【MOTHER】小説版で描かれる母性の神話|+オカルトとユング

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どうも、ザムザ(@dragmagic123 )です。今回は小説家・久美沙織による小説『MOTHER』を読みました。この夏にBOOKOFF橋本津久井街道店で購入しました。購入店を書いたのはなんとなくです。案件ではありません(笑) ゲーム業界では伝説的な名作として知られる作品の小説版。オリジナルストーリーとあって事前知識などもなく楽しめました。この記事ではそんな『MOTHER』のタイトルを掘り下げていきます。
この記事で取りあげている本
この記事に書いてあること
  • 小説版『MOTHER』では視点人物をヒロインのアナに設定している。そうすることで少年少女の出会いのストーリーだけでなく、少女が自身の母性を成長させていく物語にもなっている。つまり「ボーイミーツガール」であると共に「ガールゴーズマザー」の物語でもあるのだ。
  • 『MOTHER』は “超能力” や “UFO” 、”音楽による平和の実現” といった1970年代のカルチャーの影響が見てとれる。タイトルになっている「MOTHER」も心理学者であるユングが全体性の回復を説いたように、母性への回帰の意味合いがあることを読み取れる。
  • 小説版『MOTHER』のラスボスが悪事を働く理由は「母親からの愛情を十分に得られなかったから」である。「母親の愛情」の重要性は「人格の全体性」や「世界の平和」にも繋がるヤバいものなのだ。
 

【MOTHER】小説版で描かれる母性の神話|+オカルトとユング

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はじめに

 『MOTHER』という名作ゲームがあります。秀逸なシナリオばかりでなく、音楽の素晴らしさも語られる作品です。コピーライターである糸井重里がたずさわったゲーム作品としても知られています。そんな『MOTHER』には小説家・久美沙織によるノベライズもされている、しかもオリジナル・ストーリーで。
 筆者も「MOTHER」の名前は知っていて、学生時代にGBA版をプレイしてはいたものの、ついぞ作品全体のストーリーの把握にまでは至らずにいました。なぜタイトルが「MOTHER」なのかも、とーぜん、わからずにいたのです。
 しかーし、しかし。
 ついに筆者にもツキが回ってきたようで、この度、小説版『MOTHER』を味読することができました。そして、これまで気がかりだったタイトルが「MOTHER」である理由にも触れることができたのでした。
 さて、この記事が書かれた理由も、長年わたしが気になっていた『MOTHER』が「MOTHER」である理由に掛かってきます。以下、わたしの読後感と読書歴をめぐってその理由を探っていくことにしましょう。
 

登場人物

  • アナ…修道院に父と暮らす、超能力者。ケンとの間に特別な絆を感じているティーン
  • ケン…草野球で鍛えた体と超能力で世界を救おうとするティーン
  • ロイド=メカに強いオタクのようで女の子に優しい王子様タイプでもある母親思いのティーン
  • クイーン・マリー…すべてのこどもたちの母。幻想の国マジカントの女王
  • ギーグ…超能力を備えた宇宙人、母親の愛が不足して性格がこじれてる。たぶんティーン

あらすじ

ケンはエスパー(PSI)だった。ロイドはメカに強かった。二人は世界の異変に気付いていた。ひいじいさんが残したメッセージを解読できたケンは魔法の国マジカントに行く。そして『すべてのこどもたちの母』であるクィーン・マリーと会う。狂いつつある世界を救うには七つのメロディを集めなくてはいけないと教わり、二人は再び旅に出るのだった。
 
──ここからが小説版の『MOTHER』──
 
毎晩、夢の中で二人の少年の旅を見ている少女がいた。名をアナという。そんなとき夢で見知った二人──ケンとロイドが彼女の暮らす教会にやってくる。ケンよりも強力な超能力を使えたアナは、彼らの旅に加わるのだった。
 
アナはケンに恋をする。ロイドはアナに恋をする。ケンはそんな二人に呆れるそぶりを見せつつも、アナに惹かれていく。彼女は異性として、ケンとロイドに対する気持ちに戸惑います。それに加えて、アナは彼らに対する母としての自己が目覚めていく。
 
旅の途中、マジカントに寄ると、ケンとロイドがふぬける。それを見たアナはムッとする。これは『すべてのこどもたちの母』であるクィーン・マリーなりの「甘やかし」とでも呼ぶべきおもてなしによるものだったのですが、アナはなんだか気に入りません。それぞれがアイテムを授受されてから、別れ際にアナはクィーン・マリーから次のように言われます。
 
あなたとわたくしはある意味ではきっぱり敵、そうして、まったく同じものでもあるのよ
 
旅は続き、メロディも揃い、世界を狂わせる元凶ギーグとの対決、明らかになるれるそれぞれの因縁の果てに、『MOTHER』が時を超えた「母(MOTHER)」をめぐる物語であることが示される。
 

母になるヒロイン・アナ

ここでは、小説版『MOTHER』の、少年少女の出会いといった恋愛の軸だけでなく、母子の意識の目覚め及びその成長を描いた点を取りあげます。また、女としてだけでなく母としての自己を意識するヒロイン・アナの様子も紹介します。

男女関係と母子関係の二つの軸を描いた小説版

 『MOTHER』の物語のなかで際立っているのは二つの軸です。一方には少年少女の出会いが「男女の関係」としてあり、他方には少女が独り立ちしようとする子どもを見守る母親になっていく「母子の関係」がある。言い換えると、片っぽには「ボーイミーツガール」の軸があって、もう片っぽには「ガールゴーズマザー」の軸があるのです
 多くのストーリーでは男女の関係、はたまた「恋愛関係」を描いているのは周知のことでしょう。古くは紫式部によって物された『源氏物語』や、西洋に目を向けるとシェイクスピア劇の『ロミオとジュリエット』にも見受けられるひとつの偉大な典型と言っていいものです。近頃では新海誠監督の映画『君の名は。』ならびに『天気の子』を語る口調のなかに「ボーイミーツガール」の言葉を聞いたこともあるのではないでしょうか。つまり、ラブストーリーは物語の王道として君臨している作劇様式なのです。
 また、恋愛関係と言っても異性間だけのことに限らず、誰かと誰かとの間に “より強く惹かれ合う結びつき” が生じることは、そのことだけでストーリーの魅力となります。そうした惹かれ合う両者の関係のバリュエーションを描くことがストーリーの醍醐味なのだ、と言ってもいいでしょう。
 小説版『MOTHER』の興味深いところは、上述のような「恋愛関係」だけではなく「親子関係」さえも描いてみせるところにあります。たとえば宮崎駿監督の映画『天空の城ラピュタ』や『風の谷のナウシカ』などもまた「母子の関係」をヒロインの姿を通して描いていますが、「男女の関係」とのバランスで言えば偏りがあります。しかし小説版『MOTHER』ではその二つの軸を両立させようと試みている。そしてその二つの軸──「男女の関係」と「母子の関係」が交わるところにいるのが、小説版『MOTHER』の主人公視点になっているアナなのです
 

恋をしつつも母性に目覚める

 アナの母性に注目すると、彼女の叙述があからさまに母親の視点に “なりきっている” のがわかります。たとえばラスボス・ギーグとの決戦の前に、ロイドと彼の父親との関係を心配するアナはおせっかいを焼いてしまうのですが、それが余計なことだったと悟る場面があります。このときアナは子どもが巣立っていく様をロイドの姿に見てとるのですが、次のように述懐しています。
 母性本能なんて自覚したことはなかったし、例えば遠い将来に誰かのおかあさんになることがあっても、きっと理性と理解のある偉い母親になろうと、決心していたのでした。こどもを自分の所有物のように考えたり、相手のためにならないような甘やかしかたをしたり、ヒステリックに厳しくしたりは、けしてしないはずでした。息子や娘が自分のそばを巣立ってゆくその日にも、笑って、いってらっしゃい、しっかりね、と言える、強いこころを持っているべきだと思っていました。
 呑気にも。それが、どんなに難しいことなのか。知りもせずに。
 ……だって、この痛み……!
 何かをなくしてしまったような、大切なものが奪われてしまったような、二度とこの手に戻ってこないような。寂しいと言ったらおおげさかもしれない。悔しいと言ったら間違っているかもしれない。けれど、痛いのです。痛みがあふれて、涙になりそうです。がらんと広い部屋の中にたったひとり取り残されたら、こんな感じでしょうか。(325-326)
 めちゃめちゃ母親やってますね。挙句の果てには「もしも、これが、自分のお腹を痛めたこどもの場合だったら。」などと思ってのけるのです。アナはハナっからこういうふうに考える女の子ではありませんでした。旅をした結果、彼女の母性が成長していったのです。
 驚くべき(と言うべきか)は、アナが自身の母性を感じつつある対象というのは、彼女が異性として意識している男の子に対してなのです。俗な言い方として、女性は恋愛相手に由来する感情を “自分が女であることを感じさせてくれる” という含みを込めて「自分を女にしてくれる・させてくれる」などと言います。アナの場合にもケンやロイドに対して(少女漫画よろしく)胸をときめかせることもあるのですが、そのように感じた同じ相手に母であるかのような気持ちを抱く。それはさながら「自分を母にしてくれる・させてくれる」と感じていると言っても過言ではないでしょう。

MOTHERとエヴァンゲリオンの共通点

余談ですが、『新世紀エヴァンゲリオン』では主人公・碇シンジがヒロインの一人である綾波レイに対して異性としての意識を持ちます。この点で「ボーイミーツガール」ではあるものの、それと同時に綾波レイは──碇シンジの母親の生体情報を持つために──碇シンジの母親のような存在でもあるので、彼が彼女に惹かれるときには自分の「母親を求める心性」に由来するかもしれず、その点から『新世紀エヴァンゲリオン』のストーリーにも男女関係のうちに親子関係の軸が折り込まれた作品として数えることができます。
 

母を求めるラスボス・ギーグ

ここでは、『MOTHER』のモチーフにオカルトブームの影響を見つつ、世界の調和を回復するというコンセプトを、UFOを “現代の神話” として解読したユングの提唱する「全体性=母なるものへの回帰」に目配せしながら、小説版『MOTHER』においてラスボス・ギーグを狂わせた「母親からの愛情」の偉大さを見ていきます。

オカルト、Love & Peace、ユング、MOTHER

 『MOTHER』に登場する要素を並べるとおおよそ次のキーワードが挙げられます。超能力、UFO、メロディ…そして母親。──これらの諸要素には『MOTHER』が、ある種のオカルト文化の澪を引いている気配を思わせます。
 というのも本邦では、1973に『ノストラダムスの大予言』や『日本沈没』などの「終末ブーム」があり、そこへ双対をなすように「UFOブーム」もありました。翌年には超能力者ユリ・ゲラーの来日に象徴される「超能力ブーム」もあります。
 また、70年代にビートルズを解散して平和運動にもたずさわったジョン・レノンの姿を浮かべることもできるでしょう。ジョンが「Imagine」を発表したのは1971年です。同楽曲は人類愛と平和とを讃える音楽作品として世界的に知られています。無論、そこで回復されようとしていた平和とは、”母なる” 地球の平和に他なりません。
 オカルトに部類することもある心理学者カール・グスタフ・ユングの理論を連想することもできるでしょう。ユングは『空飛ぶ円盤』(1976/1958)のなかで、神話や錬金術などのさまざまな資料を引きながら、世界中でUFOが目撃されるようになったことを「危機に瀕した集合無意識からの人類に向けたメッセージなのだ」と解読しています。ユング心理学では特に「人格の全体性」に到達することが重視されているのですが、このコンセプトは意識と無意識とを「子どもと母親」に見立てるとすると、人が個性化することを通して人格の全体性することは一種の “子どもと母親との和解” といった形になるでしょう(ここでの母子イメージはあくまでも “一個における人格の個性化” という形になるので、一方に子どもがいてもう一方に母親がいるといった別人格同士の関係とは違います。)。つまり、ユングが語る集合無意識は個人の人格ひいては人類そのものの全体性を構成する広大な未開の領域であり、その全体性の回復はある種「母のようなものへの回帰」といった構えにもなる、そしてそれこそが彼の説く「個性化」なのです
 (ちなみに、ユング自身がUFO現象を抽象的に語った「集合無意識からのメッセージ」の説明は、原田実による『オカルト「超」入門』の帯文だと「ソ連への恐怖がUFOを生み出した!」といった、より具体的な説明によって書かれています。)
 ──以上の文化潮流の余波は、1989年発売の『MOTHER』の世界を構成する「超能力・UFO・メロディ」にも見て取れるでしょう。なにせ、「超能力を縁にして巡り会った少年少女が、平和を回復のためにメロディを集め、それを聴かせることでエイリアンに母親の愛を教える」のが『MOTHER』なのですから。
 

母親の愛情──掛け替えない必要不可欠な母性

 小説版『MOTHER』を読んでいると、しきりに「母親からの愛情は大切である」というメッセージがリフレインされていることに気づきます。作中で超能力を使う赤ん坊が出てくる場面では、その赤ん坊をして「ぼくが超能力を使えるからと言っても、母親からの愛情が要らないことにはならないんだよ」(大意)と語っています。じっさい、ラスボスであるギーグは「超能力は使えるのに母親から愛されずにいた」ことで悪事を働くことになっている。ちなみにその悪事は、自分が欲しかったのに得られなかったもの──母親からの愛情を、母親のいる子どもから取りあげてしまうことでした。
 『MOTHER』のストーリー上の目的はメロディを探すことでしたが、そのメロディは幼いギーグに実母が歌ってくれた子守唄(ララバイ)だったのです。集められたメロディがひとつながりに歌われたとき、世界の壊れは回復されます。
幼いものたちは、もうみな幸福そうにうっとりと瞳を閉じて。親なるものたちは、誰しもきっぱりと胸を張って。そばに誰かがいれば互いに手を取り、ひとり彷徨っているものたちもたいせつなひとのことをしっかりと考えながら。同じひとつのメロディに、みんなのこころがひとつに溶けます。この愛すべき世界を、次代への期待を、生命のめぐみへの感謝の祈りを、高らかに謳い上げるのです。(p361-362)
 『MOTHER』は、海外では『EarthBound』──日本語にするなら「地球圏」あたりになるでしょうか。──というタイトルで流通しています。人類の一体性を謳うキャッチコピーとして知られる「母なる地球(Mrther Earth)」や「宇宙船地球号(Spaceship Earth)」などと言った表現と重なるところがあるでしょう。あるいはユングにも「グレート・マザー(Great Mother)」の用語があり、慈愛(それから束縛)を意味する母性的イメージを指示します。
 「Mother」にせよ「EarthBound」にせよ、掛け替えようがなく、それでいて必要不可欠であり(だからこそ有限性も示唆する)、「人類愛」や「平和」などと共に人々が団結するためのメルクマール(指標)となる言葉なのです。

 

おわりに

 『MOTHER』は1970年代からのオカルトブームの影響を見ることができ、音楽の力によって地球に平和もたらすコンセプトはジョン・レノンの歌った「Love & Peace」の気配がある。テーマに注目すれば、小説版『MOTHER』の一面にはヒロインであるアナが母親──作中では「母親もどき」(326)と書かれている──になるというものがあり、他面では、母親の愛情に飢えたギークが母親の愛を知ることがテーマになっている。
_了

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