【鬼滅の刃23巻を読む】幸せになる可能性を選び続けるこの世界で

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漫画家・御峠呼世晴による作品『鬼滅の刃』が完結しました。コミックス最終巻の発売日の書店のにぎわいにびっくりした方は多いのではないでしょうか。などと語るザムザ(@dragmagic123 )もその23巻を並んで買ったみた口です。この記事ではそんな23巻をご紹介…などという気の利いた物ではなくて、読み、触発される形で書きあげた「人がこの世で生きることの幸福」に関するデッサンです。
この記事で取りあげている本
 

【鬼滅の刃23巻を読む】幸せになる可能性を選び続けるこの世界で

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『鬼滅の刃』の23巻から「意志・感謝・幸福」のテーマを

鬼滅の刃』が終わりましたね。アニメ化、映画化、そして原作漫画の最終巻の発売とあって、人気の絶頂で終わりを迎えられた幸福な作品でした。わたしは最終巻の発売日に書店に足を運んだのですが、かつて見たことのない行列がレジ前にできていて、50メートルはあったんじゃないかな。それほどの人気だったわけですね。
〈鬼のいる世界〉で、〈鬼のいない世界〉を目指して闘う鬼殺隊。主人公・竈門炭治郎(かまど・たんじろう)が鬼にされた妹・禰豆子(ねずこ)を救うために闘いに身を起き、元凶である鬼舞辻無惨(きぶつじ・むざん)を倒そうとする。──これが『鬼滅の刃』。
『鬼滅の刃』から、ジャンプコミックスに共通する「友情、努力、勝利」のテーマを見出すことは簡単でしょう。最終23巻ではそれに加えて、「意志・感謝・幸福」のテーマを印象することができます。
人の人生は物語だから」と語りもするこの作品の最終巻で、読者が受けとるメッセージは「生きるための勇気」と言えるのかもしれない。
ツラい思いをする人にとっても、悲しい思いをする人にとっても。『鬼滅の刃』は「それでも生きていかねばならない人生」を肯定し、その事実を強く勇気づけてくれる。そして、「生まれてくることができて幸福でした」という想いに気づかせてくれるのです。
 

幸せになることを諦めない〜人の人生は物語である

幸福は「すべての人がそうなっていたい状態のこと」と言っていいでしょう。「幸せになりたくない」は聞きませんが、「幸せになりたい」は万人の常識と言っていいくらいです。むろん、例外はいるでしょうが。
話は変わりますが、人が自殺を考えて死のうとするときには「自分が幸せになること」への諦めがあるのではないでしょうか。
あるとき、わたしに「死にたい・自殺したい」と相談してきた方がいました。「自殺することは不自然なことなのか」といった具体で。その際にわたしが贈ったアドバイスの一節が次の文。
自殺は不自然、というのはなんだろうな、そこに自分が幸せになることへの諦めがあるからなのかなと思います。
著名な文学者にも自殺をした方がいますが、本人がどうであれ、周囲からは惜しまれます。惜しまれるというのは幸せになることを諦めてしまったことへの惜しみ。この世では絶対幸せになれないという深い確信が、とても惜しいものに感じられるのではないかなと。
自殺してしまった人は惜しまれる。その惜しみには他人との縁が前提にあります。縁を結んだ他人がいて、その人々と関係を持つことのできた世界がある。さながら、この世界は「人が生きる縁の世界」と呼ぶに相応しい。
人が幸せになれる唯一の世界がこうした〈縁の世界〉においてだけなのだとしたら?
『鬼滅の刃』の物語世界には〈人〉と〈鬼〉がいます。
人を食べる存在である鬼は、元は人間であったものの、何かトラウマ的な出来事があって、人外の世界に堕ちてしまった姿です。先に引用したアドバイスと絡めてみれば、鬼とは人が幸福になれる〈縁の世界〉から外れた存在であると言えるでしょう。
鬼には何かしら人間だった頃に負ったトラウマがあり、鬼自身はそのトラウマを忘れていはしこそすれ、どこかでそのトラウマによって支配されてもいる。さながら、人が精神衛生上の都合で抑圧した “過去のトラウマ” が今現在の人格になんらかの影響を与えているようにして。
ここで、『鬼滅の刃』の最終巻で印象的なセリフを少し挙げさせてもらいます。「いつも通りまた明日が来れば」「それでも俺たちは生きていかなければならない」「この体に明日が来る限り
──これらから、「明日が来て欲しいわけ」と、「生きていかなければならない理由」、それから「この体に明日が来ることの意味」を取りあげるとすれば、いずれも「幸せではない→幸せになる」へと移行する可能性を語っているものだと考えられるでしょう。
生きていればそのうち幸せになる」といった言い方がされることがあります。これはまぁ、そうなのかもしれません。〈縁の世界〉に身を置いていれば、たとえ現状は幸せではない状態にあったとしても、その状態が覆るかもしれないゼロではない可能性に浴することができるのですから。
もしも “死にたいから” と言って自殺なんてした日には、不幸な自分のままに鬼籍に入ってしまい、「不幸な人」でしかなくなってしまう。〈縁の世界〉にいれば、少なくとも、幸せになる可能性と無縁にはならない。この点から、生きている限りは幸せになる可能性を選び続けることができるため、「生きていればそのうち幸せになる」という言葉にも信憑性が出てくるのです。
『鬼滅の刃』の23巻には「人の人生は物語だから」というセリフがあります。このくだりは感動的で、後には以下のように続いています。
百年前も二百年前も 千年前だって
人の数だけ物語があったんだ
僕の家族にも 僕の知らない人にも
その人だけのその人しか知らない物語が
きっとたくさんあったんだよねぇ
(第205話より)
ここで上の一節を引いて感得したかったのは「人の人生が物語である」という際の〈物語〉が、人が縁の世界で幸せになろうとした人生そのものを示唆しているのではないかしら、ということです。
たとえば、漫画家の荒木飛呂彦が『荒木飛呂彦の漫画術』の中で、物語は登場人物の境遇(幸福度?)が上昇していくものなのだと語って、いや、定義しているのですが、それはすなわち、人が自分の人生の上で幸せになろうとすることと同義です。
荒木のアイデアを『鬼滅の刃』での「人の人生が物語である」と噛み合わせれば、次のように書きつけることができるでしょう。人は自分の人生を生きる上で幸せになろうとする。物語の登場人物が自分の幸福を賭けて上昇しようとするように。人生が物語である。それは幸せへの縁を諦めないこと。縁にすがろうとする意志であり、〈縁の世界〉に浴する感謝であり、物語を生きられる幸福のこと。
『鬼滅の刃』の最終巻から取り出した「意志・感謝・幸福」のテーマは、おおよそ以上のようなものでした。
 

まとめ

『鬼滅の刃』の最終巻を読んで、ふと思ったのは「死にたい人を活かす力」でした。誰もが幸せになりたくて生きているなか、けれども抗えないほどの絶望と共に、自分の幸せを諦め、あろうことか、死んでしまう。けれどもそれはどこか惜しいことなのではないか。そう思える希望だけを縁にして今日も死なないでいる。物語を生きるわたしたちはやっぱりし、幸せになりたいんだもの。この人生、この物語、この世界で。
_了

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