こうの史代作品の「ぬけている人物」とマンガ表現の魅力:『長い道』

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 ども!めっきりマンガを読まなくなってちょっぴりセンチなザムザです。

 みなさんマンガを読むときにどこを読んでますか?

 ストーリー? キャラ? それともコマ割り?

 どれも立派なマンガの読みどころですね。

 今回はそんなマンガの読みどころのうちキャラ作りと表現方法とに注目して、こうの史代の『長い道』という本をご紹介します。

この記事で取りあげている本

こうの史代『長い道』,双葉社,2005

 

この記事に書いてあること

  • こうの史代はどこかぬけたところのある人物を描いている。また、絵としての表現方法(見せかた)にもこだわりを持っている。
  • 『長い道』という作品にもどこかぬけたところのある人物が登場する。そして彼らを表現するのに独特の〝見せかた〟をする。
  • ひとが何かを〝リアルに〟感じるときは、その何かの「見慣れなさ」によって感じることになる。
  • こうの史代は真の栄誉を隠し持つ人間を描こうとする。彼らにリアリティを与えるために、こうのは〝見慣れない〟人物と表現方法とで以てマンガを描く。

こうの史代作品の「ぬけている人物」とマンガ表現の魅力:『長い道』

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こうの史代と『長い道』

 

 2019年現在、こうの史代という漫画家は『この世界の片隅に』(2008)の作品で知られています。『この世界の片隅に』は日本の戦間期を舞台にした物語でした。2017年の映画化をきっかけにして、作品で描かれていたテーマおよびメッセージがひろく注目されることになり、これまで知らなかったひとにまでも「こうの史代」の名前は知られるようになりました。

 当記事で扱うのも、そんなこうの史代のマンガ作品のひとつです。自費出版の『道草』(2002年3月)にはじまり、雑誌『すてきな主婦たち』(2001年3月号~2004年12月号)、『月刊まんがタウン』(2005年4月号)にわたって続けられた『長い道』という2005年の作品です。内容は〝カイショなし〟の夫と〝ノー天気〟な妻とのエピソードをまとめたマンガになります。

 この『長い道』という作品、どうやらこうの史代の漫画家としては初の非4コマ誌での仕事になったらしいのです。だからめっちゃ大変だった!――というわけでもないようで、あとがきには「縛りや制約もほとんどなく、好き勝手に描かせて頂いて、本当に楽しくて仕方なかった作品」などと書いてあります。

 わたしがこうの史代という作家のことを知ったのは、五反田にある本屋でした。棚に見つけたのが上下巻の『この世界の片隅に』だったのです。もともとは全3巻の構成でつくられた作品でしたが、わたしが手に取ったものは2011年に上下巻にまとめなおされたものでした。

 名前と絵柄をおぼえたわたしは次に『夕凪の街 桜の国』(2004)も手に取ります。それから少しご無沙汰だったのですが、今回、『長い道』を読む機会に恵まれたのでした。

 つまりわたしは『この世界の片隅に』→『夕凪の街 桜の国』→『長い道』という道筋でこうの史代作品を読んできたことになります。

 

こうの史代という作家への2つのイメージから

 『この世界の片隅に』→『夕凪の街 桜の国』→『長い道』の3作を読んでいくなかで、わたしはこうの史代という作家に以下の2つのイメージを抱くようになっていました。

  1. ヒロインはどこかぬけたところのある性格をしている
  2. 作中人物が体験しているリアリティとそれを表現する方法への意識が高い

 以下、うえの2点から『長い道』という作品世界を見ていくことにします。

 

ヒロインはどこかぬけたところのある性格をしている

 まず1.の「ヒロインはどこかぬけたところのある性格をしている」というのは、『長い道』でも容易に見て取ることができます。

 『長い道』では〈道〉という女性と〈荘介〉という男性とが夫婦として暮らしていく物語です。しかしこのふたり、お互いの父親が飲み屋の席で勝手に取り決めたというものなのです。作中の荘介の父親からの手紙にはこうあります。「飲み屋で知り合った人が娘さんをくれたぞ」――と。

『長い道』,p13より

 作者による人物紹介(?)でも「夫 カイショなし。妻 ノー天気。」などと紹介されちゃっています。たしかに、酒の席で勝手に親に決められた結婚相手のもとに嫁いでくるなんて、〈道〉さん、ちょっとどころではなくぼけぼけしていますよね(笑) しかも〈荘介〉のもとに押しかけてきた〈道〉さん、ちゃっかり婚姻届を記入してあったりします。〈道〉さんは自分でも「わたしはどうも普通より鈍いらしくて」(p33)などと言います。やはりどこか〝ぬけている〟のです。

 ぼけぼけしてると言えば夫である〈荘介〉のほうも相当のものです。付き合ってるオンナが部屋にくるのに部屋が汚い。だから掃除しなくちゃならない。〈道〉にヨメさんとして部屋を片付けさせるために〈荘介〉は婚姻届を記入して、婚約するのです。そのときに言うのが次のセリフ。

…で そうじが済んだらすぐリコンな!

 なかなかまともじゃありません。他にも、お金が必要になったからといって質屋に自分のヨメさんである〈道〉を担保にいれようとさえするのです。

 〈荘介〉のダメ男っぷりには本気で怒っても十分おつりが来そうなんですが、当の〈道〉さんはにこにこしています。

 そんなこんななので、読者は父親どうしで勝手に結婚相手を決めてしまったというのにも、ちょっぴり納得してしまうのです。なぜならふたりとも「現実感」がズレているので、親が無理にでも決めてやらにゃ収まるところにも収まらないだろうな――なんて読めてしまうものですから。

 どこかしらぬけているところがあって、他のひととは現実感がズレている。これは『長い道』の登場人物に限った話ではなく、『この世界の片隅に』にしろ『夕凪の街 桜の国』にしろ、こうの史代という作家が描く人物像のひとつの典型なのです。

 

作中人物が体験しているリアリティとそれを表現する方法への意識が高い

 次に2.の「作中人物が体験しているリアリティとそれを表現する方法への意識が高い

」のほうから『長い道』を見てみます。

 マンガはもちろん、描線(ドローイング)によってできています。描かれた線は人物や風景となって、コマとコマとが連なることでドラマ(展開)が生じることになり、読者に届くだけのリアリティが生まれることになります。セリフや擬音などもマンガを構成する重要な要素ではありますが、マンガは第一に〝絵〟として読まれるものです。

 マンガは描かれた登場人物たちの経験を表現するメディアです。それを読む読者はしかし、たんに登場人物の経験を通して作品世界を体験するばかりなのではありません。もちろん、それはひとつの読みかたです。とはいえ先ほども言ったようにマンガは第一に〝絵〟なのであって、絵である以上は登場人物がどう動くかよりも、どのように線が描かれているのかが基礎に置かれることになります。マンガというメディアにあってはドラマのメディアが登場人物なのだとすれば、登場人物のメディアは描線なのです。

 登場人物のメディアが描線と言いましたが、もっと言えばマンガというメディア自体がそもそも描線を通して造形されますので、物語も風景も登場人物も、みなすべてが「線の動きかた」によって表現されることがわかります。

 こうの史代の作品には以上のような描線による〝見せかた〟へのこだわりがあります。

 『長い道』のなかから特徴的なコマを抜き出してみましょう。

『長い道』,p35より

 うえに引用したのは〈道〉さんが熱を出していて意識がボーっとなっているコマです。オランダの画家ゴッホの『星月夜』や『糸杉』などの画風を思わせる表現方法です。この描きかたによって〈道〉さんがどのような現実体験をしているのかが、読者にはとても印象的なものとして感じることができるのです。

 

 こうの史代のように表現方法を模索する作家は往々にして「実験的」と言われます。しかしこの〝実験的〟というのが作品のリアリティにとっては肝心なのです。

 ひとが何かを〝リアルに〟感じるときには、その何かに「真新しさ」や「見慣れなさ」がなければなりません。ひとは見慣れた風景には鈍感になり、見慣れないものには敏感になるものです。

 

 たとえば読者というものはマンガに対してある種のリアリティを求めるものだと仮定してみましょう。(マンガの良し悪しを語るのに「リアリティがあるか、ないかによって判断するひともいるでしょうから。)リアリティを求める読者にとって、表現方法に意識を向けて、見慣れない描きかたを追求するこうの史代という作家は魅力的に映るはずです。なぜなら、こうの史代は表現方法と登場人物および彼らのドラマとがあたかも結婚したかのような〝見せかた〟ができる作家なのですから。

 

まとめ

 当記事ではこうの史代作品に典型的な登場人物像と表現方法への意識の高さとを見てきました。『長い道』という作品にはそのどちらともが含まれている、ということを。

 肝心の『長い道』の内容やテーマについてあまり触れませんでしたが、ここではそのことを書いておきます。

 とても陳腐な言いかたになってしまうのですが、『長い道』には「不格好なふたり、けれども、ともに暮らすことになった夫婦のくらし」が描かれています。カイショなしの夫とノー天気な妻との夫婦生活は、不器用というよりかは不思議です。

 個々のエピソードはそれぞれ実験的な表現方法がなされています。独特の描きかたはそれぞれのエピソードをより読者の心に迫るものにしています。

 読み終えて全体をイメージしようとすれば、そこに見えてくるのは「ひとつの生活の風景」です。

 最後のページに差し掛かるとき、読者は、ふたりはこれからも夫婦という「長い道」を歩んでいくのだろうなという予感をおぼえつつ作品を読み終える。――そんな作品です。

 

 最後に、『長い道』のカバーそでの部分に書かれているこうの史代の好きな言葉を引用しておきましょう。その言葉にはこうの史代という作家が掲げているテーマが透けてみえるように思うのです。

私はいつも真の栄誉をかくし持つ人間を書きたいと思っている」(ジッド)。

_了

参考資料

こうの史代『長い道』,双葉社,2005

 

こうの史代『夕凪の街 桜の国』,双葉社,2004

 

こうの史代『この世界の片隅に 上』,双葉社,2008

 

こうの史代『この世界の片隅に(前編)』,双葉社,2011

 

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