- 『モテ考』は〝モテとは何か〟をマイナスから考えるマンガ
- モテるためには他人に興味を持たければいけない
- モテるためには他人に対する好意をケチってはいけない
- 他人への意識が弱くて自分への意識が強いひとは自意識過剰
- 〝モテ〟の反対は〝自意識過剰〟
- 空想的なモテは自意識過剰で、現実的なモテは他人への興味、そしてやさしさである
- 趣味を超えて他人とつながることが人生の充実につながる
- 〝モテ〟の後の課題は〝ラブ〟になる
モテないあなたにもワケがある──敵は自意識にあり!|モテ考
『モテ考』への期待
恋活、婚活、
幸せのかたちは様々ですが、そのひとつの在り方に恋人ができて、そして結婚する……そんなルートが世の女性たちの人生の一大コンテンツのひとつとなっていることはたしかでしょう
しかし、そのためには相手がいてくれなくてはなりません
モテることが意味を持ってくるのは他人が自分のことを「いいなぁ」と思ってくれることに掛かってきます
たとえ結婚する気がないにしても、たとえ恋人をつくる気がないにしても、です
モテたい、けど、モテない――そのような想いに悶々とするひとは多いでしょう
緒方波子の『モテ考 30歳独身漫画家がマイナスから始める恋愛修業』(以降『モテ考』)は、副題にあるように、30歳という恋活にも婚活にもビミョーなお年頃の漫画家が、〝モテとは何か〟と向き合う体験レポート型コミックエッセイです
モテに悩むすべてのひとのためになるような、「まさに! まさに!」というテーマの本なのです
もちろん副題に〝マイナスから始める〟と書いてあるように、モテていなかった、いや、モテるはずがなかった状態からの恋愛修行ですから、モテとは何なのかのゼロ地点を考えるところからはじまるに違いありません
――と、いうわけで
『モテ考』を読めばモテるためのお勉強ができるに違いない!

『モテ考』の内容
あんのじょう、主人公であり作者自身でもある波ちゃん(なみちゃん)はモテません
そもそも出発がマイナスであるため、〝モテとは何か〟さえイメージできないのです
《人間は考えるモテである》という話では、友人の岩井さんにモテについてどんなイメージを持っているのかと訊かれた波ちゃんは「色々な人から好かれる」「色々もらえる」「動物から好かれる」…etc.などといった、ほんわかぼんやりとした答えしか言えません
波ちゃんは、岩井さんに「無理だよ」と言われて次のことに気づきます
現実的な〝モテ〟のイメージすら出来ていない事に気づいた作者!
緒方波子『モテ考 30歳独身漫画家がマイナスから始める恋愛修業』,KADOKAWA,2017,p26
以降、モテについて真剣に考えはじめた波ちゃんこと作者は、コスメにこだわったり、婚活パーティーに行ったり、はたまた執事喫茶に断食修行にと出かけます
そんななかですばらしいのは友人知人の的確なアドバイスです
アドバイスを受けるたびに波ちゃん自身の問題点が浮き彫りになっていくのです
ざっくりと波ちゃんの問題点を書いてみると、以下のように挙げられます
- 波ちゃんはケチなんだよ ケチはモテないよ(p33)
←相手より自分の好意が高い状態にイラついてしまう
自分が他人に好意を与えることに出し惜しみする
- もう30歳なんだから人と関わることから逃げないで!(p75)
←波ちゃんはひとりで行動することが前提になっている
自分以外のひとと関わることのなかで愛されるという〝モテ〟の根本を見ていない
- 波子さん「モテ勘」ないっしょ? この子 俺の事好きかなーとかモテる時の勘っすよ! あっそっか モテた事がないから分からないんすね!(p111)
←〝モテ〟を知るために〝モテ〟が必要な状態が波ちゃんにはない
趣味で充実しているので他人を必要としていないから、自分の興味の対象に他人が入る余地がない
読者は波ちゃんの〝モテなさ〟を知っていくことで、モテのイメージを波ちゃんと共に知っていくことになるのです
波ちゃんの奮闘の結末は……ぜひ、本編をご覧になってみてください。

『モテ考』の理解
『モテ考』は〝モテとは何か〟を主人公であり作者でもある波ちゃんと共に考える作品なので、『モテ考』を理解することは〝モテ〟についての理解、ということになるでしょう
筆者の理解したところを書く前に、〝モテ〟のマイナスとは何かを確認してみましょう
〝モテ〟のマイナスからはじまった波ちゃんはモテるために試行錯誤します
そんななか、ナビゲーターでありパートナーでもある鳥から次のようなお言葉を頂戴するのです
自分に興味ない人とか 質問しない人とか 君の「人を好きになる理由」おかしくない?
緒方波子『モテ考 30歳独身漫画家がマイナスから始める恋愛修業』,KADOKAWA,2017,p96
鳥がそのような疑問を波ちゃんに向かって言ったのも無理ありません
それは、婚活パーティーでのことでした
波ちゃんは婚活パーティーでの質問タイムにて、当然ながら自分の前に順番で回って来た男性から質問を受けます
質問された波ちゃんは疲労感を覚えます
そんななか、自分に対してほとんど無関心に見える男性が波ちゃんの前に来ます
波ちゃんは思うのです
「この人……イイ!!」
波ちゃんはこのときの自分の心境を次のように語り(弁解し?)ます
私は野生動物のように警戒心が強く よく知らない人に興味を持たれる事が非常に苦手なのである そのため好意的に質問してくれる人よりも 私に全く興味がない人に好意を持ってしまうという ねじれ現象が発生する
緒方波子『モテ考 30歳独身漫画家がマイナスから始める恋愛修業』,KADOKAWA,2017,p88
自分にまったく興味がないひとに好意を持ってしまう
そのような波ちゃんの姿勢に対して、さきほどの鳥の言葉は向けられるのです
波ちゃんの考え方は変です
なぜ変なのかというと、それはモテることとは正反対な願望だからです
波ちゃんは自分に興味がない他人には興味を持ち、自分に興味を持つ他人は拒絶してしまいます
言い換えれば、他人が興味のない自分には興味を持ち、他人が興味を持つ自分には興味がないのです
波ちゃんは自分が自分であることの意識が強くて、その逆に、他人が他人であることへの意識が弱いのではないでしょうか?
一般に、他人への意識が弱くて自分への意識が強いひとを「自意識過剰」と言います
【『モテ考』の内容】で確認した、波ちゃんが友人知人から指摘された問題点を思い出しましょう
波ちゃんは他人に愛情を与えることにケチで、他人と関わることから逃げていて、それからそもそも他人を必要としていないのでした
つまり、〝モテ〟の反対は自意識なのです
モテないひとがモテるためにする修行は、自身の過剰な自意識との格闘になるのです
『モテ考』――それは、モテずに30歳まできた女性の凝り固まった自意識をほぐしていくプロセスが描かれている作品なのでした

『モテ考』からの展開
モテの反対は自意識だ!
『モテ考』は〝モテとは何か〟を考えた結果、その逆の、〝どういう状態がモテないのか〟を浮き彫りにしました
『モテ考』の波ちゃんから見て取れるモテない状態は、一言で言えば「自意識過剰」です
つまり、モテの反対が自意識なのです
なので、『モテ考』は〝どういう状態が自意識過剰じゃないのか〟を考える作品でもあります
幸いなことに、波ちゃんのまわりには自意識過剰ではないひとたちが沢山いました
『モテ考』のなかで自意識過剰ではないひとの行動は、他人に好意を与えることを惜しまず、他人に興味を持ち、他人の話に耳を傾けられる――などであることが描かれています
以上の〝自意識過剰ではない行動〟は、特別な才能がいることではありません
むしろそれは日々のおこないです
ひとにやさしく――これに尽きるでしょう
ひとにやさしくすることは、能力というよりかは習慣です
日々の習慣のなかで他人を気遣う
そういった積み重ねが他人に興味を持たれる自分を形づくっていき、『モテ考』が目指す〝モテ〟へと近づいていけるのです
【『モテ考』の内容】のなかで触れましたが、波ちゃんは「現実的なモテ」をイメージできませんでした
波ちゃんはがイメージしていた〝モテ〟は、自意識過剰な「空想的なモテ」だったのです
自意識過剰ではない〝モテ〟の状態こそが「現実的なモテ」なのであって、間違っても他のひとと関わることを避け続ける生活のなかでは、他人に興味を持たれること――つまりは〝モテること〟はありません

趣味を越えたつながりを持つ!
また、波ちゃんは「自分には趣味があるから、ひとりでもさみしくない」とも言います
しかし、波ちゃんの「自分はひとりでもさみしくない!」という態度は、結局のところ「わかるやつだけわかればいい!」という態度と同じなのです
「わかるやつだけわかればいい!」という態度は、自分の趣味を越えて他人とつながること、すなわち、趣味を越えたつながりができないのです
趣味があれば充実する人生は、趣味がなければ充実しない人生なのです
趣味〝も〟あれば充実する人生であったほうがいいし、趣味がなくても充実する人生であったほうがいいのです
どうして趣味の話が人生の充実の話になったのかというと、『モテ考』が恋活や婚活の話でもあるからです
恋人や結婚相手は自分の趣味で選ぶものでしょうか?
それは〝モテ〟とは反対の自意識に基づいた選択になりはしませんでしょうか?
恋人や結婚相手は趣味ではなく、他人です
趣味嗜好〝でも〟選ぶにしても、趣味嗜好〝だけで〟選ぶものではありません
ひとが他人に惹かれるときは「このひとなんかいいなぁ」「一緒にいて楽だなぁ」――といった、うまく言葉にできない〝感じ〟に惹かれます
それは〈物〉に対して感じることとは違います
〈物〉に感じる良さは、あくまでも趣味に合うという感情です
〈人〉に感じる良さは、情緒が溢れるような、そんな感情です
わたしたちは〈人〉に恋をして、そして縁があれば結婚します
だからこそ、恋人や結婚相手という人生の充実に関わる決定に〝趣味だけ〟を基準にすることには注意をしなければなりません
『モテ考』は「他人に恋をする/されること」をテーマにしていましたが、その後の、「他人と付き合うこと」は描かれていません
「他人と付き合うこと」のなかでは、趣味で選んだ相手の〝自分の趣味とは違う部分〟を直視しなければならないのですから、下手をすると、ただ〝ひとにやさしく〟を心掛けていればいい〝モテ〟よりも過酷なものになるかもしれません
本当に才能が必要になるのは、むしろ恋に関係する〝モテ〟よりかは愛に関係する〝ラブ〟のほうなのかもしれません
そういえば、ひと昔前には新婚旅行をきっかけにして結婚したての夫婦が帰国してすぐに離婚する「成田離婚」なんてありましたが、あれなんかは〝モテ〟と〝ラブ〟の違いを象徴しているでしょう
_了

コメント