日夏耿之介 vs.萩原朔太郎:二人の象徴主義詩人|回想の象徴詩派

文の紹介
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 どうも。ザムザ(@dragmagic123 )です。

 2020年のはじめの頃、縁があって萩原朔太郎の『猫町』を読んで以来、萩原に関心があります。

 『猫町』には詩人として知られる萩原が書いた小説が収録されていました。他にもオノボリサン的に東京での生活をはじめた萩原の生活・心象風景が写された随筆なども。

 わたしは感覚的な詩作で知られる萩原の小説に関心がありました。かくして手に取ってみた結果、萩原朔太郎は気になる詩人のひとりとなったのでした。(しかしこれを書いている時点では、ろくに彼の詩作品を読んではいません。かの『月に吠える』ですら受験時代の暗記事項に過ぎない!←絶叫)

 今回取り上げるのはそんな萩原朔太郎の人物評です。とはいえしっかりと一冊にまとめられたものではなく、文集に収められたものの一編に過ぎません。それは萩原朔太郎と時代を共有した、萩原同様に詩人の日夏耿之介による文。

 日夏は「学匠詩人」と呼ばれる超ゴリゴリの知識・理論武装を誇る人物。詩人としてはゴシックロマン風で神秘的、象徴的な作風で知られています。日夏の書いたものを読めば、ちょっとした読書家でもたじろいでしまう晦渋な表現が見つかるのですから。。

 それでは以下、日夏耿之介や日本の象徴派詩人についての寄り道を挟みつつ、『日夏耿之介文集』に収録されている「回想の象徴詩派」の、とくに萩原朔太郎に関する記述をご紹介します。その結果、日夏耿之介と萩原朔太郎とが同じ象徴主義に属しながら、お互いにまるっきり違っていることにも触れることになるでしょう。

この記事で取りあげている文
日夏耿之介「回想の象徴詩派」『日夏耿之介文集』,筑摩書房,2004
 
この記事に書いてあること
  • 日夏耿之介は象徴派の詩人である。詩語の「形象と音階の黄金調和」を志向した「ゴシックロマン詩体」による独自の詩的世界を構築した。また、文学博士として国内外の文学にも精通する。該博な知識に裏打ちされた、知性の普遍性を志向して織り上げられる作品はどれも難解でありながらも絢爛であり、「学匠詩人」と称されている。
  • 日本文学における象徴主義は上田敏がフランスの象徴派詩人を国内に紹介した『海潮音』以来誤解されてきた。もとは日常的な言葉を用いて象徴的な詩世界を構築する立場であったが、日本では非日常的な用語で情緒的な主題を語るというロマン派の特徴とごっちゃになる。日夏耿之介はそうした伝統のなかで本来の象徴主義を模索した。
  • 萩原朔太郎は日本文学史上最初の、大元の意味での象徴主義者。日本象徴派の伝統に属する日夏耿之介とは友人同士であり、互いにアケスケな評価をしている。日夏は萩原を「純官能的」と言い、萩原は日夏を「衒学的」と言う。両者のディスりともとれる評価から同じ象徴派詩人と分類される二人の詩人の違いを認めることができる。

 

日夏耿之介 vs.萩原朔太郎:二人の象徴主義詩人|回想の象徴詩派

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日夏耿之介について

 ここからは作家・日夏耿之介にまつわることを確認していきます。その過程で、日本における象徴主義の受容や、萩原朔太郎の日本文学史における感覚に根ざした初の象徴派詩人としての位置を見ていきます。

作家としての仕事

 ここでは広範に文筆業をおこなった日夏耿之介の業績を、『ポオ詩集』の巻末にある文学者・井村君江による「作家案内──日夏耿之介」を参照しつつご紹介します。

 日夏耿之介(1890-1971)。本名は樋口国登。81年の生涯のうちに80冊余の著書を刊行。詩人としては処女詩集『転身の頌』から『黒衣聖母』によって大正期の詩壇に地位をつかみます。その後の詩集『古風な月』『黄眠帖』『咒文』によって、詩語の「形象と音階の黄金調和」を志向した「ゴシックロマン詩体」による独自の詩的世界を構築しました。

 詩人・日夏耿之介は、「難解な高踏派の詩人」とも評されます。それはしかし彼の幅広い学識に裏打ちされた取り組みによるところがあります。井村は日夏の森鴎外へのシンパシーにヒントを得ています。たとえば日夏はこう残しています。「わたしは心が飢えると鴎外を読んだ。自身を失うと鴎外を読んだ。四面楚歌の思いがすると鴎外を読んだ。」そして日夏の告白を井村は次のように受け止めるのです。

 鴎外は彼にとって審美綱領そのものであり、心の支柱であった。知性よって人生の出来事や体験を、客観的に摑み得る人にとって、泥にまみれる現実経験の量は必ずしも問題とはならない。こうした知性主義は、生れつき病弱であり鋭敏過ぎる神経を持っていた耿之介にとり、必然の道だったかもしれない。

 日夏の知性主義は、個別の経験を描写する自然主義的なアプローチなのではなく、それらを知性と想像力とを活躍させた象徴的な表現でもって作品をつくる姿勢なのです。そうした日夏が鴎外にこだわったのも、文章を幽雅で婉麗と評された文語の達人だった鴎外の仕事が、知性の実験的な現実としての作品ではなく、知性の普遍性を証しする作品だったことと重ねられるでしょう。

 日夏は英文学者としても活躍します。19世紀のロマン派詩人であるジョン・キーツの研究『美の司祭』によって早稲田大学から博士号を授与されています。教授として教壇に立つとポオワイルドイェイツブレイク等の象徴主義・神秘主義・耽美派の作家を扱い、自身も彼らに関する文学論や翻訳を世に紹介する役目を負いました。

 他にも漢詩作品を集めた『唐山感情集』、日本古来の芸術作品への確かな鑑識眼を伺わせる随想『風塵静寂文』や『殘夜焚艸録』、愛書趣味と怪異趣味を発揮した『サバト恠異帖』などもありますし、美文調の自伝小説『竹枝町巷談』などの作品もあります。そして日本最初の現代詩史の集大成と評される『明治大正詩史』全三巻も、詩人でありながら文学者でもある日夏の業績として冠たるものとして挙げることができるでしょう。

 

難解な象徴詩

 ここでは『日本の詩歌 12』所収の文学者・篠田一士による「詩人の肖像」の記述を踏まえ、詩人・日夏耿之介がどのような詩人であったかをご紹介します。

 日夏は詩にしろ、文にしろ、一読してわかる高雅な調子があります。それはまた日夏の作品の高尚さでもあり、同時に難解さの由縁とも言えるでしょう。たとえば、現代の読者は夏目漱石が書く雅文調の文章でも難しく感じることがありますが、日夏のそれはもっと厄介です。これまで目にしたこともないような漢語を用いるだけではなく、詩人特有の無理な読ませ方もするくらいなのですから。彼が「学匠詩人」と謳われる由縁と言えましょう。

 ひとつ、詩を引用してみましょう。

かかるとき我生く

大気 澄み 蒼穹晴れ 野禽は来啼けり
 (き すみ そらはれ とりはきなけり)
青き馬 流れに憩ひ彳ち
 (あおきうま ながれにいこひたち)
繊弱き草のひと葉ひと葉 日光に喘ぎ
 (かぼそきくさのひとはひとは ひざしにあへぎ)
『今』の時晷はあらく吐息す
 (いまのとけいはあらくといきす)
かかるとき我 生く
 (かかるときわれ いく)

〔()内は引用者による詩のふりがなです。〕

 内容はさておき、音読するにはあまりに読みにくいことがおわかりになられるでしょう。

 詩人における象徴派は、フランスのボードレールが詩的言語の構築によって実現したものにはじまります。象徴派は、もともとはロマン派の空想的な情緒を取っ払う知性をその根幹に据えた立場です。この象徴派の知性は、感動的で翻弄的であるような非日常的な言語を用いず、その対極にある日常会話へと接近させた言語を用いる態度を持っていますこうしたボードレール以来の象徴派詩人の伝統は、しかし日本の初期の象徴派では転倒していました。つまり、難解でありながらも情緒多弁、象徴派とロマン派の奇形児的な言語として。

 さて、わたしは先に詩人・日夏耿之介を「難解な表現を用いる学匠詩人」と紹介しました。日夏もまた非日常的な言語を用いるロマン派的な情緒を残しているのでしょうか。これに関して、篠田は日夏には「日常的な平面に屹立する想像的宇宙を構築する意志が実に截然と認められるのである」と明言します。日夏の詩的言語が晦渋であったのは、むしろ、日本の象徴派詩、ひいては近代詩が背負った宿命に由来するのです。

 

『海潮音』の潮流

 ここでは『日本の詩歌 28』所収の文学者・河盛好蔵の「解説・鑑賞」を参考に、日本の象徴詩派が背負った逆説、すなわち日常感覚を表現するために非日常的な言語が用いられるようになった逆説についてご紹介します。

日本における象徴派詩の出発点には文学者・上田敏の『海潮音』があります。ヴェルレーヌボードレールマラルメブラウニング…などなどの清新なフランス近代詩を、外国語にも通じ、国文学にも造詣の深かった訳者自身がしっくりくるために古語や雅語などを用いて翻訳したその訳詩集は、日本文学史に不滅の功績を残したとされています。

 『海潮音』において上田は「七五と言い五七と言うこれまでの体裁では、今の世の人の思想感情を細かに憾みなく歌うことは難い」という認識のもと、新たな日本語の詩の型を開発したのでした。こうした認識・理念が日本近代詩の根幹に置かれていた、それはまた生活環境が近代化していくなかで、フランス象徴派が立脚しようとしていた日常感覚を語るための新たな(詩的)言語の開発が目指されていたことでもあります。

 『海潮音』に訳出されているヴェルレーヌの「落葉」を見てみましょう。

落葉

秋の日の
ヰ゛オロンの
ためいきの
ひたぶるに
身にしみて
うら悲し。

鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。

げにわれは
うらぶれて
ここかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。

 「落葉」はヴェルレーヌの最高傑作と言われています。また、『海潮音』のなかでも絶唱と称されるほどの名翻訳と称される一作。第一連では「秋風」が「ヰ゛オロン(=バイオリン)」の音に譬えられていて、第二連での「鐘のおと」は「死者を弔う鐘」。また、この翻訳では伝統的な七五調の韻律ではなく、原詩にある一行四音の格律を意識した各行五音の新体で以て訳されています。

 ただし、上田敏はフランス象徴派(ヴェルレーヌ、ボードレール他)の理解が浅く、文学史的な事実──非ロマン派としての象徴派──を踏まえられなかった点で、その後の日本の象徴詩が「知的な構築性が薄弱で、しかも情緒過多におちいり、たとえ、サンボリスムとよぶにせよ、それはロマン派に癒着した形でしか存在しない畸型児でしかない」(篠田一士)、と評されるようになる日本の初期象徴派の潮流の産みの親ともなったのでした。

 多くの日本の初期象徴詩派の詩人が情緒や気分を修飾するために徒らに修辞に熱中した「ロマン派の頽廃形態」(篠田一士)であったのに対して、日夏耿之介は『海潮音』の描いた詩的言語の伝統──ヨーロッパから輸入した詩的意匠と雅語、漢語と文語との接木細工によるけったいな詩的言語のあり方──に忠実だったのです。言い換えれば、上田敏が開発した詩的言語で日常的な感覚におけるイメージの豊さや強さから、詩的世界を構築しようとしたのが日夏だったのでした。

 

そして萩原朔太郎

 ここからは吉本隆明の『際限のない詩魂』を参考に、詩人・萩原朔太郎の特徴を見てみます。

 日本の象徴詩がおおもとの象徴派と一致するようになったのは詩人・萩原朔太郎の登場によってでした。上田敏が「今の世の人の思想感情を細かに憾みなく歌うこと」を目標に据えたのも近代詩のあり方を問うたもので、ここで言う近代詩とは難解な雅語調であるよりも日常感覚に依拠した口語調を本願とするものだったと見ていいでしょう。この感覚を詩の形につかまえたのが萩原朔太郎だったのです。

 萩原の処女詩集『月に吠える』が特異であったのは、感覚は感覚でも感覚の深みにある形の定まらない無定形な、一種の「生理的な感覚」を言語化し、暗喩化していたからでした。

 『月に吠える』から「くさった蛤」を引用してみます。

 くさつた蛤

半身は砂のなかにうもれてゐて、
それで居てべろべろ舌を出して居る。
この軟體動物のあたまの上には、
しほ砂利や潮みづが、ざら、ざら、ざら、ざら流れてゐる、
ながれてゐる、
ああ夢のやうにしづかにもながれてゐる。
ながれてゆく砂と砂との隙間から、
蛤はまた舌べろをちらちらと赤くもえいづる、
この蛤は非常に憔悴れてゐるのである。
みればぐにやぐにやした内臓がくさりかかつて居るらしい、
それゆゑ哀しげな晩かたになると、
靑ざめた海岸に坐つてゐて、
ちら、ちら、ちら、ちらとくさつた息をするのですよ。

 詩人・吉本隆明は萩原の「月光と海月」や「くさった蛤」を念頭に、次のように評しています。

 まず、詩人のなかに生理的な幻視として、もやもやした透明な円体、または、ぐにゃぐにゃした貝の舌に暗喩され、しかもそれが詩人の生理的な意味の世界として展開されるという複雑な表現過程は、朔太郎をまってはじめて完成されたのである。(48)

 生理的な感覚を隠喩として詩的言語の裏に血肉化させる。「生理的な感覚」は「感覚的な日常」と言ってもいいでしょう。こうした萩原の達成ではまさに、高雅で非日常的な表現世界ではなく、「今の世の人」として生きるうえでの「思想感情を細かに憾みなく歌う」詩人の姿が詩的言語の形態でもって写し取られているのです。

 

日夏耿之介が見た萩原朔太郎

 ここでは『日夏耿之介文集』に収録されている「回想の象徴詩派」から、詩人・日夏耿之介によってなされた萩原朔太郎の人物評をご紹介します。

無邪気な人

日夏耿之介は、萩原朔太郎との次のようなやりとりを書き留めています。

 萩原は処女詩集をまとめて、序文を同窟の大先輩北原〔白秋〕に頼んだ時、どんな序を書くか懸念に耐へないやうな口吻をわたくしに漏してゐた。「うまく書くだろうさ」とわたくしは故〔ことさ〕ららしく云った。それから、読者は本屋の店さきで手にとって、真中ごろをきまつて開くだらうから、そこらに佳作を入れると云った。無邪気な男だなとわたくしは笑つた。(〔〕内は引用者による註釈および直前の漢字の読みへの補足。)

無邪気な男。それが日夏の印象でした。さらに続けるところでは、萩原朔太郎は感情一本筋の人物であり、論理の理解は鈍く、それゆえに学校の秀才ではない、と分析されています。とはいえ、「感情一本筋の人物」と評しておきながら、日夏は同時に「感情の分析も得手ではなかつた」とも書いているので、萩原の構造化および分析能力に関しては評価していなかったことがわかります。

もちろん何も評価していなかったというのではありません。日夏は萩原を次のように称えています。

 感情を詩の画の具で、幼稚めく筆法で、彼ユニークの詩形になすりつけること、これはまことに上手であつた。外にとり柄はなかつた。

 上に引用したように、日夏が萩原の感情的な面を認めていることがわかりますが、しかしむしろそれ以外には才能を感じていないことがわかるでしょう。

 

純粋詩人

 さて、論理的感情的な分析を行う能力を評価されていない萩原朔太郎ではありますが、その当人は「甚だ無邪気にも自ら哲人風の詩人を以て任じていた」そうで、アフォリズム風の散文を発表します。日夏耿之介は“やめとけ”と窘めます。日夏の見たところでは萩原朔太郎という詩人は「決して哲人風の詩人などではなくて、純官能的な叙情詩人」だったのですから。しかし、その忠告を聞き入れる萩原ではありませんでした

 それから日夏は、萩原の作品の読者に関して言及します。詩人・萩原朔太郎の読者は年若である、と。その理由を日夏は萩原の「病的なまでに繊細な感覚の鋭さ・的確な物象化のおもしろさ・無邪気であるがゆえの快さ」に由来すると分析しています。そして、そのために萩原の作品は、読み手が年長者になるに連れて幼稚さが気に掛かりだし、愛読することに気恥ずかしさが覚えるのだ、と批評するのです。

 「萩原は純粋詩人であつた」と述べる日夏は、その純粋さを「感覚家」という言葉で言い換え、次のように評しています。

 感覚家萩原は、抽象の論理はかいもく判らないし、いはゆる「学問」といふものは全く無かつた。彼が外国人の詩人思想家を扱ふのは、日本訳で大ざつぱに読んで、その中で自分の感覚にとつて真実なパッセーヂだけを滋味として受けとつて、その小部分がその詩人思想家の全体であるやうな気分になつて、そんな漫評を大上段に平気でやる、。玄人の思想家が腹を抱へて笑つても平気なものだ。

 以上の日夏の文章からわかるのは、萩原朔太郎の詩人としての純粋さが、感覚的であることの堅固さによって裏打ちされていると見ていいでしょう。誰か特定の思想家のことを理解する際にも、学問的に評価がなされているわかり方を参照したりせず、自分の感覚に訴えるところのある文章から“わかったつもりになる”のです。このような態度は、少なくとも思想家や学者と呼ぶことはできないでしょう。ですが、この点に萩原が感覚家であること、および詩人としての純粋さの由縁になっている気配を読むことができます。

 

朔太郎の揶揄と二人の象徴派

 ここまで日夏耿之介の目から萩原朔太郎の人物像を見てきました。その要約をしてみれば、「自分の感情をユニークな詩の形にすることはできるものの、感情の分析が苦手で、抽象的な論理はまったく解することなく、人や本を感覚的な理解だけでわかった気になる感覚頼みの詩人である」と書いて間違いないでしょう。こんなことを言われれば殆どの文人がカチンとくるはずです。

 ここでは、以上のように評してくる日夏に対して、萩原のほうがどのようなコメントをしていたのかを確認します。それによって日夏が分析した作家・萩原朔太郎の目から、作家・日夏耿之介がどのように見えたのかを押さえ、日夏自身の作家性を確認します。

 『ポオ詩集』の解説を書いている窪田般彌によれば、日夏は萩原に「衒学的な悪趣味」「一種の道楽」と揶揄されたのだといいます。これは日夏耿之介が書いたものを読むとわかる、あの、意味ばかりではなく読み方さえもわからない文字を見つけるたびに頷いてしまえるものです。では、このことに関する日夏自身の反論はどのようなものなのでしょうか。

 日夏は最初の詩集『転身の頌』の序文のなかで、次のような意見を述べています。

 象形文字の精霊は多くの視覚を通じ大脳に伝達される。音調以外のあるものは視覚に倚らねばならぬ。形態と音調との錯綜美が完全の使命である。

 上の箇所を引用する窪田は、萩原が述べたようなディスりに対して次のように日夏の文体の魅力を語ります。

 だが、「吾が国語史の上に、群を抜いて卓抜な最初の象徴詩人」(燕石猷)であった日夏耿之介にとって、象形文字の夥しい活用は、その造形的な、絵画的な魔力による「幻想喚起」の楽音のようなものであって、決して鬼面人を驚かすための衒学趣味などではない。

 さらに日夏の内面の報告を紹介しましょう。「限定本のおもひ出」という文章のなかで日夏はこう述べます。──「自分の詩は自分の神経感情のキイをたたいた音楽」と。

 そして窪田は日夏のアイデアを引き受けるかたちで、詩人・日夏耿之介の作品の魅力を次のように語ります。

 日夏詩の魅力は、創作詩においても訳詩においても、象形文字の視覚的効果にのみあるのではない。その畳韻、畳句、律動、抑揚など、象徴詩の最も基本的な要素である聴覚的効果、音楽性こそ、いま一度見直されなければなるまい。

 日夏耿之介の作品の魅力が絵画性と音楽性による視聴覚的な快さである。以上の文はそう語っています。やや戯画的ではありますが、萩原朔太郎を「上記の日夏への評価がわからない類いの詩人」としてイメージしてみましょう。すると日夏耿之介と萩原朔太郎の違いを次のような形で分類することができます。

  • 日夏耿之介:知性に根ざした純耽美的な学匠詩人
  • 萩原朔太郎:感覚に根ざした純官能的な叙情詩人

 以上のような形で日夏耿之介と萩原朔太郎とを分類してみましたが、注意すべきなのはどちらも象徴派の詩人にカテゴライズできるということです。大元の本国フランスから続いている正統的な象徴主義の詩人であるのは後者の萩原であって、日夏のほうは『海潮音』以来誤解された形で形成された、初期の日本の象徴派の伝統に与した象徴派詩人なのです

 文学史上の先後関係から言えば、萩原朔太郎のほうが後に属するかもしれません。しかしそのことは萩原の作品が日夏耿之介のものよりも優れているわけではない。なぜなら、明らかに萩原の作品には日夏の「ゴシック調の絵画性および音楽性」は認められないからです。そして萩原が揶揄したような「衒学的な趣味」や「一種の道楽」にも見える難解かつ厄介な詩語が、日夏の描くゴシック調の作品の重要な要素であることもまた確かである以上、詩人・日夏耿之介が構築した詩世界は日本文学史上に冠絶した存在意義を発しているのです。

 

まとめ

日夏耿之介について追いながら、上田敏の『海潮音』からはじまる日本における象徴主義の受容を確認しました。その過程で日本の初期象徴詩人たちは本家の象徴主義を誤解します。誤解された象徴派として活躍したのが日夏耿之介だった。そしてその後に本来の象徴詩人として花ひらいたのが萩原朔太郎。日夏と萩原は友人同士だったので互いに関する評価を残していました。そして当記事では二人の立場上の違いを確認したのでした。どちらも偉大な詩人・作家なので、ぜひその著作を手にとってみてください。

_了

関連資料
日夏耿之介「回想の象徴詩派」『日夏耿之介文集』,筑摩書房,2004
 

 

日夏耿之介『日夏耿之介詩集』,新潮社,1953

 

日夏耿之介『ポオ詩集 サロメ―現代日本の翻訳』,講談社,1995

 

日夏耿之介[ほか]『日本の詩歌 12』,中央公論社,1969

 

上田敏[ほか]『日本の詩歌 28』,中央公論新社,1976

 

萩原朔太郎『猫町 他十七篇』,岩波書店,1995

 

萩原朔太郎『萩原朔太郎詩集』,岩波書店,1981

 

上田敏『海潮音―上田敏訳詩集』,新潮社,1952

 

吉本隆明『際限のない詩魂―わが出会いの詩人たち』,思潮社,2004

 

夏目漱石『草枕』,新潮社,2005

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