こんにちは。今回は映画『天井桟敷の人々』に関する記事を書くことになりました。マルセル・カルネ監督と詩人ジャック・プレヴェールの2人が組んだ、フランス映画史のみならず全世界的な意味で何かとトップ・オブ・映画の名声を欲しいままにしていると言っても過言ではない名作です。ジャンルは恋愛。そんな映画の魅力をすっかり恋愛脳になりつつあるザムザ(@dragmagic123 )がご紹介します。
【天井桟敷の人々】世界最高の恋愛映画を解説したり讃えたり
天井桟敷の人々

©︎1946 Pathé Cinema
受賞歴
1952年:キネマ旬報ベストテン第3位
1979年:セザール賞特別名誉賞
1979年:フランス映画史上ベストワン
1980年:「外国映画史上ベストテン(キネマ旬報戦後復刊800号記念)」(キネ旬発表)第1位
1988年:「大アンケートによる洋画ベスト150」(文藝春秋発表)第1位
1989年:「外国映画史上ベストテン(キネ旬戦後復刊1000号記念)」(キネ旬発表)第3位
1995年:「オールタイムベストテン・世界映画編」(キネ旬発表)第5位
1999年:「映画人が選ぶオールタイムベスト100・日本映画編(キネ旬創刊80周年記念)」(キネ旬発表)第11位
2002年:「映画批評家が選ぶベストテン」第27位
2002年:「映画監督が選ぶベストテン」第31位
2008年:「史上最高の映画100本」(仏『カイエ・デュ・シネマ』誌発表)第9位
2009年:「映画人が選ぶオールタイムベスト100・日本映画編(キネ旬創刊90周年記念)」(キネ旬発表)第10位
2010年:「エッセンシャル100」(トロント国際映画祭発表)第60位
2012年:「映画批評家が選ぶベストテン」第73位
4K 修復版
世界最高の恋愛映画

©︎1946 Pathé Cinema
詩人プレヴェールによる数々の名台詞が人間の弱さや愚かさ、愛の真実を見事に表現します何があっても観ておくべき!世界最高の恋愛映画 ────美輪明宏
※詩的リアリズムとは何か
才気のあふれた詩的な台詞、陰影のある詩的な映像、ペシミスティックな運命のドラマを謳い上げる詩的な抒情、場末の、あるいは裏街の、暗い詩情……(丸尾定訳,みすず書房)
あらすじ

©︎1946 Pathé Cinema
登場人物
- ガランス:絶世の美女であり、落ち目の女芸人でもある。バチストに誘われ、無言劇団「フュナンビュール座」へ加わる。芸術家に夢を見せる美神であり、男たちを惑わせる美女として、「真理+女=悪女(ファム・ファタール)」を司る。(アルレッティ)
- バチスト:月夜にバケツに落っこちた役立たず。ガランスという「月」と出会うことによって、パントマイム(無言劇)芸人としての才能を開花させていき、芸人としても芸術家としても成功を収めるが、肝心の「月」だけは手に入らない。(ジャン=ルイ・バロー)
- フレデリック:女たらしの俳優でガランスにも手を出す。無言劇団「フュナンビュール座」に入団するものの、「自分の声を聞きたい」彼は有言劇団に移籍する。バチスト同様に人気を博するものの、大衆迎合的な芸風に偏っている。(ピエール・ブラッスール)
- ラスネール:表では代筆業を営みながら、裏では強盗・殺人を繰り返す男。ガランスに惹かれている。彼もまた戯曲を書いているものの、劇場での上演はされていない。しかし現実上で一世一代の上演を企てる。(マルセル・エラン)
- モントレー伯爵:無言劇団「フュナンビュール座」の公演でガランスに心奪われた富豪。社会的地位も高く、警察さえ動かす権力もある。プライドが高く、それを傷つけるものには容赦なく決闘を申し込む。(ルイ・サルー)
- ナタリー::無言劇団「フュナンビュール座」の女優で座長の娘。バチストを愛していて夫婦にもなる。夫の心を奪い続けるガランスに嫉妬の感情を抱く。愛する人の「月」にはなれない不憫な女性。(マリア・ガザレス)
関連記事紹介
ここでは『天井桟敷の人々』に関連する記事を紹介します。ひとつは【恋愛編】と題した、「恋愛映画」という側面に目を向けたものです。もうひとつは【美神編】と題して、特に登場人物のガランスにスポットライトを当て、彼女を取り巻く男たちと共に解説をしたものとなっています。
恋愛編
「世界最高の恋愛映画」と言われる『天井桟敷の人々』のことを語るとなれば、もちろんテーマは「恋愛」に設定したいところ。そういうわけで「恋愛編」と題して以下の記事を書きました。
美輪明宏による「恋は自分本位で相手を独占しようとしますが、愛は相手のことを想いながら相手を自由にするもの」というイメージを引き継ぐ形で、「恋愛映画が一般的に考えられている「うまくいくか・いかないか」ではなく、「恋になるか・愛になるか」の間で、観客が “ハラハラドキドキするもの” として考えられるのではないか」といった視点を語っています。
また、第一部から第二部にかけての人間模様がどのように変化したのかを、先に挙げた「恋になるか・愛になるか」あるいはその揺れ動きとして、バチストとフレデリックの関係やガランスとモントレー伯爵との関係を観察しています。
それから『天井桟敷の人々』の人間模様を図に表すことで、第一部から第二部にかけての変化をイメージしやすくすることを試み、ガランスが求められることの効果、ナタリーが選ばれない理由、モントレー伯爵の豹変、ラスネールにとっての希望──などの解説を通して、『天井桟敷の人々』が持つ恋愛映画としての奥行きを紹介したものとなっています。
美神編
「世界最高の恋愛映画」と言われる『天井桟敷の人々』のことを語るとなれば、もちろんテーマは「恋愛」……はすでに書いてあるので、そこから先は恋愛する人々が恋愛することを通して何と出会っているのかに着眼し、芸術的なインスピレーションの源泉として「美の女神」を見出すつもりで「美神編」と題した以下の記事を書きました。
まず、「井戸の中の真理」であるガランスに注目し、「恋する者は盲目となる」と言われるように、彼女に言い寄る男たちが真理の前で盲目と化している姿から「真理を見るためには盲目になる必要がある」ことを発見し、そこからガランスが男たちに愛欲を掻き立てる存在であり、その魅力によって男たちに「真の世界を生きる可能性」や「自分の運命を愛する可能性」をもたらすことを示唆している様子を紹介しています。
「バケツの中の愚者」であるバチストもまたガランスに恋をしますが、彼の場合は彼女への恋を通して自分が手を伸ばすべき月を見出すのです。その月こそがガランスであり、それまでパントマイム師として火がついていなかった彼はガランスという月を得ることによって自身の表現活動を活性化させることができました。ここから、創作意欲と恋愛感情との親和性を見つけることができます。
それから美の女神であるガランスが求めることではなく求められることによって、彼女自身が求める自由を手に入れていることや、そんな姿勢で生きるガランスに惹かれた犯罪詩人ラスネールが、己れの宿命として犯罪に手を染めながらも、それでも劇作をやめずにいて、その宿命を受け入れるようにして最後の殺人を己れの戯曲として現実世界で上演したことを解説しています。
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