マイペースになれないひとへのラブレター:『コジコジ (2)』

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この記事で取り上げている本――

さくらももこ『コジコジ (2)』,幻冬舎コミックス,2002

この記事に書いてあること――

  •  『コジコジ』はコジコジのマイペースによってできている。
  • コジコジがマイペースでいられるのは、大切な物を持っていないからこそのこだわりのなさにある。
  •  コジコジにとって大切なことは自分の〝好き〟に素直であること。
  • 「人にやさしく」と「物にやさしく」は違う。
  • 袋をカラにしておくことで、どこにでもあふれている「たのしい うれしい やさしい」を集めることができる。
  • コジコジのマイペースは不自由な現実生活への癒やしになる。
  • 『コジコジ』はマイペースに生きられないひとへのラブレターである。

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『コジコジ (2)』はどんな本か

 国民的アニメ『ちびまる子ちゃん』を知らない人は少ないでしょう。そんな『ちびまる子ちゃん』が漫画家のさくらももこさん自身を主人公にした作品だと知っている方は、もしかすると多くはないのかもしれません。

 

 さくらももこさんの代表作を挙げるなら、『ちびまる子ちゃん』と、それから『コジコジ』です。『コジコジ』もアニメ化しています。当記事では、そうしたさくらももこの代表作のひとつである『コジコジ』のマンガの一冊をご紹介します。

 

 物語の舞台はメルヘンの国。メルヘンの国の住人たちが繰り広げる日常生活を描いたものです。メルヘンであるとはいえ、作風は非常にシュールでナンセンスなギャグ漫画でもあって、絵柄こそ子ども向けに見えますが、話の内容はどちらかと言うと大人向けです。

 

 主人公であるコジコジは宇宙生命体であること以外は謎な存在です。性格は非情にマイペースで、『コジコジ』の作品が持つシュールさとナンセンスさは、実はすべてコジコジの存在によって担われていると言っても過言ではないでしょう。

 

 そもそも、さくらももこという作家のスタイルが〝独特のシュールさ〟を持っていて『コジコジ』では、そのシュールさがみなぎっているのです。

 

 コジコジのマイペースさは、読者にシュールでナンセンスな笑いをくれますが、それと同時に、読者はコジコジの言動にハッとさせられることもあります。

 

ほんわかしているメルヘンの国の日常風景のなかにも、どことなく、わたしたちが現実世界で営んでいる社会と似た風景が重ねられるのです。そんななかで「常識とは何か?」「個性とは何か?」といった問いかけが、さりげなく、しかも深刻なかたちでなく挿し込まれています。そのような問いに対してマイペースなコジコジがスッと〝大切なこと〟を教えてくれる……。

 

 コジコジのマイペースさに身を委ねると、『コジコジ』に笑っていたことが、いつの間にか自分の悩みを笑っていた――なんてこともあるかもしれません。『コジコジ』を読むということは、そんな読書なのです。

 

『コジコジ (2)』の内容紹介

 ここからは、『コジコジ (2)』の目次を並べていき、筆者が特に思うところのあった話を「  」のようなかたちで下線を引き紹介していきます。それと同時にその話にコメントをつけていくかたちで内容紹介とさせてもらいます。

  • 嵐がくるぞ!! の巻
 夜に魔界の大王が来るとわかり、メルヘンの国はおおわらわ。しかしコジコジは大王が来るとわかって楽しみにしています。一緒に遊びたいというのです。
 大王は嵐を吹かして街をめちゃめちゃにするので、みんなは家や宝物――大切な物を守ろうとあくせくしています。
 そんななか、コジコジは「家もないし 宝物もないから 何もしなくていいんだね」と気楽な様子。
~夜~
 大王が魔界の者どもを連れてやってくると暴れまわります。コジコジはそこに混じって一緒に遊ぼうとします。
 大王はコジコジを追い払おうとしますが、何をされても遊びだと受け止め、お腹が空くとまんじゅうを食べはじめるコジコジに、戦うすべを無くした大王は帰ってしまうのです。
 悪意ある相手に悪意で向き合うのではなく、意に介していない態度で接すると、相手の悪意が宙ぶらりんになって毒気を抜くことができる……そんなメッセージを受け取ることができます。あたかも、「マイペースこそが無敵なのだ」といわんばかりのエピソードです。
 また、コジコジが何も〝大切な物〟
を持っていないというのも興味深いです。それは物としては、何も大切な物は持っていないということでしょう。物にこだわりを持つと、それを守ろうとする気持ちが出てきます。そうなってくると悪意ある相手にも冷静ではいられなくなってしまうかもしれません。しかしコジコジは大切な〝物〟を持っていない。だからこそ、こだわりなくマイペースなままでいられるのではないでしょうか。
 
 
  • 海水浴へ行こうの巻 
 コジコジが仲間たちと海水浴に出かけます。
 浜辺で大変なこと(?)が起こっていても、沖で浮かぶコジコジは「みんな遊んでいるんだよ きっと」と言います。
 それからコジコジは海のなかへと潜り、タコと出会います。タコは生意気な弟の面倒を見てくれとコジコジに頼みます。
 弟タコはコジコジをからかいますが、そんな責任どこ吹く風で、気の向くままに泳いでいきます。
 暗いトンネルを見つけ、コジコジと弟タコは進んでいきます。弟タコは「なんかこわいなァ」と言いますが、「毎日 知らない場所へ行くよ それが好きなんだ」と考えるコジコジはずんずんと奥へ進んでいきます。
 コジコジ自身はマイペースなものの、行く先々ではごたごたとあり、ドギマギするのは弟タコのほうばかり。けれども、コジコジのマイペースに弟タコは勇気(?)をもらって改心します。それでもコジコジにとっては「ただ海の中を歩いてただけ」なのに。
 弟タコはなぜ改心したのでしょう? ――コジコジはマイペースに自分が好きなことをしていただけなのに。
 弟タコの生意気を仮に反抗期の状態だと考えてみましょう。反抗期では自分自身の不能感・不全感に抵抗するようにして、他人の要求に反発します。その線から、弟タコが生意気なのも自分の不全感にイラついているから、と読めます。
 それに対してコジコジはマイペースに、自分の好きなように自分の知らない場所に出かけていくのです。自分というテリトリーにこだわって他人に当たり散らす弟タコのほうが、不自由に思えてくるほどに。
 自分の〝好き〟に素直なコジコジは自由でした。
 自由なコジコジの姿を見た弟タコが、不自由な自身を改めようと思ったとしても不思議ではありません。
 
 
  • 今夜はタヌキ村のお祭だ!! の巻
  • ファッションショーをやろうの巻
 クラスでファッションショーをやることになったコジコジたち。
 ひとりのクラスメイトが、ファッションに興味のない他のクラスメイトにファッションへの興味を持ってもらおうという意図があってのことでした。
 その夜、コジコジは森でミミズと話します。
「へー ファッションショーをやるのか…」
「ミミズ君はやらないの?」
「ミミズはどんなかっこうをしても ミミズだからね」
「コジコジもコジコジだよ どんな時もコジコジだよ」
「そりゃそうさ 誰でもいつでもそうなのさ」
「誰でもいつでも生き物で命なのさ 同じエネルギーが流れているのさ」
 以上のやりとりから話のオチもお察しですね……。
 ミミズが言っているように、メルヘンの国にとって大切なことは、〝その人がその人であること〟です。つまり、〝本人であること〟なのです。そんな彼らにとってファッション(=服)は〈本人〉とは別物です。
 「変わらないもの」であるその人自身とは違って、ファッションは「移り変わるもの」なので、移り変わりのあるファッションによって〈本人〉を評価することはできないというわけですね。
 そういえば、コジコジはよくひと(?)を褒めるのですが、いつも服のような移り変わりのあるものではなく〈本人〉のことを褒めています。まるで「人にやさしく」と「物にやさしく」は違うんだよ――とでも言わんばかりに。
 
 
  • 頭花君のおみまいに行くの巻
  • きょうはクリスマスの巻
 クリスマスです。
 教会にはクリスマスツリーがあって、みんなでそれを囲んでクリスマスパーティーです。
 コジコジが教会に向かって歩いていると、教会の外の枯れ木たちは、クリスマスツリーとして飾り立てられる教会のもみがうらやましいようです。
 教会でサンタクロースに扮した天使が、みんなにプレゼントを配ります。コジコジもプレゼントをもらう番になり、何がいいかと聞かれます。そうしてコジコジは天使がプレゼントを入れていた「カラの袋」をもらったのでした。
 パーティーではお姫様天使が現れ、聖歌も歌われて盛り上がります。
 そんななかコジコジは空を飛んでパーティーを抜け出します。なぜだか、その手に持つ袋はふくらんでいるのでした。
 コジコジは枯れ木たちの元にやってきて、袋のなかみを空から降らせます。なかに入っていたのはまばゆい光でした。
 枯れ木たちがコジコジにこの光は何かと聞きます。
 コジコジは「たのしい うれしい やさしい 光だよ」と答えました。
 今度はコジコジに、それはどこにあるのと聞きます。
 コジコジは「どこにでもあふれてるよ」「カラの袋をあけたまま ただ空飛んでたらとれたんだ」と答えるのでした。
 町中の木々はピカピカとひかり、教会にいるみんなは不思議がっている、そんな夜になったのです。
 筆者はコジコジの〝袋のなかみ〟が気になります。どこにでもある「たのしい うれしい やさしい」という、その光が、気になるのです。
 コジコジは言います。
「カラの袋をあけたまま ただ空飛んでたらとれたんだ」
 〝カラの袋をあけておく〟と袋にとれる……。それはどうにも、ひとつの〈しあわせ〉のあり方を思わせます。
「たのしい うれしい やさしい」がどこにでもあふれているとしたら、袋が膨らんでいてはそれらをあつめることができません。
袋をカラにしておくこと――それがいったいなんなのかは、ひとそれぞれ、受け取りかた次第です。さらに、袋に集めたものを溜め込まずにひとに分け与えるコジコジの姿勢は、〝誰かのため〟とか〝自分のため〟と言った損得勘定とは関係のない、〝ひとのため〟の姿勢なのではないかという考えが浮かびます。
仮に、〝ひとのため〟を〝当人のため〟と言い換えてみましょう。ひとが〝当人のため〟に動くとき、もしかするとコジコジのようにマイペースに見えてしまうのかもしれませんね。
 
  • 正月君の活躍だ!! の巻
  • やすひこ君に会いに行こうの巻
  • えらい坊さんスペシャル

『コジコジ (2)』のまとめ

 以上が『コジコジ (2)』のざっくりとした紹介となります。
 少し内容をさらってみただけでも見えてくるのは、コジコジのマイペースであり、『コジコジ』という作品の持つ空気感ではないでしょうか。

 『コジコジ』からわざわざ〝ためになる〟ことを読む必要はないのですが、そういう読み方もできる、そんな作品です。

 まとめてみましょう。

 『コジコジ (2)』は、コジコジというマイペースな生き方を読むことで、マイペースではない(になれていない)ひとたちがどんな印象を持つのかを楽しめます。世の中の常識や既製のルールに囚われ、マイペースに振る舞えないひとは少なくありません。大抵のひとの悩みは社会的な事情が個人の意識に染みつくことによって起こります。子どもが家庭に強く影響を受けるように、大人は世間によって強く影響を受けてしまうのです。そうした、ひとの個人としての事情に、コジコジの「マイペース」という名の自由さには一種の解毒の効果が見込めます。読者にとって、単に絵柄のかわいさを楽しめるばかりではなく、不自由な現実生活への癒やしにも、なんらかの効験があることでしょう。――そう、いわば、『コジコジ』はマイペースに生きられないひとへのラブレターなのです。

_了

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