【刺激の裕福層】不器用な人のための「多動力」入門|+坂口恭平

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多動力。聞いたことがあるのではないでしょうか? 堀江貴文の同名の著書『多動力』で提唱された “生き方” のことです。とはいえ、多くの自己啓発本がそうであるように、「不器用な人」にとっては有効活用できない、かもしれない。というのも同書で語られる「完璧主義ではなく完了主義を!」という主張は、サクサク仕事を終わらせることで一つの仕事に囚われるのではなく多くの仕事に手を出すのだと発破を掛けるのですが、これができる人って元々「器用な人」ですよね? これが〈多動力〉のネックになっている。──この記事ではその仮説に立ち、坂口恭平の『まとまらない人』をヒントにして、〈多動力〉概念のブラッシュアップを試みます。
この記事で取りあげている本
 

【不器用な人のための多動力】刺激の裕福状態を目指して|+坂口恭平

堀江貴文の『多動力』を坂口恭平の『まとまらない人』から読む

ホリエモンこと堀江貴文の話をすると、距離をとろうとする人がいます。とはいえ、彼が世間の話題になる、おもしろい人物であることも確かです。何かと注目を浴びているのも周知のことでしょう。わたしもおもしろい人やその言動には関心があるので、堀江のことも自然と目に入ってきたのでした。
そんなホリエモンが2017年に出した『多動力』という本があります。千手観音像が描かれた帯には「何万の仕事を同時に動かす「究極の力」」と書かれており、ビジネスライクな啓発本として大いに売れた、のだとか。
帯の裏にも「「多動力」とは、「自分の人生」を1秒残らず使い切る生き方のことだ。」と書かれています。これなんかを見ても効率重視で無駄を削減することに血道を上げる現代人には “ブッ刺さるキャッチコピー” ではないでしょうか。
多動力とは読んで文字の通り「動きまくる力」のことです。
以下では堀江貴文の『多動力』を読みながら、「器用貧乏/不器用裕福」の観点からツッコミを入れつつ、まとまらない人・坂口恭平の『まとまらない人』の視点を経由して「多動力」の概念を楽しんでいきます。

周りをドン引きさせるほど何かにハマる「極端人間」のススメ

動きまくる力がわざわざ「多動力」という形で提唱される必要があるのか? この理由を考えて見ると、ひとどころ(=1箇所)に捉われている人たちが多いから、と言えるでしょう。
『多動力』の本のなかで挙げられているのは目の前の仕事が長引いている状態ですが、もっと言えば一つの関心、一つの役職、一つの会社だけに時間を使っている状態のことだと考えられます。
堀江はミーティングや電話などのリアルタイムの対応を求めてくる連絡を「同期通信」、メールやLINE、メッセンジャーなどのリアルタイムではない連絡を「非同期通信」として分類し、前者はこちらの時間を強制的に奪ってくる害悪なのだと語ります。
同期通信と非同期通信の話もまた、ひとどころに押さえつける類いの、多動させない力を嫌う堀江の感受性およびその考え方がうかがえるでしょう。
堀江が嫌うものを挙げることで、「多動力が要請される必然性」にも共感できるかもしれません。先に挙げたこちらの時間を奪ってくるミーティングや電話などの「同期通信」もそうですが、他にも印象的なの学校や家庭などの教育現場で子どもが周囲から浮いてしまうことを憂慮する姿勢です。教育現場でどのような価値観が幅を利かせているのか。これを言い表すのに堀江は「バランス教」という言葉を使っています。
バランス教とは、その名の通り、 “平均的であれ” という信条のもと、個々人の持つ微妙な差異(=個性)を圧殺する力です。たとえば「好き嫌いをなくしましょう」ってのなんかはまさにロボット作りでもしとるんかいな!とツッコミたくなるような「平均人間像」の押しつけです。よーするにあれを人にさせようとする価値観のことですかね。
堀江が説くところでは、周りをドン引きさせるほど何かにハマる「極端人間」になることをススメます。なので、大人たちが「お前大丈夫か?」などと言わせるもの=バランス教を告発するのですな。
堀江が提唱する多動力では、何かに極端にハマると共に、ある程度手をつけたら次の何かに手を出してみる生き方を説きます。──これは言うなれば「器用貧乏」のようなもので、器用貧乏と違うのは、器用ではなくて “不器用であっても構わない” と語る点です。……いや、堀江自身はそう言ってないか、これはわたしの誤読です。
 

器用裕福にはなれない人が進むべき「不器用裕福な人」

しかしこの誤読は結構重要で、堀江は経歴の手広さからもわかる通り器用人です。器用だからこそ、たとえば以下の「多動力」の核心ともいえるだろう発言の内容を、おそらくは “言葉の通りに” 実行することができてしまう。
目指すべきは、完璧ではなく、完了だ。
目の前の仕事をサクサク終わらせ、次に行く。そして前の仕事には戻らない。
「完了主義者」こそ、大量のプロジェクトを動かすことができる。
(『多動力』,p48)
目の前の仕事を完璧にこなすことを目指す「完璧主義」ではなくて、 “終わらせる” ことに重点を置いた「完了主義」であれ。──そう語るわけです。
以前「完璧主義」ではなく「最善主義」であれ、といった主張をする古川武士の『力の抜きどころ』という本を取りあげましたが、『多動力』はそれにも通じているでしょう。
とはいえ、そもそものところで「目の前の仕事をサクサク終わらせ、次に行く」というのが “一種の名人芸のように” 見える向きもあります。不器用な人は少なくないわけで、だからこそ成功者のマネをしきれずに挫折する人は跡を絶たないわけですから。……この点で、堀江貴文は(少なくとも現に不器用であることで貧乏な状態にいる人からすれば)「器用裕福」とみなせるのではないでしょうか。
『多動力』も『力の抜きどころ』にしても盲点になっているのはそこなのではないかと考えます。いくら「完璧主義はよくない」と思っても、ある程度の質を要求されるときには、目の前の仕事をサクサクは終わらせられなくなってしまうのですもの。つまり、「完了するための力加減」ができないのですね。
そういうわけで可能性としては、器用貧乏になれない人に向けた「不器用裕福な人になる」といった方向性を考えたほうがいいんじゃないでしょうか。
この路線はまとまらない人・坂口恭平が教えてくれます。彼の語り下ろし本『まとまらない人』は、いわゆるビジネスの話ではなく創作の話が主体ではありますけれど、一面では堀江貴文の「多動力」と重なります。なにせ「まとまらない人」というタイトル自体が〈ひとつのこと〉に留まらず〈いろいろなこと〉に手を出している坂口恭平その人の姿を反映しているのですから。

不器用ゆえの刺激の富裕状態になるために「多動力」を

たとえば『まとまらない人』には「「多様なことをする」を日課にする」という小節があります。小学生が夏休みになる前に休み中の一日の過ごし方を決めておく、みたいなことです。それで一日のうちに「より多様な刺激」を体験できるように設定するんですね。つまりは「多動」。ここで重要なのは、あくまでも決められた時間のうちで日課を行うという点です。「時間を過ぎたら、たとえできあがっていなくても、次のことをやる」(p69)──このことを押さえて「一つのことに集中しすぎて、他のことがおろそかになる」のを防ぐ。その結果、一日を過ごして得られる刺激は豊かなものになるのです。
以上の坂口のやり方は「不器用貧乏な人」に対する処方箋になるでしょう。彼は自分の電話番号を公開して「いのっちの電話」というものをやっていますが、それはつまり死にたい人のライフラインです。死にたくなる人は決して器用とは言えない人。坂口が電話口で説くのはそうした不器用な人たちへの一種の処方箋になっているので。紹介した「日課作り」については、「自分で自分の薬をつくる」といった言い方で語ってもいたはず。──ずばり本のタイトルも『自分の薬をつくる』。
不器用な人たちが器用になるのではなく、むしろ器用にならないでいることに価値を見出す。坂口はこんな言い方をしていました。「下手うまの「うま」にしない。下手なままやるっていうか。覚悟のある所作で、やるしかない下手だから。」(p251) 器用になって「うま」ができるというのは、いわば「刺激を感じなくなる」ことです。刺激がなければ、一種の貧乏状態に陥ります。どういうことか?
不器用な人は得てして不器用であるがゆえに〈ひとつのこと〉に集中してしまう。それは夢中になっているという意味では良いことでしょうが、刺激の総量からすればショボいのです。肝心なのは「刺激貧乏」にならないこと。そうではなく「刺激裕福」な生活を送ることが大切になる。刺激の貧乏状態を避けて刺激のある状態に自分を持っていかなければならない。──これが「多動的である」ということです。
堀江が『多動力』の本のなかで語った「バランス教」のことを思い出しましょう。「平均的であれ」と個々人の異様な興味関心=個性を圧殺する価値観のことです。小学校や中学校、高校なりのスクールライフを思い出してみると、校則によって虐められた思い出が誰しもあるでしょう。あるいは自分がそうでなくても、その規則を破るために躍起になっていた級友の姿を覚えているかもしれません。そうしたスクールライフは波風が立つのを抑えた、刺激的なものを可能な限り縮減するものだった。
器用貧乏も不器用貧乏も、バランス教が敷いたスクールライフ的な現実がキツいのではないでしょうか。その「キツい現実」に対抗するためにこそ、 “器用であるよりも不器用であれ” といった、「不器用であるがゆえの刺激の富裕状態」を目指すのはアリでしょう。そうした姿勢を生きるためにも、「多動力」の標語は有効なのです。
_了

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