【河童の三平】なぜ河童は薄情で、タヌキは親切なのか|+柳田國男

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どうも、ザムザ(@dragmagic123 )です。今回は水木しげるの漫画作品『河童の三平』を取りあげます。縁あって「里ー野ー山」という構図を知っていたので、その図式を使って作中の人間と河童の関係を読んだらおもしろそうだなと思い、この記事を書きました。途中で柳田國男というチョー有名な民俗学者の「平地人ー山民ー山人」の構図も気になり、そっちにも目配せしちゃってます。ほんまテヘペロですわ。

この記事で取りあげている本
 
この記事に書いてあること
  • 水木しげるの漫画作品『河童の三平』はなぜか主人公である三平に対して、河童が薄情でタヌキは親切に描かれている。人間目線からすると、人間・動物・妖怪のそれぞれが属している場所は「里ー野ー山」と分かれている。しかし三平は「半分人間・半分妖怪」であり、身分が曖昧だ。そうした身分の曖昧さがタヌキとの仲を深めることになった。
  • 柳田國男は「平地人ー山民ー山人」の構図を用いて、昔に属する山人が今に属する平地人へと直線の歴史認識を示した。『河童の三平』では、平地人が自然化した姿として妖怪=山人が描かれており、むしろ山人は未来人なのだ。「平地人ー山民ー山人」の図は直線ではなく円環を描いている。「半分人間・半分妖怪」の三平は山人から山民への世俗化なのだ。
  • 人間界への留学を言い渡された河童のかん平はまじめな留学生ではなく、有形文化を対象とする単なる旅人にさえ満たない縁でいた。なぜなら、かん平は(学び、働く人間と違って)妖怪らしく、気ままに遊んで暮らしていたかったのだ。対して、タヌキは家にいそうろうさせてくれた三平に感謝し、心意現象を対象とする同郷人にさえなっていた。

 

【河童の三平】なぜ河童は薄情で、タヌキは親切なのか|+柳田國男

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はじめに

さまざまな「河童の三平」

 水木しげるの代表作に『河童の三平』という作品があります。紙芝居から始まり貸本漫画を経て誌上の連載漫画へと姿を変えながら、ストーリーには表現や展開などを含めて様々なバリュエーションが存在する、そんな作品です。アニメやドラマ、映画にもなっています。

 『河童の三平』の世間的な評価は上述した後々のメディアミックスの展開を聞けばわかりますが、同業者からの評価をうかがい知るエピソードも(※)あります。漫画家ちばてつやが自身の作品『おれは鉄兵』のなかで、主人公の鉄兵が教師に「今まで読んだなかで、一番感動した本はなんですか?」と聞かれるシーンがあり、そのときに鉄兵は「河童の三平です!」と答えるのです。

 ある漫画家が自分の描いた漫画の主人公に別の漫画家(それも同時代の作家!)の作品を “一番感動した本” として挙げさせる。──このことからも『河童の三平』の偉大さがうかがい知れるでしょう。

(※)伊藤徹「水木しげるに魅せられて四〇年」『ユリイカ 特集✳︎水木しげる 2005.9

『河童の三平』について

ここでは『河童の三平』のメインの登場人物の四人を紹介します。それから、おおよそのストーリーの概要もさらっておきます。

登場人物

河原三平

小学一年生。見かけが河童に似ているので学校では「河童の三平」と呼ばれる。勉強と運動が苦手。河童の血筋を持っている半人間・半河童。人間の友達がいない。

かん平(河太郎)

河童の国の長老の息子。三平と似た見かけをしている。人間界に留学することになり、三平と交代で学校にいく。三平よりも性格が強いものの、不まじめ。

死神

人をあの世に連れていく仕事をしている。サラリーマンみたいで、死神職としての成績不振にあえいでいる。仕事中でも食べものに釣られて優先度を変えるなど、どこか俗っぽい。

タヌキ(タヌ吉)

イタズラして三平を困らせる。身を寄せるところがなく、三平が家に住まわせるようになると心を開く。死神の企みを防ごうとするなど、正義感がある。
 

あらすじ

 山奥におじいさんと住む河原三平は小学校にあがる。片道10キロ(貸本版では20キロ)もある道を通って学校までいくものの、他の子どもから「河童の三平」とバカにされる。帰って川に釣に行くと、舟で眠ってしまい、流されていく。

 気づくと三平は河童と間違われ、本物の河童に捕まってしまう。ヘソとキモを取られ、河童の国に連れていかれた三平は河童たちの見世物になる。

 三平が河童に人間界のことを話したところ、人間の文明の発展に興味を持った河童の国の長老は自分の息子(かん平)を人間界への留学生として送り出すことに決める。

 河童のかん平は三平にそっくりで、「人間の三平」ではなく「河童の三平」として交代制で学校に通うようになる。

 かくして、おじいさんの魂を連れて行こうとする死神や、家無しタヌキとの交流もありながら、人間・動物・妖怪が登場する牧歌的かつ冒険的な生活がはじまるのだった。

 

なぜ河童は薄情で、タヌキは親切なのか

河童とタヌキの温度差がわかる(貸本版より)

『河童の三平』のキャラクターの関係を見ていると不思議に思うことがあります。それはストーリーが進んでても、三平とかん平との関係がいまいち親密にならない点です。

 有名な終盤のシーンに、三平は死神にあの世に連れていかれるくだりがあります。この場面の前後で、かん平は死にゆく三平に対してあまりにドライで、薄情なのです。かん平の薄情な態度を “人間と妖怪の間だから仕方がない” と考えるには、あまりにも濃厚なエピソードが挿入されているので、不思議。

 たとえば、三平がかん平といっしょに河童の存亡を賭けて決死の冒険をする《ストトントノス七つの秘宝》という話があります。河童族のために冒険をし、その果てに、三平はかん平とともに河童族の王族の名をもらい、「ストトントノス九世」の称号さえもらう。

 上のような大冒険の後だと思うと、三平が死んでしまうというのにかん平の態度はあまりに薄情に映ります。三平はかん平の人間界への留学に手だって貸してきたというのに。。。

 ただし、ドライな態度をとるかん平に対して、タヌキは三平が死んでから残される三平のお母さんのことまで心配し、死神に連れていかれる別れの場面では涙さえ見せるのです。ここでも疑問は深まります。つまり、なぜ河童(妖怪)は薄情に見えて、タヌキ(動物)は親切だったのでしょうか。──当記事は以下、その疑問を巡って文路を進めていきます。

 

疑問に答えるための三つのアイデア

 なぜ河童(妖怪)は薄情に見えて、タヌキ(動物)は親切なのか。──この疑問に対するアイデアとしては三つの可能性が挙げられます。

  1. かん平はもともと人間界に属する三平に対して薄情だった。互いの絆が深まったかに見えるエピソードも、最後に「おれは河童族のためにこれからやるぞ」と呟いている。河童集団へのアイデンティティの目覚めではあれど、三平との絆の深まりには至っていない。だからこそ三平が死んでも知ったこっちゃない。
  2. 『河童の三平』にはいくつかの異本があり、元々のプロットへと後々になって新しいエピソードを挿入することもあった。そのため、河童はもともと人間に対して薄情で、タヌキは親切。三平とかん平との絆が深まったように見えるエピソードは元々のストーリーの骨格に想定されていなかった。
  3. 人間が人間である、妖怪が妖怪であることの間には何らかの点で断絶があり、動物はその中間に位置する。半分人間半分河童の三平であっても、結局は人間界に居場所を置くので、河童にとっては相入れない他者に過ぎない。かん平は三平の家に落ち着かないものの、タヌキは同居する。この三者関係に秘密がある。

 ①は〈登場人物の動機〉に由来するもので、かん平の信念のあり方に注目したアイデアになります。あるいはキャラクター造形への着目として、「そういう設定だったから」という設定論になるでしょう。②では〈物語の外部の理由〉に注目したアイデアで、作者である水木しげるの着想とその後の作品の世間的な受容が反映した結果、かん平が余計に不親切に見えてしまったという結果論になります。

 ③のアイデアでは〈物語の構造〉へと注目しています。ストーリーのなかで人間(三平)・動物(タヌキ)・妖怪(河童)の三者がどのような振る舞いをするように全体が構造化されているのか。そこでは人間は何であり、動物は何で、妖怪は何なのか。言い換えると、各キャラクターがストーリーの中で何を象徴しているのかを問う象徴論です。

 以上の三つの観点のうち、当記事が支援するのは③の〈物語の構造〉に注目した象徴論になります。その理由としましては “おもしろいから” ……なのですが、さすがに説明不足なのでもう少し補足しておきます。

 ①は登場人物どうしの関係性に立ち入った感想文になってしまう、物語に対して “近づいた視点” となり、②は出版事情・世間的関心へと関心を向けた調査報告の形になってしまう、物語に対して “離れた視点” になる。どちらも『河童の三平』という物語から印象受ける象徴性を楽しもうとすると相応しくない。

 それに対して、③ではそれぞれの登場人物を抽象して扱うことができます。たとえば、三平は “人間というもの” として、かん平は “妖怪というもの” として、そしてタヌキは “動物というもの” として、具体的なキャラクターとしてだけでなく、抽象的なトークンとして扱えるのです。

 以上の理由から、ストーリーに対してマジメに向きあいながらも、他方では『河童の三平』以外を参照するといったフマジメな点検作業をおこなうために、この記事では③の〈物語の構造〉に注目する象徴論に立ち入ることにします。

 

三平たちのいるところ

ここでは「人里ー野山」や「里山−深山」、さらには「里ー野ー山」の構図を用いることで、『河童の三平』の登場人物たち──三平・タヌキ・かん平の属する場所がどういったところなのかを見ていきます。

三平とかん平のいるところ

 なぜ河童(妖怪)は薄情に見えて、タヌキ(動物)は親切なのか。──この疑問に対して、人間に対する妖怪と動物の距離感を見ていきましょう。

 また、ここからは「人間ー動物ー妖怪」の関係を描く便宜上、人の暮らす世界とそれ以外とを分けた「人里ー野山」の構図と、人里との距離を示す「里山−深山」の構図を用いていきます。

 距離感というと、河原三平と人間社会にも距離がありました。河原家が暮らしているのは山奥で、それも「五年か十年にひとりかふたりの人しかはいってこない」ほどに辺鄙な場所です。小学生になった三平が学校に通うためには10キロもの道のりを歩く必要がありました。

山奥に住む河原家(貸本版より)

 こうした現実的な距離はまた、三平と他の人々との間にある距離を暗示する象徴的なものでもあります。つまり、同じ人間でありながら三平は〈人里〉とは離れた〈野山〉に属しているのです。

 三平は実際のところ〈深山〉の住民と言ってもいいでしょう。とはいえ象徴的な身分としては「立派な日本国籍をもつ人間」でもあり、三平は人の手の入った領分である〈里山〉に属している。だからこそ教育を受けるために〈人里〉に降りていき小学校に通っているのですね。

 それに対して河童のかん平は現実的にも象徴的にも〈深山〉に属していて、〈人里〉とは(さしあたっては)無縁でいる〈野山〉こそがホームベースなのです。

 

タヌキのいるところ

人間は〈人里・里山〉に属し、妖怪は〈野山・深山〉に属している。それでは、動物であるタヌキはどこに属しているのでしょうか?

ここで、『あたらしい教科書 3 ことば』に収録されている劇演出家・竹内敏晴による「からだとしてのことば」という文章を参照しましょう。そこで竹内は言葉の意味を人々の生活感覚から理解する例として、高野辰之が作詞した童謡《春がきた》を取りあげています。

〽︎春がきた/春がきた/どこにきた

 山にきた/里にきた/野にもきた

 《春がきた》の歌詞に出てくる「里ー野ー山」が示唆する関係図に注目した竹内は、「山」の反対語が「里」になっている点に注意しつつ、それらの言葉が意味するものの気配を次のように解きほぐしてみせるのです。

「さと」は人の住んでいるところで、「やま」は人の住んでいないところ、あるいは人が入っていったら何が起こるかわからない、人が絶対に入っていかないところです。だから、「やま」が高いとは限らない。深い森の場合もあるし、人が踏み込まない神聖な場所という意味では、いわゆる「山」とはまったく関係ないところもあります。(p76)

 上に引用した箇所を読むと、〈里〉と〈山〉とが一種の対概念になっていることがわかります。そして “入っていったら何が起こるかわからない、人が絶対に入っていかないところ” でもあるとし、〈山〉の言葉の本質が必ずしも “ある程度の標高を備えた土地” だとは限らないことを説いています。

 こうした「里ー山」の関係図式は “人間の世界” と “妖怪の世界” に対応させることができます。

 引用した箇所に続けて竹内は〈野〉がどこにあり、何であるのかを次のように説明します。

となると、「の」は「やま」と「さと」の中間にあって、人間が薪を拾ったり、罠を仕掛けて獣を捕らえたりするところということになります。(p76)

 〈野〉は「里ー山」の中間にある。〈里〉が人間界であり、〈山〉が人間界の外側である異界に当たる。そうした構図のなかで〈野〉というのは人間界の周縁に当たる。だからこそ「野ざらし」という言葉にも公的世界からの異端視、および共同体からの庇護下からの追放の意味にもなる刑罰的意味を帯びるのです。他方で、〈野〉は外部と交流を持つ境界でもあります。「自然界=山」からの恵みを受けとる場所でもある。

 人間は〈人里・里山〉に属し、妖怪は〈野山・深山〉に属していて、動物であるタヌキはどこに属しているのか?──この疑問に対して、引用箇所で語られている “獣を捕らえたりするところ” としての〈野〉という指摘が答えをくれています。

 つまり、動物が象徴的に属しているところは〈里〉と〈山〉のあいだに位置する〈野〉なのだということを。

 

平地人−山民−山人

 わたしたちは「人間ー動物ー妖怪」のそれぞれが属している世界を「里ー野ー山」の図式を用いて読んでみました。しかし、それらの各領域は別々に独立して存在しているわけではありません。そうではなく、三つの表現は人間の生活感覚から距離感を吟味された(カテゴリー状ではなく)スペクトラム状の表現なのです。

 そうは言っても、三平の身分は曖昧です。

 三平は〈里〉に属する人間の生活感覚からすれば “山のもの” だと思われても仕方ありません。なにせ〈人里〉から山奥へと10キロも離れたところで暮らしているのですから。このことは三平が “里のもの” の生活圏から “かけ離れている” どころか “隔絶されている” ことを示唆しています。

 結局のところ三平は「半分人間・半分河童」ではあるのですが、三平の、人間界から半ば隔絶された中間の身分は、「人間ー動物ー妖怪」や「里ー野ー山」の図式だとうまく説明できません。

明らかに河童な河原家の先祖(貸本版より)

 そこでわたしたちは民俗学者・柳田國男が『後狩訶記』以降の他者論の仕事で用いた「平地人−山民−山人」の図式に目を向けることにします。

 

柳田國男の椎葉村体験

 明治41年当時に法制局参事官だった柳田國男は椎葉村に行きました。このときの体験が「日本の民俗学の出発点」として語られることになるのですが、柳田の椎葉村体験とは要するに、“平地人として生きてきた世界とはまったく異質なものであった” というものでした。具体的には、椎葉村では山奥で狩猟し、焼畑を営んで暮らす生活を送っていたのです、ようするに柳田は、近代化された文明生活ではない “古い生活様式” を目の当たりにしたのです。

 1909年に発表した『後狩訶記』の翌年に出した『遠野物語』の序文には「平地人を戦慄せしめよ」という有名な文句がありますが、その文句の大元には椎葉村で戦慄した柳田自身の姿があるのです。

 柳田は椎葉村で見聞きした生活様式に驚きました。ところが、その古い生活様式を送る村民に対して、柳田は驚きこそしたものの、あえて、平地人である自分たちとまったく異質であるとはみなしませんでした。この背景には日本人として国民をまとめ上げるべく歴史的かつ政治的な使命感があったものと見ることもできますが、ここでは深く立ち入りません。ここで触れるのは柳田が椎葉村の人たちを日本国民の一部に統合するために依拠した歴史認識です。柳田は次のような認識から、椎葉村の村民を日本人へと同質化します。

思うに古今は直立する一の棒ではなくて、山地に向けてこれを横に寝かしたようなのがわが国のさまである。

 『後狩訶記』で語られる上のような認識は、平地で稲作を営む「平地人」と山奥で狩猟・焼畑を営む人々に、山から平地へと続いていく連続性を見てとったのでした。この図式から、椎葉村の村民を “山人ではなく” 「山民」と呼んだのです。

 

柳田他者論:山民=三平、山人=かん平

 山民は柳田によって一種の理想化がなされます。さながら「あの頃はよかった…」と懐古するときの対象のように。『九州南部地方の民風』という文章の中では「ユートピア」の文言まで使われるほどです。

 しかし、柳田のファースト・インプレッションとしては椎葉村の人々は「山人」と呼ぶに値するものだったはずです。この点に関して、民俗学者・六車由実が「柳田民俗学における「自己」と「他者」」で指摘しているのは、柳田は椎葉村の山民の暮らしの実情を語るうえで「椎葉村の地域における獣肉食の重要性」に関して “不自然なほどに触れていない” ことです。

 柳田は山人をハレの日に肉を食らう野蛮人として物語り、そのうえで “ハレの日に米を食べる” という点を取り上げることで山民を平地人に同質化するのですが、このことは椎葉村の実情とは異なっているのです。つまり「柳田がその実在性を証明しようとした「山人」とは、現実の「他者」である「山民」(椎葉の民)を「われわれ」日本人の中に回収し、同化するための一つの方法的手段」(六車由実)だったと見ることができるのです。

 ところで、“他者” というのは何かというと、相手が見ず知らずの誰かであると同時に、その相手を理解することがマナー違反になってしまいかねない事態を含意します。柳田が意図したのは平地人も椎葉の民も同じ日本人としての気位を持ってもらうことでした。だからこそ、互いに理解できないことを診断する認識を避けたのでしょう。他方では、同じ日本人の共同体である「われわれ」を固めるために “何者かが他者であること” は維持されなければならなかった。自己に対する他者、文明に対する野蛮、稲作に対する狩猟・焼畑といった対立しあう概念を駆使して。それがまさに〈山人〉だったのです

 ここで『河童の三平』に立ち返りましょう。三平は小学校がある土地までは10キロ(または20キロ)も歩いていかなければならないところに住んでもいる。しかし他方で、登校初日に先生から言われるように「立派な日本国籍をもつ人間」でもある。この点で柳田が言う「われわれ」に属しています。つまり山民なのです。また、山民の概念には柳田が隠蔽した “平地人に対する現実的な他者としての山人的なニュアンス” もあり、「半分人間・半分河童」である三平と親和性があります。

 改めて、「平地人−山民−山人」のような自己−他者図式を借用するならば、三平は山民であり、河童のかん平は山人にあたるのです。

 

人間と妖怪の生きかたの違い

 なぜ河童(妖怪)は薄情に見えて、タヌキ(動物)は親切なのか。──この疑問にこれまで三つの構図を取り上げました。「人間ー動物ー妖怪」、「里ー野ー山」、そして「平地人−山民−山人」。

 「平地人−山民−山人」の図式における山民を、ここでは柳田が椎葉村で体験した戦慄により近づけた形で、次のように三平の身分を解釈することにします。すなわち、平地人とは同質化することはできず、さりとて、山人として異質化してしまうこともできない、両者の中間に位置付けられる「半平地人・半山人」といった中間者としての山民である、と。

 わたしたちは三平を山民に、かん平を山人に当てめて、人間と妖怪との対立を「半分人間・半分河童」という、より中間の身分に近いところで分類しました。そして、三平が人間との友情を持てずに動物であるタヌキだけと友情を交わせたのも、この点に理由を見出せます。

 三平は「平地人−山民−山人」の中間項である「山民」に属していて、タヌキは「里ー野ー山」の中間項である「野」に属している。

 中間項としての両者の重なり方を指摘するとき、河童であるかん平はどうかと言うと、かん平もまた河童界から人間界に留学と称して出てきている点では、異界への進出をしている点で曖昧な立ち位置なように思われます。しかし、かん平は終始人間界に馴染もうともしませんし、じっさい馴染んでいません。三平も学校にいっしょになって友達がいませんでしたが、三平に扮したかん平にも学校での友達はできなかったのですから(少なくともそんな描写はない)。

 以下では柳田國男の民俗資料の採集方法を取り上げながら、河童であるかん平やタヌキの位置、それから人間と妖怪との違いに目を向け、改めて三平とタヌキとかん平の関係を眺めることにします。

 

民俗資料の採集方法とかん平のふまじめな留学

 ここでふたたび柳田國男のアイデアに目を向けます。

 柳田國男は『民間伝承論』および『郷土生活の研究法』において、民俗資料の採集方法の三つを紹介しています。①有形文化を対象とする旅人の学②言語芸術を対象とする奇遇者の学③心意現象を対象とする同郷人の学──というふうに。これらはそれぞれ次の形でイメージすることができます。①は旅行気分で土地を訪れるよそ者で、その土地の見かけだけを見る。②では土地の文化に興味を持ってホームステイしにきた滞在者で、その土地の言語風俗を持ち帰る。③は土地に骨を埋めるつもりで引っ越した帰化人で、その土地の精神風土を体感する。

 以上の三区分から『河童の三平』におけるかん平の立場を分析することができます。というのも、かん平は河童の長老から文明の進んだ人間の世界へと留学するように言い渡されているからです。留学と言うからにはせめて、柳田國男の民俗資料の採集方法で言うところの「奇遇者の学」の程度まで人間界に溶け込む必要があるでしょう。このように柳田の民俗資料の採集方法の三種は、その土地の人々と打ち解けた度合いを図る基準として用いることができます。──ところが、かん平の留学の実態は「奇遇者の学」どころか「旅人の学」にも及んではいない、ふまじめな態度なのです。

 かん平の態度は注目に値します。たとえば物語の初期で三平の代わりに登校し、水泳大会に出て、河童らしくブッチギリの一位になります。これに目をつけた校長が(かん平扮する)三平を村代表の水泳選手に抜擢するのですが、この件に関してかん平は最初の出場以降ノータッチです。三平は水泳が苦手なため、これは大いに困るのですが、これ以降かん平はまともに登校しなくなります。三平が責任を取らせようとかん平に迫ったときも「おらあ そんな趣味ないな」と素っ気なく、屁を使った泳ぎ方を教えはするものの、やっぱり薄情なのです。さらには河原家にも近寄らなくなり、三平が死神におじいさんを連れていかれてしまうときにさえ、同情を寄せたりしません。

 ようするに、かん平は留学を言い渡されはしたものの、人間界の有形文化である学校制度に対してまじめに取り組もうとしないのです。山民としての三平さえちゃんと通学する平地人の学校に対して、妖怪すなわち河童として山人に部類するかん平が学校になじまないでいることは、さながら「平地人ー山民」が人間的な自己に包括されるのに対して、「山人」が他者として異質であることにも重ねられるでしょう。

 そもそも三平とかん平との初対面からして、かん平はこう言っているのです。

お父さん大丈夫かい こんな下等なやつと

人間を下等生物扱いする河童(貸本版より)

 

同郷人になったタヌキ

 ふまじめな留学生であるかん平が人間界への「旅人の学」さえままならないのに対して、タヌキは三平ともっとも親しい間柄になります。三平のおじいさんが亡くなってから現れるタヌキは、三平をからかうところから始まり、河原家で暮らすようにさえなる。

 タヌキはふらっと立ち寄った旅人であるよりも、しばらく居候になる奇遇者であるよりもなお三平と親密になり、最後には死んでしまう三平と、残された三平のおかあさんの面倒を見るとまで約束するのでした

 タヌキがこれほどまで三平と打ち解けた理由としては、家族のないタヌキにとって友達のように家族のように接してくれた唯一の相手だったからである、と考えられます。現に三平との別れの場面でタヌキは次のように言っています。

「三平 おれ おまえが金持ちでもないのに いそうろうさせてくれたのに 感謝してるんだぞーっ!!」

死出の三平(貸本版)

 上の発言の肝の部分は “金持ちでもないのに” という箇所でしょう。 “役に立つから” とか、 “金になるから” などの欲得が絡んだ理由ではなく、これといった理由もなしに施してくれたやさしさは得てして特別なものになります。

 タヌキの感謝は、三平が欲得に基づく “里に属した人間” であるはずなのに、欲得抜きにもてなしてくれたことにある、と言えます。実際には三平は里に属してはおらず、村外れどころか、野を超え山を超えの土地に暮らしている。そこにタヌキもいて、河原家に居候する。後になって三平の母親と暮らしているのを思えば、かん平が旅人や奇遇者であるよりも超えて、タヌキは三平と同郷人になれたのです

 同郷人の関係になれたからこそ、タヌキは三平の家族への思いやりにまでシンパシーを持つことができたのです。三平の母親に対する心配はまさに、柳田國男が説くところの「同郷人の学が心意現象を対象とする」ようではありませんか。里ではなく山との境にある野に住み、平地人ではなく山人との境である山民として生きる。そんな三平に対してタヌキは同郷人になり、そうあったからこそ三平の心情に深く立ち入れたのです

 他方で、三平に対してこれと言って感謝の色を見せないかん平は、 “山に属した妖怪” として別の論理が働いています。

 

平地人だった河童は自然に帰って山人になった

 「平地人−山民−山人」の時系列順は次の形に書き換えられるでしょう。

山民(過去)→平地人(現在)→山人(未来)

 ただし、これは柳田が構想したような直線状のものではなく、むしろ円環状のものになっています

 すなわち──未開の山民がいて、次第に文明化されていくと平地人になる。そして平地人が “文化が人を幸せにしないこと” に気づき、自然に帰った姿が山人。ここで終わりではなく、山人から山民となるものがいて、山民が平地人になっていって、といった円環構造がある

 

 以上の、円環状のものとして書き換えられた「平地人−山民−山人」の図式は『河童の三平』の中に読み取ることができます。

 まず、山の中で野菜作りや林づくりをやっている三平が住んでいるところが山民の位置にあり、それ以外の村や学校、都会の方面が平地人の領域に当たるわけです。そして山深くにいる河童たちが生きているところが山人の位置に当たる

 河童たちはかつて人間を奴隷のように使う文明人でした。彼らは文明豊かな平地人の地位にいたのです。しかし河童は言います。「文化が あまり河童を幸福にしないことがわかったので 河童は自然に帰ったのだ」。つまり、もともと平地人だった河童は文明が人を幸せにしないことに気づき、自然に帰った、というわけです。ここには平地人から山民への単なる退行とも違った自然への回帰(自然化)があります。なぜなら、平地人が時系列上で最新の位置にいるわけではなくて、むしろ一番古いと思われていた山人がもっとも未来の姿だと言うのですから。──こうした点からすると、妖怪が働かずに遊んでいることも、人間が汗水流して働いている姿よりも優れたあり方に映るでしょう。

人間は遅れていると言う河童の認識(連載版より)

 「学び、働く」人間だからこそ、「遊ぶ」だけの河童に見下されているとしたら?

 “culture”(文化)には “cultivate” (耕作する)された結果として洗練されていきます。これは現実的にも比喩的にも「労働・仕事・活動」などの “作業(業=karma を作りだすこと)” に裏打ちされた現象です。言い換えると、山民から地平人にかけて等しく行う「学び、働く」営みが文明の総体を形づくる。このような世界の中では “遊び” とは余分であり、おまけです。平日に対する休日のようなもの。──河童が自分たちを幸せにしないと気づいたのは、そうした平日のために休日がある世界観のことです。

 ところが、地平人からすると未来の位置にあるはずの山人が山民の位置へと降りていくこともあります。たとえば三平の先祖は人里に降りてきて、人間と家庭を持ったことで河原家をなしました。これは「遊びの世界」から「学び、働く世界」へと戻ったことになります。あるいは三平から人間界の発展を聞かされた河童の族長が、かん平を留学させたこともあります。このように、山人の側が山民・地平人に関心を向けることもあるわけです。

 

「学び、働く」下等な人間と「遊ぶ」高等な妖怪

 河童のセリフに次のものがあります。三平が死んでしまい、残された母親が貧乏でいることに対して、河童の長老が笑うくだりです。

タヌキ「三平のお母さんは貧乏なんですがね……」

長老「貧乏? それはイケマセンナア ハッハッハ」

笑う河童の族長(貸本版より)

 一見すると人間の事情に対して他人事でいる河童が無神経に貧乏な境遇を笑っているだけに過ぎないのですが、文明に働く人間を下等だとし、自然に遊ぶ河童が高等であるとする価値観や、人間が未来人である河童からすると過去に生きている点などを考慮すると、また違ったふうに見えてきます。というのも、すべてが遊びに過ぎない河童=妖怪からすれば山民や平地人が生きる労働生活は時代錯誤的と言ってもいいもので、「いつの時代やねん」や「遅れてるなぁ」といった感覚から笑われても仕方ない、言うなれば「ウケる」ことなのですから

 さて、既に引用したタヌキと河童の長老とのやりとりを見ますと、タヌキは人間界の労働のロジックに肩入れしていることがわかります。それに対して河童の長老にしても、かん平にしても、人間界のことはどこ吹く風であり、対岸の火事。これは河童ひいては妖怪というものが「学び、働く」ことから遠く離れた、「遊び」の世界に住んでいることに由来するのです。

妖怪とガングロギャル

 話は逸れるようですが。最近ではあまり見かけませんが、世紀末の頃の日本にはガングロというメイクをする人たちがいました。彼・彼女たちはしばしば「妖怪ヤマンバ」などと言われていたのですが、わたしたちはガングロ族がよく口にしていたギャル語に「ウケる」と言う感覚を、妖怪的であると感じます。「ウケる」は、まるですべてが遊びであるというように、ところ構わず用いられる言葉だからです。これは実に妖怪的ではないでしょうか

 

タヌキは縁を深め、かん平は薄情になる

 途中で脇見したり、脇道に入りがちな論述になりましたが、ここまで見てきたところから「なぜ河童(妖怪)は薄情に見えて、タヌキ(動物)は親切なのか」の問いに対して次のように──答えるためにここでは「」という言いかたを採用します。この「縁」という言葉には二つの意味があります。ひとつには竹内敏晴の「里ー野ー山」と柳田國男の「平地人ー山民ー山人」のアイデアから確認した土地の意味を「地縁」として言い含ませ、もうひとつには三平が河原家の跡取りとして教えこまれ、タヌキが約束した三平の母親の面倒を見ることの意味を「約縁」として言い含ませています。──答えられるでしょう。

 三平は半分人間・半分河童だが、人間が生きる世界に強い縁があり、家族もそこにいる。けれど半分河童だから、半分だけ。三平には人間の友達がいない。一方、タヌキには家族がいない。三平と親しくなり、家族として生活することは、タヌキもまた半分人間界に生きることになる。人間と妖怪との中間に生きる三平と、人里と野山との中間に生きるタヌキ。同じ中間に生きる者どうしだからこそ、同郷人として暮らしあえた、こその絆があった

 他方で、河童のかん平は河童界の妖怪として遊びの世界に生きている。父親である族長から人間界に留学に行けと言われても熱心にはなれず、遊んで暮らす。つまり、人間に対して強い縁のない状態にある。むしろ人間は下等で、遅れている──そんな認識を持っている。河童世界の歴史上、かつては河童の奴隷だった人間でもあり、かん平は三平および彼の母親との縁が確かなものにならない。とりわけ学校に通ったり、母親の世話をしなければならないといった “しがらみ” は遊びを邪魔するものであり、それを疎うかん平もおのずと薄情になる

 かん平とタヌキとで三平とその母親に対する姿勢に違いが出るのは以上の縁の相違があるからで、タヌキが恩返しさながらに人間に尽くすのに対して、かん平の方は “学校も嫌” だし、“死んだ三平の代わりに三平の母親のそばにずっと暮らすのも嫌” だというふうな薄情にもなれるのです。

 

まとめ

こんなに書くつもりはありませんでした。もっと短くて済むかと思っていました。あいだに気掛かりな竹内敏晴や柳田國男のアイデアを覗き込んでしまったのが運の尽き…。しかしそれも水木しげるの『河童の三平』のおかしみのなせる技でしょう。経由した脇道の数だけ膨らんだ箇所も、『河童の三平』を楽しむ手掛かりになることを祈っています(笑)

この記事では焦点を当てませんでしたが、みょーに俗っぽい死神なんかも見どころです。死神のせいで三平は家族をひとりひとり失くしてしまうのですが、それでも悲壮な話になってしまわない。そこが水木しげる作品の魅力と言えましょう。夏といえば水辺、水辺といえば河、河といえば河童。…というわけで夏の読書のおすすめに『河童の三平』を勧めておくことで、終わり。

_了

 

関連資料

六車由実「柳田民俗学における「自己」と「他者」」(日本思想史学会)

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