趣味で書かれた小説――物語の必然と作家の都合:《物語》シリーズ

小説
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この記事で踏まえられている本――

西尾維新《物語》シリーズ・ファーストシーズンおよびセカンドシーズン,講談社,2006-2011

  1. 化物語(上)』(2006)
  2. 化物語(下)』(2006)
  3. 傷物語』(2008)
  4. 偽物語(上)』(2008)
  5. 偽物語(下)』(2009)
  6. 猫物語(黒)』(2010)
  7. 猫物語(白)』(2010)
  8. 傾物語』(2010)
  9. 花物語』(2011)
  10. 囮物語』(2011)
  11. 鬼物語』(2011)
  12. 恋物語』(2011)

※ファーストシーズンは上記1~6作目、セカンドシーズンは7~12作目に当たる。

この記事に書いてあること――

  •  西尾維新の大ヒット小説である《物語》シリーズは「趣味で書かれた小説」だ。
  •  《物語》シリーズでは〈物語の展開〉よりも〈趣味の会話〉に紙幅を費やす。趣味で書かれている小説として読めば、そこには〈物語の必然〉ではなく、むしろ〈作者の都合〉のほうが前面に押し出されていると言える。〈作者の都合〉とはもちろん、「趣味で書いている」という都合である。
  • 趣味は仕事と対立する。しかし作家が「文体」や「作風」などと呼ばれているものは、作家の個性でありながら、クセでもあり、言ってしまえば趣味だと言うこともできる。
  • 古今東西、名作と呼ばれる小説はどれも極めて個性的である。ゆえに作家が自身の趣味と向き合って書くというのも、充分に作品の個性へと還元されることもある。
  • 西尾維新が趣味を自身の仕事として発表したことは、自分が趣味で書いた小説が、読者を充分楽しませることができるという確信があったからである。
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《物語シリーズ》はどんな本か

小説家:西尾維新

 西尾維新という作家がいます。そして彼には《物語》シリーズと呼ばれる一連の作品があります。この組み合わせが、日本のライトノベル界隈でかなりの力を持っています。

 

 西尾維新は小説家です。《物語》シリーズが有名であり、さらには彼の小説の見つかる棚が、たいていライトノベル文芸の棚であることからライトノベル作家だと見られる向きもあります。しかし実際は講談社の文芸誌『メフィスト』から誕生した「メフィスト系作家」であって、西尾のライトノベル作家としての顔は、数あるうちのひとつである――と捉えたほうが正確でしょう。
 西尾の、(書き手にせよ、読み手にせよ)日本の小説界への影響は大きいです。
 たとえば、ライトノベル界隈でラノベ作家志望者がラノベ作家になるための登竜門と呼ぶべき新人賞の応募作品には、ダントツで〝西尾維新っぽい〟文体の小説が送られるそうです。(※)
 程度の差こそあれ、小説家という身分に憧れるひとはなんらかの小説を読むことをきっかけにするでしょう。それを考えれば、投稿者が軒並み西尾維新っぽい小説を書くようになってしまうという事実は、西尾の読者への影響力の大きさを物語っていると言えます。
 また、偉大な作家には大抵あるように逸話も多く、そのうち執筆に関する逸話には、1日の執筆量が3万字にものぼるというエピソードがあります。元々は2万字だったそうですが、読書をする時間を確保するために1万字増やしたとのこと。卓越した執筆速度です。この点にも、西尾へと、先導者への羨望を向ける作家志望者が出てくるであろう要素を読み取ることができます。 

 

 

《物語》シリーズ

 《物語》シリーズについても2009年のアニメ化をきっかけとして、さまざまなメディアミックスを展開し、今や押しも押されもしないビッグタイトルになっています。
 とりわけアニメ化を担当したアニメーション制作会社「シャフト」の独特の演出技法は、《物語》シリーズというコンテンツに美術的な付加価値を与えました。映像作品として、コンテンツにストーリー面だけではなくビジュアル面での評価も加えたのです。

 《物語》シリーズでは多くのライトノベルがそうであるように、キャラ絵が付いていて、小説にはイラストレーターのVOFANが絵を付けていて、それがアニメ化でも活かされることとなりました。そしてそのキャラを個別に好きになるファンも現れ、キャラものとしての《物語》シリーズを楽しむ重要な要素として成立しているのです。

 西尾はもともとは〝お堅い作品〟として第1話の執筆を考えていました。その試みは西尾の前作《戯言》シリーズがライトノベルとして受容されたことを踏まえたもので、いわゆるライトノベル的なものをイラストなどを使ったビジュアルイメージを抜きにした、活字だけのライトノベルの方向性を探る――というものでした。
 とはいえ以上の実験も、執筆を進めるなかで方向性を変えて、イラストを込みで発表することになります。そういった経緯もあり、シリーズ最初期の頃の作品と種々メディアミックスが決定した後での作品とでは作風が異なっています。いわば、よりライトに、お遊び要素が高まっているとでも言いましょうか……。

 

《物語》シリーズの外容紹介

キャッチコピーという外容

 《物語》シリーズは赤い裸本がなかに入った銀色の箱の付いたかたちで刊行されています。店頭で同シリーズを見つけると目に入ってくるのが箱のほうになるわけです。その箱にはキャッチコピーの書かれたステッカーが貼られているのですが、ファーストシーズンの終盤である『猫物語(黒)』の巻から、ステッカーの数が1枚だったのが2枚になったのです。
 筆者は、《物語》シリーズを理解するうえではその新しく増えたステッカーに書かれたキャッチコピーは象徴的であるように思うのです。
 以下が、ファーストシーズンの『猫物語(黒)』およびセカンドシーズン『猫物語(白)』に加わったキャッチコピーのステッカーの文言になります。


猫パーセント趣味で書かれた小説です。 西尾維新 

 以上の文句で重要なのは〝趣味で書かれた小説〟というくだりです。


 

趣味としての《物語》シリーズ

 西尾維新は、多産な作家です。1日に書き上げる文字数は3万字と言われます。このことからわかるのは西尾の執筆することへの〝たやすさ〟です。
 一般に、執筆はかんたんではありません。小説を書いたことのないひとに小説を書いてみろと言っても、人物も場面も展開もかんたんには浮かんでこず、浮かんだにしてもそれを文章に落とし込むことは決してたやすいことではありません。
 プロの作家でも事情はさして変わりません。作家によりけりではありましょうが、さあ書こうと言ってなんとかなるものではないのです。
 しかし西尾は1日に3万字も執筆することができます。たやすく執筆することができるのです。くわえて彼は本業としてプロの作家であるわけですから、本来は小説を書くことは趣味ではないのです。趣味ではなく、仕事で書くのが小説家なわけですから。
 ところが西尾は《物語》シリーズを書くにあたり(少なくともファーストシーズンの終盤においては)〝趣味で〟書いていると宣言しているのです。

 小説家が仕事で書いたのではなく趣味で書いた小説……。もちろんそれは戯言です。書いたら刊行されることが前提になっているシリーズなのですから、それを執筆することが趣味であるわけありません。

 

 自己言及する《物語》シリーズ

 趣味とは自分にとっての〝好き〟という感情に対応するものです。
 西尾維新にとっても趣味はそのような意味で理解されています。

 西尾の趣味――《物語》シリーズのなかで思い出せば、西尾の〝見た目の描写よりかは会話の内容を重視する〟スタイルに乗っかる形で展開されるサブカル談義などがあります。アニメやマンガのキャラの特徴として広く知られる「ツンデレ」しかり、男同士の恋愛を描いた「BL小説」などに言及しているくだりがあったりします。(たしか『化物語(下)』)

 余談ですが、筆者が宮崎駿の漫画版『風の谷のナウシカ』が映画版よりもはるかに奥深いものだということを知ったのは、《物語》シリーズの作品のどれかで言及されているのを読んだからだったりします。

 たとえば「ツンデレ」「BL小説」「風の谷のナウシカ」のワードを拾ってみるだけでも、仕事的に書かれた小説としてはチャラいように思われます。ある意味では、そういう会話は同じ趣味を持つもの同士のあいだでなされる現実的なものだとも言えますが、一般的なストーリーのある小説の作中人物の会話に出てくるものとしては異質です。なぜなら、それらは作品そのものを語ってしまうことになるのですから。言い換えれば、作品が作品を、物語が物語を語ってしまうのです。

 《物語》シリーズはキャラものとしての側面もあります。ゆえに「ツンデレ」や「BL小説」などの言い方は、作中人物が会話で取り上げている以上に、読者であるわたしたちが《物語》シリーズを語る用語になるはずです。この点から、《物語》シリーズは作中人物によって作品そのものが言及されているものとして読むことができます。

 小説の内容が、小説自体のことを語っているというわけです。自分で自分のことを語る。自己言及ですね。こうした自己言及的な小説は「メタフィクション」と言います。フィクションは虚構、つまりは小説のことで、メタは「超えた」という意味になり、フィクションを超えたフィクション、ようするに自分がフィクションであることがわかっているフィクションのことです。

 《物語》シリーズでは作中人物たちがとにかく自分の趣味嗜好をしゃべりまくります。しゃべり過ぎなくらいです。主人公である阿良々木暦とヒロインAが敢え無くしゃべり、ようやく終わって二人が別れたかと思えば、また別のヒロインBとしゃべりはじめるという始末。

 メタフィクションとして《物語》シリーズを読むと、作品自体への言及を書いている作者(=西尾維新)の存在が透けて見えてきます。趣味で書いているという作者が、その小説で〈物語の展開〉よりも〈趣味の会話〉に紙幅を割いているとなれば、そこには〈物語の必然〉というより〈作者の都合〉のほうが前面に押し出されているという見解を持つことができます。となれば、登場人物が自分の好きなことをネタにしてしゃべっていることも、作者が作者自身を楽しませるネタなのだと読むことができるのです。つまりは趣味ですね。

 

作家にとって趣味とは何か

 西尾にとっては〝書きたいことを書き連ね、楽しんで書いた〟作品が、《物語》シリーズだったのでした。それを趣味だと言うことができるでしょう。

 しかし「趣味」は、なかなか挑発的な言い方です。

 たとえば小説を書くという一事を取っても、「趣味で書いています」と言うのと「仕事で書いています」という言い方を比べれば、後者のほうが読者に誠実であることは明らかです。言い換えますと、たんなる〝自己満足〟ではなくて読者を想定した〝自己表現〟のかたちになっているのかどうかが、〝趣味〟と〝仕事〟とでは説得力の高さが違ってきてしまうのです。

 多くのひとが「自分の好きなことをやって仕事にできたらいいだろうな」と考えます。「趣味を仕事にしないほうがいい」――などと言って、趣味を仕事にしたことのないひとたちが夢を追うひとをクールダウンさせようとするのも、固定観念として趣味と仕事とのくっきりとした違いをイメージしているからでしょう。

 しかし、今やその固定観念はさほど強いものではありません。趣味が仕事になってもいいし、仕事が趣味になってもいい。いかにして既成のイメージを塗り替えるれるかどうかが求められてはいませんでしょうか。

 作家西尾維新が仕事として発表する「趣味で書かれた小説」はどうでしょうか?

 作家は自分の趣味的なクセを売り物にしています。なのでその仕事にはもともと趣味の要素が入ってきます。世間では作家の小説作品に現れるクセを「文体」や「作風」と呼ぶのです。

 しかし作家もプロであるため、自分の作品を「自分の趣味で書いた小説です」などとは言いません。〝業績〟と言うとお堅くありますが、仕事として発表しているのであれば、そのようなお堅い言い方で評されることも無理ではありません。むしろ自然です。にもかかわらず、西尾は自分の小説を趣味だと言うのです。

 とはいえ趣味で書いたという西尾の《物語》シリーズは売れています。「趣味だから売れている」とは言えないでしょうが、「趣味でも売れている」とは言えるでしょう。

 趣味は〝一般的ではない〟という意味もあります。他の誰もが自分と同じ趣味を持っているわけではないだろうということを前提にして成立する価値観です。いわば個性に係わるものです。

 ある小説作品が個性的だということは、その作品の評価にとっては重要なことになります。他の作品とは違っているという事実が、その作品の特徴になり、個性になります。多くの読者は、小説作品が他の作品と同じであるという点を魅力的だとは感じません。他の作品とは違った特徴を持っているという点に魅力を感じます。自分が感じる魅力の傾向を、ひとは「自分の趣味」だと自覚します。多くの読者の趣味に適う名作と呼ばれる作品はすべて、個性的であるからこそ魅力的なのです。

 西尾の、《物語》シリーズが〝趣味で書かれたもの〟だという言葉を真に受ければ、作家にとって自身の個性やクセ、つまりは趣味的なものを作品にすることは、自分の業績にとって誠実な態度になります。名作と呼ばれる作品がどれも個性的であるように、作家自身の趣味をまっとうしたかたちで書かれた作品が、ときに名作と評されることもあるのではないでしょうか。《物語》シリーズがそうであるように。

 

《物語》シリーズのまとめ

 当記事では、あえて、作家西尾維新の戯言じみた発言を真に受けることによって書かれました。それを踏まえれば以下のようにまとめることができます。

 《物語》シリーズは作家である西尾が趣味として書いた小説作品です。元々はイラストのないライトノベルはいかにして可能だろうかという観点から書かれたものですが、そのライトさは次第に作家自身のディライト(喜び)のほうへと寄っていったのでした。

 プロの作家である西尾のディライトは、もしかしたら読者を楽しませることなのかもしれません。だとすれば、西尾が「趣味で書かれた小説」だという《物語》シリーズには、西尾自身の趣味嗜好以前には作家としての強靭な確信があるのではないでしょうか。読者が、自分の趣味を楽しめないはずはないという、強く確かな確信が

_了

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