【参加レポ】マルチスピーシーズ人類学研究会:ケアの共異体を巡って

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於:合原織部「サルとともに暮らす」

 合原織部の発表は「エンガイ」に瀕した村のフィールドワークの調査結果に関するものでした。宮崎県は椎葉村という土地が舞台です。

 わたしは当初「塩害」のことだと思って聴いていたのですが、どうやら困っているのはしょっぱい成分にではなくておサルさんである様子。……そうです、エンガイは「猿害」のことだったのです。

 となると「ケアの共異体」のコンテクストから言えば、話は人とサルの関係にあります。人とサルとの共生であり、その関係の中に生じてくるであろうケアの必要性であり、そして異種間同士での折り合いの付け方が問われる共異体。――そうした点から楽しめる発表と見ていいでしょう。

人間も苦悩するようにサルもまた苦悩するケアすべき主体である

 椎葉村は10年程まえからサルの被害に悩まされてきました。村の作物は元からいたイノシシの被害と共にサルの手によって多大なダメージを負わされてきたのでした。そうした地に人類学者が降り立ったのには理由があります。すなわち人とサルという、異種間の関係の結ぼれを調査することです。

 むろん合原個人の目的はそればかりではないでしょう。とはいえ人類がいて、そしてそれ以外の種もまたその周辺にいる。この多種の集い絡まる状況において、どのような関わり方が生成するのか、という点は彼女の関心の射程に捉えられたはずです。

 合原はまず「サファリングとケア」に言及します。サファリングは苦悩のことです。そして合原はサファリング抜きのケアはないと言い、従来のケアの視点は人間が経験するケアに限られていたのだと続けます。これは近藤祉秋が言及していたこと(「人間以上のケア」)を連想させるでしょう。

 近藤はケアという言葉を、苦悩する者に手を差し伸べることによって救おうとしたこちらの方も苦悩するようになる、というニュアンスでつかんでみせたのでした。苦悩とはサファリングですから、合原の「サファリング抜きのケアはない」という言い方と重ねられます。

 合原が椎葉村の猿害に寄せて「サファリング抜きのケアはない」と語るとき、苦悩しているのは人間ばかりではないという視点が取り出されています。つまりサルもまたサファリングの主体なのである――という視点が。

 ようするに人間がケアされるべくあるように、サルもまたケアされるに値する、ケアされるべき主体でもあるという視点が取り上げられているのです。

 

椎葉村の住民とサルとの共生関係は恨みと畏れが同伴している

 椎葉村の住民はサルたちによる被害に対策を取っていない訳ではありません。罠を仕掛けるなどの対策は取っています。しかし彼らにサルに対していまいち本気で敵対することができないでいます。理由は、椎葉村に伝わる伝承のせいでした。

 椎葉村に伝わる伝承の詳細は省きますが、ようするに「サルは神の遣いで神聖な動物である」というイメージを育む物語のことです。下手に危害を加えると「サルの祟り」がある、そうした信仰を椎葉村の住民たちは共有しているのでした。

 ですからサルを捕まえる罠を仕掛けてサルが掛かっても手ずから殺す決断ができず、放置してサルが餓死するのを待ったり、あるいは専用の捕獲のための囲いを設置してサルの集団を捕らえてみたはいいけれど、その直後に設置した家の者が体調を崩してしまったものだから、祟りにビビって囲いからサルを逃したり――なんてこともあるのだとか。

 サルの方でも頭が回り、弱そうな人間に対してちょっかいを出すと言います。さらには下手に石でも投げつけようとものなら、自分に危害を加えた人間を覚えていて、意趣返しをするのだとか。実際にあった事例では「屋根の瓦をすべて庭に落とされてしまった家もある」とのこと。

 合原織部が繰り返すのは、椎葉村の人々が「サルは地域に住んでいる」と話している、ということでした。サルは住民にとっては否応無しに自分たちと共生を強いられている異種である。住民たちはサルをたしかに恨んでいます。にも拘らず、彼らは伝承を拠り所にしてサルを畏れの対象としても見てもいるのです。

 

共生の実感としての「サルは地域に住んでいる」

 合原織部の発表の調子は人間だけに肩入れするのではなく、サルの方にも同情の余地があるという点が強調されていました。であるからこそ、幾度も「サルは地域に住んでいる」という椎葉村の猿害当事者の証言をリフレインさせていたのです。

 猿害はおよそ10年前から始まりました。はっきりとした理由はわかりませんが、そこに何らかの人間の活動の影響があってもおかしくはないということが示唆されていました。すなわち猿害もまた人類の自然に対する働きかけの結果もたらされた状況でありうる。――これもまた人新世的な状況の露呈である、というふうに。

 苦悩しているのは人間ばかりではない。サルもまた苦しんでいる。サファリングしている。苦しんでいる者がいるからケアがある。しかしケアにはサファリングがある。苦悩する者のサファリングがあり、そしてそれをケアしようとする者のサファリングもまた存在する。

 椎葉村の住民はサルたちとの共生を実感しています。その実感は彼らが共有している伝承によって立ち上がっているものかもしれません。そのとき伝承は椎葉村で暮らすうえでの人間と自然との間をつなぐインターフェースになっているのです。

 山田祥子の発表を思い出せば、カッパは桃園川というインターフェースから人間と繋がっていました。椎葉村の場合ではサルが伝承というインターフェースによって人間の生活と同じ地平に繋ぎとめられることになっているのですね。

 以上の異種としてのサルとの「ともに暮らす」感覚――共生感覚は「人間以上のケア」を検討するうえで含蓄のある臨床的な事例です。いわば「共異体-内-存在」としての自覚を前提にしたケアのあり方、あるいはヴァルネラブル(可傷的)な経験主体としての各種の共生戦略の擦り合わせの方向。それらは異なる種と共に暮らすうえで必要な「痛み分け」の視点を開くものでしょうから。

 

キーワード

  • サファリング:苦悩のこと。ケアの前提となる状況でもあり、ケアをしている際の状態でもある。
  • 痛み分け:棲み分けをして共同体を作ることと対比的に捉えられる概念。共異体では異なる者を隔離したりせず、それらと共にあらねばならず、その必然として互いの傷つきやすさを擦り合わせる調整作業がいる。その点で生じてくるのが痛み分けのフェイズである。

 

於:濱野千尋「動物性愛者のセクシュアリティと相互的関係」

 濱野千尋(以下濱野ちひろ)の発表は動物と人間とのセクシュアルな関係を問うものでした。ドイツの動物性愛者団体である「ZETA(Zoophiles Engagement für Toleranz und Aufklärung/寛容と啓発を促す動物性愛者団体)」の周辺の人間と動物のセックスを含めた(異)種間関係の考察がテーマです。

 濱野が取り上げるのは主に人間とイヌとの関係です。もっともオーソドックスなペットとしてネコと共に名前が上がるであろうイヌとの、人間の関わり合いがメインの発表でした。

 山田祥子が地域に沈潜する川との、合原織部がサルとの共生の関係を、「ケアの共異体」を検討するための叩き台として提出した後に、濱野千尋はドメスティックな空間で生活を共にするペットとの関係を提出したのです。

動物性愛者は動物を性愛のパートナーとして受け入れる

 セクシュアリティとは性に関連する人それぞれの生き方や意識、行動や指向などを含んだ概念です。そして性愛となれば「性的嗜好」のことであり、濱野ちひろが取り上げる動物性愛者に寄せて言うなら「動物との性的関係を含んだ愛情関係」のこととなります。

 動物と性的な関係をとり結ぶと聞くと「変態だ!」と思う人もいるかもしれませんが、諦めてください、これもひとつの立派な関係のあり方なのです。むしろ懸念されるのはそうした人々の心理が正常か異常かといった視点よりも、人間と動物との間でなされる性行為が虐待ではないのか、といった動物愛護の観点でしょう。

 現にドイツの動物性愛者たちの当事者にあっても共有されているのが「虐待なのか、否か」という観点です。彼らは自分たちを「zoophilia」だと名乗り、「bestiality」と区別します。前者は人間が恋人同士の間で行うように愛着的な感情で以て接し、それがときに性行為へと結びつく。他方で後者の「bestiality」は日本語で言うところの「獣姦」のことです。こちらのニュアンスとしては「ケモノ野郎」といった感じだとのこと。

 「zoophile」すなわち動物性愛者は特定の動物をパートナーとし、ときには「妻」や「夫」と呼びます。愛着や性的対象となる動物種はイヌが圧倒的に多く、次点が馬。ほとんどの場合は自分が飼育する動物がパートナーとなります。

 それからパートナーは経済的・心理的な理由から一頭であることがほとんどで、動物性愛者の多くは思春期までに自身の動物への性的な指向を自覚する傾向にあります。また、彼らは必ずしも動物との性行為を必要としている訳ではありません。彼らにも同性愛や両性愛などの性的な差異があるのです。

 

動物性愛者たちの葛藤:動物とのセックスはレイプでしかない?

 動物性愛者たちの動物との性行為は大抵、呼びかけをしてくるのは動物の方からとなります。そしてほとんどが動物とのセックスおいては受け身な立場を取ります。濱野ちひろによれば、動物性愛者は体感的に動物の欲情がわかるのだとのこと。それを察するからこそ彼らは、パートナーとして、動物が性的満足を享受するための介助を行うという訳です。

 動物性愛者が受け身の立場でセックスを行うと言いましたが、そうでない場合もあります。つまりパートナーである動物に能動的に性行為を迫る動物性愛者もいます。そうした性行為場面において能動的に働きかける立場に立つ(傾向にある)ペニスを持つ者――男性ですが、彼らは多くの場合、その性的関係の内実を明かしません。なぜなら彼らは「動物愛護の立場にある人々」から敵視される傾向にあるからです。

 たとえば動物性愛反対論者は「動物とのセックスはどんな場合においても動物虐待として考えられるべきである」と主張しています。そこに意思の疎通を保証する客観的な証拠がなく、それゆえに動物とのセックスはつねにレイプと同義である、という道理なのです

 動物とのセックスに能動的な立場に立ってしまう動物性愛者がやましさを覚えてしまうのは以上の点にあります。ペニスを持つ動物性愛者がセックスにおいて能動的な立場に立つということは、彼らが “挿入を試みること” を暗に物語っています。そうした挿入の行いは彼らへの反対論者たちの非難であったり、同じ動物性愛者たちが指弾する獣姦であったりなどへと(当人の意に反して)抵触することになってしまう……。

 多くの場合、動物とのセックスで能動的な立場に立ってしまう動物性愛者の性的指向は「ストレート」です。すなわち男性の心身を持ち、女性の心身に対して欲情を催す類いの性的指向ですね。彼らはセックスに「自身のペニスを挿入すること」が必要だと考える傾向があります。そして、その必要性が彼らに能動的な立場を取らせることになり、と同時に、彼らに自分たちが「虐待者」と呼ばれることへの後ろめたさをもたらすことにも繋がるのです

 

セックスは人間が動物に接するときのひとつのアイデアである

 濱野ちひろはある動物性愛者から次のように言われたといいます。

 「ズー(動物性愛者)だからセックスしなきゃいけない理由は何?

 ここまで動物性愛者と動物のセクシュアリティに関して見てきましたが、それ以外の人々の動物への接し方はどうなのでしょう。たとえば、家庭に迎える際に一定の人々が「イヌやネコを避妊・去勢すること」に対して悶えるほどの罪悪感を覚えることはありません。これはしかし、イヌやネコに人間と同等の権利を見ようとする観点からすれば、一種の権利迫害となるはずです。

 濱野はダナ・ハラウェイという「伴侶種」という概念を設計した思想家を引いています。ハラウェイは愛犬との親密な関係からペットであるイヌをただの犬種ではなく、人間の生と共にあり人間によってその生を成り立たせている異種──伴侶種として発見してみせる。すなわち、動物が持つ権利を肯定しようとする立場です。ところがそんな愛犬家であるハラウェイにおいてさえ、動物に対するセクシュアリティへの配慮という視点は弱く、彼女の愛犬は人間の都合に合わせて去勢(避妊?)されている。この点に、濱野はハラウェイの議論には依然として人間中心的な偏りがあることを指摘します。

 濱野が聴取する動物性愛者たちの事例では、セックスは動物の生をまるごと(whole life)受け止めることのうちに含まれる、という視点を見つけることができます。いや、むしろ濱野自身が “見出している” と言ってもいいでしょう。生命を肯定することはその生命をつなごうとする意志の現れである性さえも肯定することでもある。──こうした配慮(ケア)の観点に着目すれば、動物と性的な関係をとり結ぶ人々の行いは虐待どころか、むしろ動物愛護の精神に適うものであるように思われます。

 たとえば、ある男性動物性愛者は次のように考えます。──自身の男性の身体性を通して “オス犬の性的欲求” を理解することができ、オス犬が欲求不満でストレスを感じていることがわかり、「かわいそう」「どうにかしてあげたい」と考え、射精介助をするのだと。

 また別の動物性愛者の場合だと、もともとはアンチ動物性愛者だったのですが「ズー(動物性愛者)になろう」という決意を経て動物性愛者になります。その背景には、パートナーである動物の生をまるごと受け止めるためには、性の側面を無視する訳にはいかないという気づきがありました。つまり動物にもまた人間同様に、生全体の一部としての性的側面──セクシュアリティがあることに気づいたのです。

 以上の話を踏まえて、濱野は動物性愛者のセックスを「人間が動物に接するときのひとつのアイデアなのではないか」と考察するのでした。

 

キーワード

  • 生をまるごと:生命存在の種々の性質を包括したもので、その内訳にはセクシュアリティも含まれる。また配慮によって分節されることもあれば支えられもする。
ここでの濱野千尋の発表は後に「濱野ちひろ」の名義で『聖なるズー』という書籍にまとめられています。上に取りあげたところと内容が重複するところはあるかと思いますが、書籍のほうがよりビビッドなものになっています。ご関心のある方はチェックしてみてください。

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