【つまらない映画はない】プロの映画ファンが語る映画愛|山田宏一

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映画、見てますでしょうか? わたし(@dragmagic123 )は見ております。先日も『天井桟敷の人々』なんていう傑作映画を見たところです。見終えた後にその映画について調べてたら「山田宏一」という名前が目に入ったので本を手に取ってみたところ、そこで映画を見る人の姿勢を正させるような教えが書かれていたので、こうして記事にすることにしました。とまあ、今回はそんな山田宏一の『山田宏一のフランス映画誌』から、プロの映画ファンの映画観・映画哲学を取りあげます。
この記事で取りあげられている本
 

【つまらない映画はない】プロの映画ファンが語る映画愛|山田宏一

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山田宏一のフランス映画誌

映画『天井桟敷の人々』に関心を持ちますと、字幕をつけた山田宏一という人物を知ることになります。ちょっと調べてみれば、1938年にジャカルタで生まれて東京外国語大学のフランス語科卒でときにはパリに住んだりといった人物だってことがわかります。ふむふむ。
そしてどうやら映画人として名前が知れた人物であることもわかるわけです。
そ・れ・で、この度手にとり目をとおすことになったのが『山田宏一のフランス映画誌』。
607ページに20ページ以上の索引がついた分厚い本には、映画通の山田宏一がフランス映画について書いた文章がたっぷり収録されている、といった造りをしています。
んで、今回はその本から山田宏一が個別の映画について……ではなく、映画そのものについて述べているところをピックアップしていきます。
なお、『天井桟敷の人々』に関しては以下の記事があります。
 

プロの映画ファンの覚悟

ここではプロの映画ファンである山田宏一が映画──とくに傑作映画と幸運な映画について語っているところを取りあげながら、「つまらない映画は存在しない」とも述べる映画ファンの信条を紹介します。

映画は時空を超えて存在する

まず評判になる映画って「時代を象徴する作品」や「時代をうつす鏡」とかっていうふうに語られることがありますよね。
聞いてると、まぁそんなもんかなぁという気がした理して納得しちゃったりしますが、山田宏一はそうは言わないんですよ。傑作映画を語りながら、一般的な映画観を一蹴して見せるのです。
ちょっと引用してみましょう。
しかし、映画そのものは時空を超えて存在するのである──それが傑作の唯一の定義でもあるだろう。映画はけっして単なる時代の産物ではなく、時代をうつす鏡なんかではないのだ。傑作は時を選ばず所を選ばず生まれ、時空を超える。だからこそ、どんな国の作品でも、新しさ古さにかかわりなく、映画は生きていて、映画は私たちに語りかけるのである。
(『山田宏一のフランス映画誌』,p19)
映画は時空を超えて存在してるのであって、そのときそのときの時代に属しているわけではない、さらには場所にからさえも無関連に価値がある、それこそが傑作なのだ──と語っていますのな。
そして新しさや古さも関係なく、映画は生きていて鑑賞者としての私たちに語りかけてくる……にゃるほろ。
 

時代に生まれ時代を超える

映画を見る人は映画の新しさや古さに目が行きます。それは内容や方法の新しさだけではなく、画質や音質の荒い昔の映画を見るときなどにも意識されるものです。
とはいえ、良いものは古びないように、昔の映画といえども名作は名作のままでしょう。おもしろいものはおもしろい。それは間違いないはずです。
そういった映画の新しさや古さに関して、山田宏一は次のように語っています。
若い映画がかならずしも若々しいとはかぎらず、新しい映画が新しいとはかぎらない。映画のおもしろさはそこにあるとも言える。いずれにせよ、映画は時代とともに生まれながら時代を超える──それこそ傑作の唯一の定義ですらある
(『山田宏一のフランス映画誌』,p605)
ここでも「映画が時空を超えて存在している」という信念があります。たとえ時代とともに生まれたとしても、その時代を超えてしまう、それが “その映画が傑作である” ということなのだ。──もはやキリストを語っているかのようでさえあります。
キリストは神でありながら人の子として生まれ、そして時間も空間も超えてこの世に遍在する、それがキリストでしたから。映画が時代の子として生まれ、そして時代を超えていく。まさに神であるかのような。。
 

映画には〈語る自由〉がある

映画について書くことの永遠の課題として、映画を映画のように映画の言葉で、映画的に語れぬものか」──と、ぼやきもする山田宏一ですが、映画について語ることの間口の広さにも触れています。
映画については誰もが自由勝手に語ることができる。映画は誰にでもわかるようにつくられているからである。映画が大衆芸術とか大衆娯楽とか呼ばれる、その大衆性とはこの一点につきると言っていいかもしれない。それだけに、映画について語ったり書いたりすることはむずしいし、おそろしい。誰もが自由に楽々と映画評論家になれるからだ。
(『山田宏一のフランス映画誌』,p605)
映画が映画たりうるのは「見る自由」というより、むしろ「語る自由」のほうに本質があるのだ、とも言わんばかりですね。たしかに語るために専門家やオタクの審美眼が要請されるものというのは、「大衆性」という点では相応しくないのかもしれません。大衆向けのものが “誰でも・気軽に” ではないとすれば、そこには選民的で高尚な気配があるでしょうし。
さらに山田は映画を語る資格について以下のように続けます。
映画評論家にはプロとアマチュアの差がないのである。文芸評論や美術評論や演劇評論と違って、あるいは宗教評論とか教育評論などとも違って、あるいはまたスポーツ評論や競馬評論や料理評論や服飾評論等とも違って(これらすべての評論には専門家であることが要求されるが)、映画評論だけはどんな素人にもできるし、許されるからである。
(『山田宏一のフランス映画誌』,p605)
映画評論だけはどんな素人にもできるし、許される」。このくだりからは山田が憂慮する難しさと怖ろしさを読み取ることができるでしょう。
誰でも自由に映画の魅力を “評論すること” ができるということは、語る人ごとに「良し悪しの基準」が提出されることになるのですから。そこで問題になるのは、それじゃあ結局のところで映画のおもしろさって何なんだ?──という疑問。
 

幸運な映画と不幸な映画

映画の魅力は誰でも語ることができる。映画評論家の立場として山田宏一は、その点に映画を語ることの難しさと怖ろしさを感じてるわけですな。
そして、プロの映画ファンを名乗る立場から、山田は映画を語る上での覚悟を次のように語ります。
プロの映画ファンとしての私の心情=信条は、こうだ。おもしろい映画を見ておもしろがる、あるいは、つまらない映画をつまらながると言うのは、誰にでもできることだ。だが、プロの映画ファンはつねに映画をおもしろくしなければならないという、すばらしい快楽的な義務を負っているということなのである。
(『山田宏一のフランス映画誌』,p605-606)
おもしろい映画をおもしろいと言うことや、つまらない映画をつまらないと言うことは誰にでもできることだ、と。その上でプロの映画ファンは「つねに映画をおもしろくしなければならない」──そう語るのです。
それから(たぶん映画ファンの間ではよく知られた名文かもしれませんが)、次の名言を続けるのでした。
映画への愛さえあれば、いい映画とわるい映画があるのではなく、ただ、幸福な映画と不幸な映画があるだけなのだということは自明の理なのだから。
(『山田宏一のフランス映画誌』,p606)
プロの映画ファンである以上、映画はすべて “おもしろい” わけです。では幸福な映画と不幸な映画とは何でしょう? ──これは、「人が良い映画と出会うのではなく、映画が良い人と出会う」というふうに主客がひっくり返っているからこその言い方なのですわな。
山田宏一は映画を愛している。映画が可愛くて仕方ないわけです。だからこそプロの映画ファンとして、己れ自身に「映画をおもしろくしなければならない」といった義務を課しているのですし。
なので、山田からすると「人がおもしろい映画と出会えるか」ではなく「映画がおもしろがってくれる人と出会えるか」が問題になってくるんですな。それで不幸な映画になると自分をつまらないと思う人と出会ってしまった映画ってことになる、と。オモチロイ。
 

戦後フランス映画・ベストテン

プロの映画ファンである山田宏一はほぼ見た順だと断りつつも、戦後フランス映画の感傷的ベスト・テンを挙げています。
映画愛すさまじい人が勧める映画ですので、見てみるとすばらしい映画との出会いになるのではないでしょうか。
  1. 天井桟敷の人々(1945)
  2. 悲恋(1943)
  3. 栄光への序曲(1951)
  4. 神々の王国(1951)
  5. 夜ごとの美女(1952)
  6. 現金に手を出すな(1954)
  7. スパイ対スパイ(1962)
  8. 気狂いピエロ(1965)
  9. 恋のエチュード(1971)
  10. ラルジャン(1983)
いずれもプロ映画ファンのお墨付きですので、絶対に後悔はないはず!
……あっ、そもそも山田宏一的には後悔する映画そのものがないんでしたわ。。。
 

まとめ

とまぁ、映画愛が果てなく深い山田宏一の映画観がある程度うかがえたことでしょう。映画は誰にでも語れる。これは私たちにとっては幸運かもしれませんが、映画の側にとっては幸運とは限らない。なぜって嫌な客の相手もしなくちゃならなくて、悪口だって言われちゃうかもしれないから。──この考え方だってすごいですよね。だって映画の側に立って映画の幸せを思いやっているんですから。さて、このように報告してみた当記事ですが、願わくば幸運な記事になってもらいたいことです(笑)
_了

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