映画「鬼滅の刃」無限列車編の感動ポイント3選【ネタバレ解説】

画の紹介
©吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable
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吾峠呼世晴による大人気コミックス『鬼滅の刃』の映画が公開され、そしてまたまた大人気、一世を風靡しています。このザムザ(@dragmagic123 )もね、ひとつの時代の目撃者となるべく劇場に足を運んできたというわけですわ。んで、感動したっていうね。──この記事ではそんな劇場版作品である『「鬼滅の刃」無限列車編』の感動ポイントを勝手ながら3つほど設定しましたので、ご紹介させていただきます。
※この記事では映画本編のネタバレ要素があります。ご注意ください。
この記事で取りあげている画
外崎春雄『「鬼滅の刃」無限列車編』,ufotable,2020

 

映画「鬼滅の刃」無限列車編の感動ポイント3選【ネタバレ解説】

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鬼滅の刃 無限列車編

©吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

2020年、吾峠呼世晴(ごとうげ・こよはる)による漫画『鬼滅の刃』が一世を風靡しています。
ストーリーは、鬼と化した人および人を鬼にする敵と戦う鬼殺隊となった主人公・竈門炭治郎が、鬼になってしまった妹を救うために活躍する、ダーク・ファンタジー作品。
その原作漫画が、2019年のアニメ化を機にして爆発的なヒットとなります。
2020年ののっけから深刻化したコロナウイルス流行下の外出自粛ムードの中でさえ、買う人が続出。近所の書店で『鬼滅の刃』の単行本が姿を消したり、購入制限をしているところを目にした方もいるのではないでしょうか。
今年の秋(10月16日〜)より公開された劇場版である『「鬼滅の刃」無限列車編』は、全26話放送をしたアニメ版の最終話に続くエピソードとして製作されました。これがまた大人気。
アニメ映画として国内の歴代興行収入のトップテンにランクインしたとのニュースもあり、この記録はまだ伸びていきそう…。
 

あらすじ

蝶屋敷での修業を終えた炭治郎、善逸、伊之助。彼ら一行は禰豆子を連れ、短期間に四十人以上が行方不明になっているという “無限列車“ に到着する。そこで、鬼殺隊最強の剣士“柱“のひとり煉獄杏寿郎と合流した炭治郎らは、無限列車に巣くう鬼に立ち向かう。
 

登場人物

竈門炭治郎(かまど・たんじろう)
優しすぎて無意識領域がウユニ塩湖みたいになってる少年。鬼と化してしまった妹を人間に戻すため、鬼に殺された家族の仇を討つため、鬼を討伐する組織・鬼殺隊に入隊する。蟲柱・胡蝶しのぶの屋敷にて訓練を受けた後、禰豆子、善逸、伊之助とともに、炎柱・煉獄と合流し新しい任務にあたるため “無限列車” へ乗り込む。
竈門禰豆子(かまど・ねずこ)
鬼になってしまった炭治郎の妹。鬼となりながらも、炭治郎の師匠によって掛けられた暗示と自分の意志によって人を襲わない。日中は日差しをさけるため、炭治郎が背負う木箱に入っている。眠りにつくことで体力を回復する。つねに口に竹を咥えているので声を出すときは「ムー」となる。
我妻善逸(あがつま・ぜんいつ)
炭治郎の同期の鬼殺隊剣士でギャグ担当。「雷の呼吸」を身につけており、酔拳ならぬ睡剣の使い手で、意識を失うと強い。女の子が大好きで、禰豆子にもぞっこん。なよなよしていながらも他人を尊重できるいいヤツ。黄色い髪は雷に打たれたせい。
嘴平伊之助(はしびら・いのすけ)
炭治郎の同期にあたる野生児キャラ。猪突猛進かつ好戦的な鬼殺隊の剣士。だがイケメン。「獣の呼吸」を使い、刃こぼれした日輪刀を二刀もち豪快に戦う。そしてイケメン。粗暴な性格だったものの、じょじょに炭治郎から優しさを学んでいくイケメン。
煉獄杏寿郎(れんごく・きょうじゅろう)
鬼殺隊の中でも最高位である “柱” のひとり(=炎柱)。「炎の呼吸」の使い手。明朗快活ではっきりとした物言いをする。鬼殺剣士である炭治郎と鬼である禰豆子とのことを問い詰める柱合会議の後、 “無限列車” の調査に赴くことになる。映画で観客が泣くことになるはコイツのせい。
魘夢(えんむ)
人間を鬼にする元凶・鬼舞辻無惨の配下である “十二鬼月” のひとりで、上弦ではなく下弦に属する。他人の不幸や苦しみを見ることを好む、歪んだ嗜好を持つ。夢を見せる力を持っているが、自分では手を掛けない慎重派。『鬼滅の刃』の敵役の中では珍しい救いようのないクズ。
猗窩座(あかざ)
凄まじい力を持つ十二鬼月・上弦の参。練り上げられた武を試したいと考え、強者に対する敬意を持っている。人間は老いることもあれば傷を負うこともある弱い存在なのだと説き、煉獄杏寿郎に対して「鬼にならないか」と迫る。首を切ってもらいたいランキングがあればトップクラスの卑怯者になること間違いなし。
 

3つのお楽しみポイント

この記事では以下、『「鬼滅の刃」無限列車編』の見どころを3つピックアップし、順に、「夢の世界が持つ意味」、「夢の世界ではなく現実でなければいけない理由」、「人が強くなるためには優しいだけではいけない理由」を紹介していきます。

夢分析・夢限定_現実だからこそできること

©吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

『「鬼滅の刃」無限列車編』の前半部では眠り鬼・魘夢という敵が出てきます。この鬼は人を眠らせて夢を見せることができて、次のようなやり方で敵をやっつけるのです。
まず、夢を見ている間に配下の人間をその夢に忍ばせる。その夢の中は無限には続いておらず、夢を見ている者を中心にして円形の壁があるのですが、その外側に無意識領域が広がっています。そして無意識の領域には硝子細工のように脆い “精神の核” があり、配下にこれを破壊させる。これを破壊されると持ち主は廃人になるので、あとはその廃人を殺せばオーケー、というわけですね。
魘夢の能力では意識と肉体が完全に切り離される。……のですが、劇中では二つの例外によってこの術の成功が阻止されます。ひとつは煉獄杏寿郎の場合で、彼は精神の核が破壊されそうになったとき、意識は夢に囚われていたにもかかわらず、本能によって現実世界の破壊者を行動不能にしたこと。もう一つは竈門炭治郎が見せた、夢に囚われた意識が意志の力で以て自決することによって、術そのものを解除したこと。
興味深いのは、魘夢が見せる夢が「現状の否定」になっていることです(ただし煉獄杏寿郎の場合は現状の否定というよりかは気がかりな過去の再見)。魘夢が鬼になってはない人間を配下にしていたのも、ツラい現実を忘れたい人に都合の良い夢を見せてやっていたからでした。(自分の現実から逃れるために売人から気持ちよくなるクスリをもらうみたいなものですね)
たとえば鬼殺隊にとっては鬼を滅ぼすことが「叶えたい夢」になっています。この場合の夢は〈見るもの〉ではなくて〈追うもの〉です。「夢を見る」だけであれば眠って見る〈夢の世界〉でもできます。しかし、「夢を追う」ことは〈現実の世界〉でしかできません。いくら夢のなかで鬼を倒したことにしても、それはそういうイメージを見ただけであって、現実世界に鬼がいるという事実はなくなりません。つまり、夢は叶っていない。
炭治郎の夢にしても鬼に殺された家族がいて、みんなで暮らそうと持ちかけられる。それは炭治郎の理想の世界です。しかし、結局それは夢を見ているに過ぎない。現実では生き残った家族は鬼になった妹・禰豆子ひとりだけで、兄妹は家族の仇をとるために、妹を人に戻すために、そして鬼を倒すために、夢を追いかけねばならない。
──夢のなかで叶えた夢は “叶った夢” にはならない。こうした事情からは、夢の世界には規制が存在することがうかがえます。この規制を “夢世界の限定力” と理解することにして「夢限定(むげんてい)」と呼ぶことにします。
 

夢でなく現実で_苦しみから立ち上がる可能性

©吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

とーぜんなことではありますが、夢の世界でどんな夢を見たとしても現実では「夢が叶ったこと」にはなりません。そうした夢限定があるにもかかわらず、魘夢の支配下にある人間たちは自発的に夢の世界を求めます。
あるいは竈門炭治郎が、自分がいま鬼との戦いの中にいることを自覚しながらも、ありありとした経験をもたらす夢の中から抜け出せないことでもそうですが、夢の世界の経験は否定しようとしても否定しがたい現実感があるのです。──こうした事情から、魘夢の精神的支配を受けている人間は夢を見せてもらうことにハマり、炭治郎は夢の世界からなかなか脱出できずにいるわけです。
じつのところ、夢の世界は現実の世界よりも現実感が強いのです。ウソっぽいかどうかで言うならば、現実のほうがウソっぽいくらいなのです。
思い出してみてください。現実の世界では何か事件が起こったとしても、「これは夢なんだ」と自分に思い込ませようとしたり、「ウソくさい」と考えたりなんてことがあります。しかし夢の世界では、どれだけ “夢のような” 出来事が起こったとしても “本当のこととして” 有無を言わせずに納得させる力があるのです。
言い換えると、現実では起こった出来事に「信じられない!」と疑うことができますが、夢のなかでは “当人が信じる・信じないにかかわらず、そういうことになっている” というふうに納得させられてしまうのです。夢のなかで空を飛んでもほとんど無条件に受け入れることができるのはそのためです。
つまり、夢は現実感覚の強度において、現実世界よりも強い──だからこそ、人は怖い夢は怖いし、楽しい夢からは醒めたくないのです。
ですが、そこには夢で叶えた夢は現実世界とは関係ないという制約──夢限定があります。
改めて、なぜ夢の世界ではダメなのでしょう?
ひとつの思考実験として、ずっと夢の中にいられるとしたら、別に現実から逃避して、現実を忘れてしまってもいいのではないか?──そう考えることができます。哲学のほうで「水槽の中の脳」という思考実験がありますが、それに近いものです。わたしたちが本当は水槽の中の脳に過ぎず、脳に与えられる刺激で〈現実〉と呼ばれているものが立ち現れているのだとしたら?──これが水槽の中の脳です。
しかし、水槽の中の脳であるにせよ、「人が眠ることで見る夢の世界」と「目を覚ますことで生きられる現実の世界」とでは経験の質が違うのですから。夢の世界ほどには現実の世界は説得力を持ちません。言うなれば、夢の中だと人はただただ “経験させられる存在” となり、能動的に行動することができないのです。
経験させられる立場には自由がありません。自由とは疑うことができる・否定することができる上で状況を否定することです。この意味の「自由」は、有無を言わせず状況を納得させられてしまう夢の世界にはないと言っていいでしょう(とはいえ炭治郎の場合は夢のなかでも自由意志を持てたために魘夢の術を打ち破ることができました)。
それに対して、現実世界では疑うことも否定することもできます。だからこそ、どれだけの無惨な悲劇を経験しても、人は現実においてその苦しみから立ち上がる可能性を持つことができる。それはまた人が強くなれる理由でもあるのです──これが、夢の世界ではなく現実の世界が選ばれる理由になります。
 

強くなれる理由_弱さと悲しみに、ありがとう

©吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

アニメ版の『鬼滅の刃』の主題歌となった LiSA の《紅蓮華》の歌い出しに次の一節があります。「〽︎強くなれる理由を知った 僕を連れて進め」。このフレーズは歌い出しだけでなく1番のサビ前に再び歌われるのですが、アニメのみならず原作を読んだ人からしても、『鬼滅の刃』の全体図をイメージさせてくれる素晴らしい歌詞です。
『鬼滅の刃』では主人公・竈門炭治郎の身に降りかかった悲劇から物語が始まります。ストーリーを追っていくと立ち直れなくなってもおかしくない出来事が何度も起こるのですが、そのたびに炭治郎は何度でも立ち上がる。──ここにあるのは〈強さ〉と〈強くなれる理由〉です。
『無限列車編』にしても、映画の後半で煉獄杏寿郎が死ぬことになり、炭治郎を含めた伊之助・善逸は自分たちの力のなさに悲嘆に暮れる…。このときに煉獄さんが語るセリフは観客の胸を強く揺さぶる力を持っている、だけでなく、主人公・炭治郎の生き方や『鬼滅の刃』という作品全体のテーマに関わるものになっています。
胸を張って生きろ
己の弱さや不甲斐なさにどれだけ打ちのめされようと
心を燃やせ 歯を喰いしばって前を向け
君が足を止めて蹲っても時間の流れは止まってくれない
共に寄り添って悲しんではくれない
(『鬼滅の刃』8巻所収の第66話からセリフを抜粋)
以上の煉獄のセリフは〈人の強さ〉を教えてくれるものになっています。たとえ立ち止まったとしても、時間の流れは止まることなく、人を運びつづける。だからこそ人は自分の弱さを肯定しながら、弱さと共に強くなっていくしかない。──そう語りかけるように。
煉獄杏寿郎の死は優しい炭治郎にとっては “優しいだけじゃ守れないもの” に直面する事態であり、己の弱さや不甲斐なさに打ちのめされる経験だったわけです。しかし、別の面からすると、こうした悲劇はまた “強くなれる理由” をくれもします。
LiSA は『鬼滅の刃』のストーリー全体から、炭治郎の〈優しさ〉と〈強さ〉を踏まえて《紅蓮華》の作詞をした際に、もっとも力強いう歌われることとなるサビの部分を次のように書いたのは的確でした。
どうしたって!
消せない夢も 止まれない今も
誰かのために強くなれるなら
ありがとう 悲しみよ
世界に打ちのめされて負ける意味を知った
紅蓮の華よ咲き誇れ! 運命を照らして
上の歌詞は 先に挙げた煉獄のセリフと符合するところが大きいでしょう。(ただしアニメ放送版では歌詞の一節が変更されている。詳しくはこちらの記事をご覧ください。)
「消すことのできない叶えたい夢」と「止まれない時間の流れる現実世界」とがあり、自分が救いたい誰か・自分を励ましてくれる誰かのために、強くなれる、としたら、〈悲しみ〉にもありがとうと言えるかもしれない
だとすれば、以上に見てきた〈強さ〉は次のように書きつけることができるのではないでしょうか。
強くなれる理由 = 優しさ + 優しいだけじゃ守れないもの
 

まとめ:そして《紅蓮華》は偉大なり

この記事では映画『「鬼滅の刃」無限列車編』を見る上での、3つのポイントを取りあげました。じつのところ『鬼滅の刃』の感動ポイントのほとんどが LiSA の《紅蓮華》によって解説されているのではないかとも思われます。それは映画版の感動にしても同様です。しかし原作漫画やアニメ版よりも映画版がとくに感動的であったとすれば、それは作画や音響、またはそれによってより引き立つ声優の演技などの「映画体験」によるものでしょう。この記事が、そうした映画体験によってより印象を強めた感動ポイントを発見する手立てとなれれば幸いです。
_了

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