

 ざっと眺めてみますと、脳は意味を感じることで記憶しようという態勢になることがわかります。

 脳にとっての意味は①集中、②反復、③関心の3つに代表されるのです。

 以上を踏まえて言えば、「脳にまかせる勉強法」は、いかにして脳に意味のある情報だと思い込ませるのかが重要になってきます。

カラダ・勘・自動化

 「脳にまかせる勉強法」を謳う本書は、私と脳を別人だと考えることが大切になります。

 イメージとしては「私が覚える」のではなく「脳が覚える」のです。なので、脳に記憶する作業をまかせてしまう〝私の〟姿勢は、「私が-脳が覚える-をする」といったものになるでしょう。記憶するのは私ではなく、脳のほうだという構えです。

 ここで池田が紹介している勉強の実践のいくつかを書き出してみることにします。それによって池田が主張し、そして実践している記憶術がどのような具合で、脳にまかせているのかを確認してみましょう。

  • 語呂合わせを使って自分に意味のあるものに変身させる
  • 声に出して読み上げる
  • 勉強のときに強い香りを嗅ぐ
  • 何かを覚えるときに体の動きを伴うようにする
  • 指を使って空中に字を書く(空書)
  • テキストに取り組むときに、理解度は二の次にして、とにかくスピードを優先して全範囲の勉強を終わらせてそれを繰り返す。

 池田が掲げる勉強法を〝脳にまかせる〟視点で見たときに、どれも「アタマで覚える」というよりかは「カラダになじませる」という印象がありますスポーツの練習のように、カラダを動かす動作によって〈勘〉が培われていくようなもの――そのようなものとして勉強法がイメージされているように読み取れます。

 〈勘〉は、わたしたちが日常的に依存しているものです。カラダを動かす際に前提になっている暗黙の了解です。たとえば椅子に座るときには、座ろうとする椅子との距離感や自分の関節の動き、姿勢全体の構えなどはわざわざ意識していません。しかし意識していなくとも、無意識の場面では前提になっているものがあります。これはアタマでわかっていなくても、カラダでわかっていることがあると考えてもいいでしょう。アタマではなく、カラダのほうがわかっているもののことを、〈勘〉と言うのです。

 〈勘〉がつくことは、言い換えれば、わざわざ意識にのぼらせなくても〝わかっている状態になっている〟ということです。意識化しなくても行動できることを、「自動化」と言います。「脳にまかせる勉強法」にとっては、勉強すること・記憶することの自動化が最大の鍵になるのです。

 池田は言います。

勉強に必要なのは、覚えようとする意志だけであり、その後の学習自体は淡々と進めればいいのです。

池田義博『世界記憶力グランドマスターが教える 脳にまかせる勉強法』,ダイヤモンド社,2017,p96

 ようするに、自動化することへの意志こそが勉強精神の根本である――池田はそう考えるのです。

 自動化しさえすれば、あとは私の都合ではなく、脳の機能によって勉強することも記憶することもできてしまうのですから。

型を真似てワザの勘をつかんでいく。型を意識せずに型通りの動きができたとき(忘れたとき)、自動化は完成する。――これは身体の話であり、勉強の話でもある。

まとめ

 勉強すること・記憶することには「私が-脳が覚える-をする」と表したくなるほどに、カラダへの働きかけが大切です。「脳にまかせる勉強法」は頭脳作業であるよりも身体所作に関わるのです。

 最も問題なのは私と私自身との関係(人生の目的や将来の夢)ではなく、ましてや自分と世界との関係(家庭環境にせよ、生活環境にせよ)でもないのです。そうではなく、私と脳との関係(自分の、身体への気づかい)こそが重要だったのです。

 別の言葉で表現すれば、勉強すること・記憶することにとっては、人生観や世界観が問題なのではなくて、むしろ身体観が大切になるのです。

 さながらダンスを踊るように。いくらアタマでわかってもカラダで踊れなければ、ダンスが踊れることにはならないように。

 池田はまた、記憶モードとクリエイティヴな作業のとき(創作モード)とは違うのだと言います。いわく、創作モードのときはある程度ノイズのある環境に身を置いたほうがいいのですが、記憶モードのときには逆に耳栓を用いてでもノイズをキャンセリングしたほうがいいと言うのです。

 記憶モードと創作モードとの対比に、〝身を置く〟という言葉づかいが登場していることには注意しましょう。どのような環境に身体を置いているのか。つまり、どのような雰囲気に自身(自分の身体)をなじませるのか、そこに掛かってくるのではないでしょうか。これは人生観でも世界観でもなく、身体観に由来するものです。

どこに、どのように身を置くのか。――勉強の質はそれによって決まってくる。身体の機能は自分の性格に先行している。

 『脳にまかせる勉強法』を読んで気づくのは、勉強や記憶に関してわたしたちが悩む問題が、自分の能力や才能だと考えるべきなのではないということです。そうではなくて、わたしたちはむしろ自分を構成している身体の機能面に着目すべきなのだ。個人の可能性ではなく、人体の潜在性にこそ注目し、それをどう活かすことができるのかに限られた意志のリソースを割くべきなのだ。――そうしたメッセージを受け取ることができるのです。

_了

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