いかにしてメアリ・ポストゲイトは復讐を成し遂げたのか|キプリング

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どうも、ザムザ(@dragmagic123 )でいる者です。今回はポプラ社の《百年文庫シリーズ》の86巻である「灼」に所収のキプリング『メアリ・ポストゲイト』という短編小説を取りあげます。難解な戦争文学とも称される作品ですが、吾人が気になったのは性差の描き方、あるいは〈女というもの〉の振る舞いの描かれ方でした。吾人の〈女というもの〉および女性性への関心は以下の記事でも言及しています。
 
読んだ小説の何に感動したのかを説明することはしばしば困難ですが、この記事ではメアリという人物の女性性に注目して、作品を解読します。
この記事で取りあげている本
 

いかにしてメアリ・ポストゲイトは復讐を成し遂げたのか|キプリング

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キプリングについて

 小説家ラドヤード・キプリング(1865-1936)は英国人初のノーベル文学賞(1907)を受賞した人物だ。日本では、野生のオオカミに育てられた少年モーグリの冒険を描いた『ジャングル・ブック』(1894)が有名だろう。西欧社会では馴染みの薄い東洋世界を描いた作家としても数えられる。また、森鴎外ラフカディオ・ハーンがベタ褒めした作家でもある。
 イギリス統治下のインドに生まれたこともあり、インドを舞台にした作品もある。帝国主義の全盛にあったイギリス社会に適った物語を描いて人気を博した。さまざまな国への旅行をしており、日本も訪れていて『キプリングの日本発見』という見聞録も発表している。
 ところが帝国主義の衰退すると人気に陰りが挿す。キプリングの文学を白人至上主義的で植民地蔑視を助長するものであるとの批判が起こったのだ。それでもキプリングの作品の持つ魅力は否定できない。キプリング文学が批判された理由も、彼の作品がひとつの時代を代表する位置に君臨していたからに他ならないのだから。
 

メアリ・ポストゲイトを読む

今回紹介するのはキプリングの短編小説『メアリ・ポストゲイト(Mary Postgate)』(1915)だ。キプリングの作品中でもっとも悪名高く、いちばん攻撃を受けている作品とも言われている。その理由はヒロインであるメアリ・ポストゲイトの行為が卑劣で残酷で、そして了解し難い点にある。以下ではメアリという人物について見ながら、この小説が読者に訴えかけるところを拾いあげていく。

あらすじ

 まず、『メアリ・ポストゲイト』のあらすじを確認する。
主人公の付き添い婦メアリ・ポストゲイトが、敵国の飛行士だと信じる青年を相手にウィン──雇い主ミス・ファウラーの甥で出征中に死亡──の仇を討つ物語
 これは最も簡潔な要約だ。しかし単純に過ぎる。実を言えば『メアリ・ポストゲイト』はかなり難解で、解釈の分かれやすい類いの小説だ。上の要約でも「敵国の飛行士だと “信じる” 青年」としたのもそのためである。メアリの主観は描かれているものの、客観的な情報として読める情報はなく、作中のいくつかの場面はメアリの想像の産物ではないかと読めるのだから。
 メアリ・ポストゲイト自身も謎に包まれている。客観的な人物評として「申し分なく良心的で、清潔好き、淑女」と語られ、主観的には「物事をくよくよ考えてはいけない」を信条にし、自身が「非業の死」を遂げる血筋にあると自覚している。それでいて家庭を持てなかったことへの屈託がある。これらの情報はそれぞれどのような経緯でそうなったのかが説明不足なのだ。しかも、情報が抜けているのはメアリのみならず雇い主のミス・ファウラーもそうで、彼女の甥ウィンダム(ウイン)にしたって同様なのである。
 以上の理由もあり、あらすじを掴もうとすることにさえ読み手の解釈に依拠するところが大きい。しかし記事の性質上『メアリ・ポストゲイト』のストーリーを把握しておく必要がある。そこで以下には吾人の観点から小説のあらすじを作成する。
齢60に近いミス・ファウラーはメアリ・ポストゲイトを付き添い婦として雇い入れる。メアリは「申し分なく良心的で、清潔好き、淑女らしく、付き添い婦には最適です」と紹介者が言う通りの人物で、村でも慕われた。ファウラーの甥ウィンダム(ウイン)を養育することになったときもメアリはその教育の仕事を引き受ける。メアリはウインの遊び相手であり、相談相手であり、悪口の的だった。11歳だったウインが自立する頃になると同時期に戦争が始まる。このとき、メアリは戦争に腹を立てるのだった。ウインは飛行隊に入隊するも、事故死する。ファウラーもメアリも泣かなかった。テキパキとウインの持ち物を処分する。メアリは用事があって村へと出かける。途中で飛行機のプロペラの音が聞こえた気がする。それから、彼女が乳母車時代から知っている9歳の女の子エドナ・ゲリットが小屋の下敷きになって死ぬのを目撃する。メアリはこの事件を敵機の爆撃によるものと推理するが、ヘニス医師は「確かなことが分かるまで誰にも言わないほうがいい」と諫めた。屋敷に帰ってファウラーに事件を話すと、二機の飛行機が飛んでいったのを見たと言うのだった。それから、メアリは雨の中でウインの遺品を焼却炉で燃やそうとすると、墜落して瀕死の飛行士がそばの茂みにいる。敵だった。怪我をしていて助けを求められるも、メアリは直前に見たエドナのこともあり、断固許さず、敵兵が死んでいくのを眺めていた。直後、メアリはそれまでの彼女とは打って変わって乱暴で大胆になり、家の者に呆れられるのだった。
※余談ながら、作者であるキプリングは第一次世界大戦において長男ジョンを失っている。フランスに送り出したものの、ジョンは帰らぬ人となった。
 

メアリの嫌いなもの

 メアリはいい人だった。良心的で、清潔好き、淑女らしく、勤勉で、物事をくよくよ考えたりしない、心のできた人──これがメアリである。「だからおまえたち女は駄目なんだ」などと言うウインの傍若無人な態度にも怒りはしない。雇い主のミス・ファウラーに対しても温厚篤実で、決して感情的にならないのだ。
 しかしメアリが感情的になる物事もあった。たとえば戦争は「英国本土の外の戦争ではなく、彼女の身近な人々の生活も巻き込む戦争」と描写され、「とても腹の立つ」ものとして挙げられている。実際にその戦争によってメアリはウインを失うことになった。
 彼女は拳銃も嫌いだ。しかしメアリには拳銃を使おうとするときがくる。クライマックスでの墜落した敵飛行士との対面だ。そのとき哀れみを乞う敵飛行士に対して、メアリは嫌悪を示すのだった。
 地の文で語られるメアリは内面はこうだ。「焼却しない記念品のひとつだった。彼女が勇気があるところを見たらウインは喜ぶだろう。」ここでの “勇気” は拳銃の使用であることは間違いない。とすれば、メアリには殺意があったのだ。だが、家に戻って拳銃を持ってくると飛行士は次のように振る舞った。「しかし拳銃を見ると、エドナ・ゲリットと同じように口をへの字に結んだ。涙が片目から落ちた。頭は何かを指し示したいかのように左右に大きく振れていた。」 “エドナ” の名前が出てきたことは、敵飛行士の姿が卑劣にも殺されたエドナのイメージと重なるように見えたからである。となると、メアリが彼を殺すことはエドナを殺した敵飛行士と同じ轍を踏むことになり、ウインへの裏切りに繋がってしまう。メアリは自分に言い聞かせる。「ウインは紳士だ。彼ならどんなことがあっても、決して、エドナを生々しく引き裂くようなことはしなかっただろう。
 メアリは自分自身の手で拳銃を使用することを諦めている。しかし同時に、目の前の敵は死ななくてはならないと堅く信じてもいた。これはウインへの同一化──ウインになろうとしているようにさえ見える。というのも、メアリがドイツ語を話す飛行士を恨む様子は生前のウインの態度の生き写しのように描かれているからだ。たとえばエドナ・ゲリットが死んだ直後には、メアリは次の悪態を吐く。
女たちの前では言いたい放題であったウインが敵を指す時に使った言葉がメアリの口から時々出た。「異教徒の畜生め!」しかし彼女は自分の若い頃からの信条である次の言葉を続けた。「しかし物事をくよくよ考えてはいけない」
 一面では生前のウインの人格があり、他面には若い頃からの自分も同居している。そもそも、小説前半にいい人として語られたメアリからすれば悪態を吐くことさえありえない。メアリの変化はウインが事故死に結びつけることができる。ウインの死は『メアリ・ポストゲイト』の小説を二分する際のターニングポイントだ。
 

メアリの二重化する人格

 メアリはウインの世話をし、目をかけていた。このことは事故死とはいえ戦争によってウインを失ったメアリの性格に影響を及ぼすには十分であるように見える。ウインが死んだと報告を受けたメアリは「なぜ涙が出ないのだろう」と言うミス・ファウラーに対して「泣く理由がないからですよ。グラント夫人の息子さんと同じように立派に義務を果たしたのですから」と答えている。言葉からは冷静であるように見えるものの、直前にはウインの死の知らせを聞いてほとんど我を忘れていた。「部屋が回っていたが、メアリ・ポストゲイト自身はその真ん中にしっかりと立っていた。」ミス・ファウラーに返事をしたのも “無意識に” であった。特に目を引くのは、「作戦行動中に誰かを殺してから死ななかったのは残念です」と語るくだりだ。これは淑女であるはずのメアリからすれば明白な暴力性の発露がある。
 松本和子の論文「Mary Postgateにおけるメアリーの復讐と自己実現」(2011)によれば、『メアリ・キプリング』はキプリング作品中の代表的なリベンジストーリー(復讐譚)であるという。キプリングのファンや研究者の最大規模の交流サイト「Kipling Society」においてもキプリングの作品には幾つかのテーマに分類できるとされ、 “Duty(義務)” や “Empire(帝国)” と並んで “Retributions(報復)” があることが挙げられている。
 葬儀の後にウインの私物を片付けているとき、メアリとミス・ファウナーとの間で次のやりとりがある。
 ふたりは綺麗に整頓されたウインの部屋を見た。
「泣くのが当然でしょう。泣かないとそのつけが返ってきませんか?」とメアリが言った。
「前にも言ったように年寄りは辛いことから抜け出す術を知っている。心配なのはお前のほうだよ。泣いてないのかい?」
「涙が出ません。ドイツ人に腹が立つだけ」
 上の引用箇所からもメアリの言動には違和感がある。というのも、小説前半であればメアリの行動基準は「彼女は二度と同じ話題は蒸し返さなかった。というのは彼女は「物事をくよくよ考えたりしない」心のできた人だったからである。」であったはずが、ここでは “ウインの死に対して泣かないでいること” が蒸し返されているからだ。 “つけ” が返ってくるかなどという言い方までしているところなど、くよくよ考えていると思われても仕方がない。
 しかし、ウインの死をターニングポイントにして小説の前後半でメアリの人格に一種の二重化が起きているとすれば、〈泣けること〉と〈腹が立つこと〉の対比もまた小説の前後半に対応してくる。泣けることの側面からは、メアリは若い頃からの「物事をくよくよ考えたりしない」という信条を生きている。そして腹が立つことの側面からは、ウインが敵を指すときに使った「異教徒の畜生め!」という戦時下の言説が生きられているのだ。
 

メアリのセクシュアリティ

 松本和子はメアリという人物を女性として理解するために、彼女のセクシュアリティ(性指向および性自認などを含む性的特徴全般の表現)に注目する。すると、メアリからは性的側面における生活をうかがえさせない描き方がなされていることにわかるという。容貌に関してもウインから「メアリは外見はまあ人間だが」などと言われるくらいであって、他は「狭い背中」「細い腕」「平たい胸」といったセクシュアリティを感じさせない表現で描かれている。
 メアリは女としての自己自身を次のように定義する。「女の仕事は夫や子供のために幸せな家庭を作ることだ。それに失敗した」。メアリが具体的にどのような経験をしたのかは描かれていない。しかし女としての自己自身に劣等感を抱いていることを読み取ることは難しくない。松本和子はそのような事情を踏まえ、メアリが自身のセクシュアリティを否定したのだと指摘する。
 メアリーがある時点でセクシュアリティを封印したことを裏付けるヒントは,彼女のウィンに対する接し方に見出せる.メアリーはウィンを溺愛していた.その溺愛は,封印されたセクシュアリティがウィンとの出会い によって母性にとりこまれ,いっきに彼をはけ口にあふれ出した結果,生じたものと考えられる.メアリーにとってウィンに愛情を注ぐことは,鬱々と抱え込んでいたセクシュアリティを,母性という非難されることのない形態に姿をかえて発散させる一つの方便であった可能性は高い.メアリーが虐待に近い仕打ちを受けながらもウィンを可愛がり続けたのは,彼を愛していたから,という以外に,自らのセクシュアリティの発散という 自己本位な目的を果たすために彼女にはウィンが必要だったから,という別の理由があったからではなかろうか.
 メアリは自身のセクシュアリティを否定するが、これをウインとの関係において母性という形で享受していたのだと、松本は指摘する。表面的にはウインへの愛情を示し、その裏面では自己本位的な鬱屈したセクシュアリティ面における発散があったのではないかというのだ。このことはメアリのウインに対する同一化も説明することになる。敵飛行士との遭遇と、その後のメアリの間接的な殺人行為が、ウインの「戦争参加という義務は果たしていても、敵兵を殺せなかったこと」の無念を代理として晴らすことだったとわかる。
 メアリは敵飛行士の死を待つあいだ、次第に強くなる陶酔を覚える。「彼女は火掻き棒に身を凭せかけて待った。次第に強く、陶酔が彼女を襲ってきた。彼女は何も考えなかった。感覚に身を委ねた。」たしかに、ここには感覚に訴えかける官能性という性的なニュアンスがあるだろう。
 ただし、メアリのセクシュアリティに注目することは「願望充足」というジークムント・フロイト由来の精神分析の視点を持ち込むことができる。その場合には、メアリの前に現れた敵飛行士の実在を疑うことができるだろう。精神分析的な視点では心的現実に起こることが問題になるのだ。それゆえにメアリの抑圧された願望がドイツ兵らしき飛行士の幻想を作りあげたものとして解釈できる
 

メアリのアンフェアな仕事

 小説『メアリ・ポストゲイト』では男と女の対比と取りあげている。ウインの言葉を借りれば「だからおまえたち女は駄目なんだ」などの言説が語られる。そしてメアリ自身も(読者には明かされない理由から)家庭を持てず、子供を持てずにいて、女の仕事をできない我が身に負い目を感じていた。彼女の「物事をくよくよ考えてはいけない」という信条は第一に、そうした自身の負い目に由来する自責を戒めるためにあったのだ。
 単純に読むなら、作者であるキプリングのジェンダー意識として読める。ウインの発言に見るように否定的な面もあるが、興味深い面もある。たとえば次の箇所──
「メアリは女性の仕事についての進歩的意見を信じていなかった。しかし、いま彼女は女性の仕事はすばらしいと思った。例えば、これは女である自分の仕事だ。ヘニス医師は言うに及ばず、男にはできない仕事だ。このような危機的状況では男は、ウインが言っていたように「スポーツマン」となってしまう。すべてをなげうって、助力を求め、間違いなくこいつを家に運び入れるだろう。」
 この場面は焼却炉の前で負傷した敵飛行士を見つけたくだりだ。メアリは自分が女の仕事ができないと考えていたものの、ここでは女の仕事に対しても、女としての仕事をする自分に対しても自信を持っていることがわかる。女であることは駄目なのではなくて、男にはできない仕事ができるのだ──そう考えるのだった。では、メアリが言うところの女の仕事とは何なのか。鍵となるのが「スポーツマン」という観念だ。
 メアリが考える「スポーツマン」とは何か。このことに対応する箇所としては次のものがある。「ウインは戦争の規定によってその弾丸は敵の民間人には使用してはならないと言った」。ウインが言ったという “戦争の規定” があるように、スポーツマンもまたルールを遵守する。戦争もスポーツも共通するのは “フェアであること” だ
 また、ヘニス医師の名前が出ていることにも注目しよう。ヘニス医師はメアリがエドナ・ゲリットの死を目撃した際に登場する。そのときにメアリに対して「確かなことが分かるまで誰にも言わないほうがいい」と言った。ヘニスはエドナは事故死の可能性があると告げるも、メアリは敵飛行機の攻撃だと考えていたのだ。ヘニス医師には事件に対する公正さがある。他方で、メアリは自分の眼で見て、耳で聞いたことから事件の真相が敵飛行機(おそらくはドイツ軍の)によってもたらされたものであると信じているのだった。
 メアリが「スポーツマン」という言葉で言おうとしたフェアネスは、〈女というもの〉に対する〈男というもの〉が何なのかに関わってくる。メアリが直面した危機的状況──瀕死の敵兵に助けを求められている状況に対して、もしも男であったなら、公正さを重んじて「すべてをなげうって、助力を求め、間違いなくこいつを家に運び入れる」。それに対して女は、瀕死の敵兵を自分が見聞きしたものに裏付けられている感情に従って殺害することができる。フェアではなく、アンフェアな理由で。だからこそ敵飛行士が「オレテイル。ゼンシン、オレテイル」「コウサンスル。イシャ! ドクター!」と訴えても、メアリは「ダメ! ワタシ、シンダコドモ、ミタ」と言って応じない。実際にメアリは直接手を掛けはしないものの、敵飛行士を見殺しにする。女であるために、メアリは戦時下で敵兵に対してウインの復讐を果たすことができたのだ。もしもメアリが男であったなら戦争の規定に対してフェアであるために復讐はできなかっただろう
 

メアリの復讐と解放

 小説『メアリ・ポストゲイト』では男女の相違を捉える上で、男性原理を一種頭脳的なものとして把握している。たとえばウインが飛行隊に参加してから軍服姿で帰ってきて、メアリに専門的な話をする姿や、勉強したほうがいいと勧める姿がある。メアリはそれを覚えようとするのだが覚えられず、ウインから「昔は頭を働かせたこともあったんだろうが、どこへ行ったんだろうな?」や「鼠ほどの能もないのか」などと揶揄われる。注意しておきたいことは、こうした場面のウインが「女たちの前」に立っていることだ。すなわち、ウインは女の対照的な存在として描かれているのである。
 あるいはヘニス医師が、エドナの死因について村に騒ぎを起こさせないという合理的な理由から、死因は敵飛行機だと信じるメアリを説得する場面だ。ヘニスは黙っていてくれるようにと「じっと視線を」向けて、メアリを説得する。しかしメアリは「私はこの眼で見て、この耳で聞きました」と言い、頭を振るのだった。メアリは自分が見聞きしたことを広めないとは言うものの、この場面でのやりとりは印象的だ。ヘニスの視線は抑圧的であり、抑圧されるメアリは自分が信じる事実を隠すことを誓うことになる。判断としてはヘニスが正しいが、事実としてはメアリ自身が正しい。前者は体験したことを裏切ってでも優先すべき価値観であり、頭脳的なものとしての男性性である。他方で、後者は体験したことを直に取りあげていて、頭脳よりも感覚ならびに知覚が重視されている。男性性との対比から、女性性と言えるだろう
 以上から、男性性と女性性とでは真理は異なった相を見せる。男性性では頭脳をベースにしていて、事実に対して俯瞰的であるような客観的普遍性が真実とされる。女性性では身体をベースにしていて、事実に対して虫瞰的であるような主観的絶対性が真実とされる。言い換えると、男性性においては抽象的な価値観から正しさが評価され、女性性においては具体的な様相に依拠した形で正しさが評価されるのである。『メアリ・ポストゲイト』の小説世界では、男性原理が女性原理を抑圧するように機能しているのだ。
 ところで、メアリはウインの影響を大きく受けていて、事あるごとにウインから見聞きしたことを言動に表す。メアリにとってのウインが特別なものであったことは、彼が死んだ知らせを聞いたメアリの反応──部屋が回っていた──からも確かだ。しかし、メアリにとって厄介なのはウインの名前を出すことは、「くよくよ考えてはいけない」という彼女の信条に反する。女の仕事ができないことも伝え聞いたウインの死や目の前にしたエドナの死も、メアリにとっては “くよくよ考えさせる” 過去に当たる。言い換えると、それらは “忘れたほうがいいこと” なのだ。
 焼却炉でウインの遺物を燃やすメアリは、正しく忘却作業をしていた。そして側には瀕死の敵飛行士がいる。メアリの目的は表面上では二つある。“遺物を片付けること” と “兵士が死ぬのを見届けること” だ。これらは総じてメアリが満足することを目的にしている。メアリは、火搔き棒を手にウインの思い出の品を「掻き回している内に彼女の身体は骨の髄までほてるようだった。」熱はウインの思い出であり、メアリをくよくよさせるものだ。遺物を焼却炉で燃やしているとき、火搔き棒はウインとの合一を媒介している。このとき、メアリは雨に降られていた。雨は焼却炉の中の火を消し、メアリの体熱も冷やす。そしてメアリは考えるのをやめ、感覚に身を委ね、官能的な悦びを覚える。敵飛行士は死に、ウインの遺物は燃え切る。メアリの満足は復讐の達成でもあり、ウインへの熱を冷え切らせるのだった
それから、激しい降りの合間に、はっきりと終りの音が聞こえてきた。メアリ・ポストゲイトは歯を食いしばったまま、息を弾ませ、頭の先から足先まで震えていた。「これでよし!」彼女は満足の声を挙げて、家に向かった。お茶の前に、彼女はボイラーの湯を使い切るほどたっぷりと熱い風呂につかって、家の者を呆れさせた。彼女は着替えて階上から降りてきた。ミス・ファウラーは向かいのソファにすっかり寛いでいる彼女を見て「とてもきりりっとしているわね」と言った。
  「とてもきりりっとしているわね(quite handsome)」。貞淑であるはずのメアリの態度も変だが、そんなメアリに言ったミス・ファウラーの言葉も変だ。メアリは復讐をし、自分を抑圧していたものから解放されたのだろう。メアリにとってウインの復讐は「家庭を作ることに失敗した女だって役立つ」ことを証明するものだった。すなわち、焼却炉の前で “遺物を片付けること” と “兵士が死ぬのを見届けること” は、ウインの復讐を果たすと共に、役立つ自分を発見することで抑圧されていた女性性を解放することになるのだ。それゆえ、メアリの身勝手な態度はどこか憑き物が落ちていたと言える。──ここには独身者としての女性の男女相関図式の克服の気配がある。(ただし、これはうまく説明できない。さしあたってはそういった “感じ” があるとしか言えない。)
 

まとめ

 小説『メアリ・ポストゲイト』はキプリング文学においてももっとも難解な作品だとされる。単なる戦争文学ではなく、復讐物語であるだけでもなく、性差による抑圧を描いたものであるだけでもない。むしろ、説明不足の調子で語られる物語はそれらのテーマを一挙に展開しようと試みる。《百年文庫》の企画で割り振られ、まとめられている漢字の「灼」はこの作品の「熱を冷ます」モチーフとも重なるだろう。
_了
 

参考資料

松本和子「Mary Postgateにおけるメアリーの復讐と自己実現」『人文・自然研究』,5: 310-329,2011
キプリング文学の交流サイト「Kipling Society
 

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