【早世の詩人】矢沢宰の遺稿詩集『光る砂漠』を拾い読みする

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どうもです。ザムザ(@dragmagic123 )でいるものです。今回は少年期から病魔に冒されつつ、14歳から亡くなる21歳までの間に珠玉の詩を書き残した詩人・矢沢宰の遺稿詩集『光る砂漠』です。矢沢の詩が見せる〈美しさ〉そして〈懐かしさ〉が、《詩というもの》の本体であることにうなずかせてくれる、そんな本を、7篇の詩を取りあげながらご紹介します。

この記事で取りあげている本
 

【早世の詩人】矢沢宰の遺稿詩集『光る砂漠』を拾い読みする

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矢沢宰という詩人

新潟県に生まれ、敗戦後の20年を生きた人生のうち、7歳の頃にはすでに腎結核に冒され、8歳には右腎臓の摘出手術を受けます。14歳で詩を書きだし、21歳でこの世を去った詩人。それが矢沢宰です。

彼の詩集の解説を書いている教育学者・周郷博はこう評します。

「矢沢宰君ぐらい、詩というものを、「うつくしい」ものに、そして言いようもなく「なつかしい」ものにした人はいない、と思う。これが、矢沢宰の詩の、他のどんな詩にも見ることのできない特別な価値だ。それが同時に、また、二十歳そこそこで短い生涯を閉じた矢沢宰という一人の人間があらわしえた「一生」の、他の何ものとも比べようもない人間的価値だ、と私は思う。(『光る砂漠』,p92-93)

俺は上の評文のなかで詩の魅力を「うつくしいもの」そして「なつかしいもの」と語っていることに感心してしまいます。というのも俺は、詩人・銀色夏生について書いた記事で次の文章を発見しているからです。

詩作には想起の気配が付きまとう。ある表現が「しっくりくる」とき、作者はなぜその表現がしっくりくるとわかるのか。銀色夏生が「ずっと小さい頃からの遠い気持ち」と書きとめているように、それはすでに告げ知らされているからだ。知識を記憶しているのとは違い、詩人が表現しようとする記憶は覚えているということができずに、ただ思い出すことしかできない記憶でいる。ゆえに、詩人は詩想に憑かれたときには想起の態勢をとることになるのだ。

上の文章で俺が書いているのは、詩人が「詩を書くとき」あるいは「しっくりくる表現を探すとき」には「ずっと小さい頃からの遠い気持ち」を思う、一種の「想起の態勢」をとる──ということだったからです。

それゆえに、周郷博が矢沢宰の詩を「うつくしい」と評するばかりではなく、「なつかしい」と評したことには示唆的なものがあります。うつくしく、なつかしい。それが本当なら、矢沢宰の詩を読むときの鑑賞者は、詩人が「ずっと小さい頃からの遠い気持ちを思って想起の態勢をとる」ように、自分の中のなつかしいものを思い出してしまっている──そう言えるはずです。

若い矢沢宰が何に美しさを見出し、何を思い出したのか。以下、彼の詩集『光る砂漠』を通して見てみましょう。

 

作品鑑賞

ここでは矢沢宰の詩集『光る砂漠』から7篇の詩を取りあげ、グッとくるポイントを紹介していきます。

感謝

とにかく素晴らしい夜だった、

ガラス窓に

春の淡い月の光が射しこみ

どこか遠くで

九時を知らせるオルゴールも

鳴っていた、

これだけで僕は満足した、

細い指をしっかり組んで

深く深く神に感謝した、

熱い涙が耳たぶをつたって

枕の上にポトリと落ちた時、

僕はがんばるぞ! と思った。

春の夜、ふと胸が連れ出されてしまう時間が訪れる。たとえばわけもなく辺り一帯に希望が湧きあがる、そんな気分になる。すべてに満足をし、感謝をし、それから「僕はがんばるぞ!」となる。

こうした若い高揚した春の夜は誰の身にも覚えがあるのではないでしょうか。

たとえば世界文学史上屈指の美しい書き出しとして知られる、ドストエフスキーの『白夜』にも矢沢宰が直感したような〈感じ〉が、ほとんど歓喜に満ちて歌いあげられるように綴られています。ちょっと見てみましょう。

素晴らしい夜であった。それは、親愛なる読者諸君よ、われらが若き日にのみあり得るような夜だったのである。空には一面に星屑がこぼれて、その明るいことといったら、それを振り仰いだ人は、思わずこう自問しないではいられないほどである──いったいこういう空の下にいろいろな怒りっぽい人や、気まぐれな人間どもが住むことができるのだろうか? これは親愛なる読者諸君よ、青くさい疑問である、ひどく青くさいものではあるが、わたしは神がしばしばこの疑問を諸君の心に呼び醒ますように希望する!

(米川正夫訳)

どうでしょう。この満足感というか、感謝したくてたまらない感じというか、「僕はがんばるぞ!」と叫びたくなるような高揚感は。

矢沢宰の《感謝》からは以上のような春の夜の言いしれぬ歓喜が読めるのです。

 

本当に(16歳の)

本当になって

話をきいてくれると

そのうれしさに

目のまわりがあつくなる

でもその人に

はずかしいから

ぐっとこらえると

ひざが

ガクガクしてきて

体がふっと浮きそうだ

《本当に》で目を引くのは一番最初に来ている「本当になって」の箇所でしょう。正直で誠実で真剣な状態になっているといったニュアンスでしょうが、人の状態を語る言葉として「本当になる」というのは言い回しとして珍しく感じられます。

この詩では自分の話を聞いてくれる相手が本当になってくれている、そのことへの喜びが歌われているのですが、その喜びようといったら尋常ではないわけです。うれしくて目のまわりがあつくなる──この恥じらい、この含羞を歌う自分自身もまた「本当になって」いると言えましょう。

この詩が素敵なのは「自分と相手との幸福な出会い」の情景がうかがえるところです。はずかしさをこらえる姿も、本当になってくれる相手はきっと受け止めてくれるのです。それも含めて話をきいてくれている相手に、そしてこの出会いに喜びを禁じ得ない。

矢沢宰の《感謝》からは以上のような自分の話を本当になって聞いてくれる相手との出会いが楽しめます。

 

自分だけに

自分だけにこりかたまらないように

注意しながら

自分をじっと見つめたい

自分を見つめる。しかし自分だけにこりかたまらないようにする。たとえば、ここで言う「こりかたまっている」とは、自分の考えやクセにこだわることで他人と衝突することだったりするわけです。自分の個性を活かした形で “我を通す” ためには、他人と折り合いをつけ、うまくやっていかなければならない。だからこそ、注意する必要がある。こりかたまってはいけない。

とはいえ、矢沢宰の詩が促す “注意” は、〈他人〉への注意には向かいません。その注意は〈自分〉に向かうのです。「自分をじっと見つめたい」。

自分をじっと見つめるとは何でしょう? 「こりかたまること」とはどう違うのでしょうか?

矢沢宰の詩から読み取れるのは、そこで “見つめられる自分” とは「自分だけ」なのではないことです。自分を見つめる中には他人が入り込んでいる。こう言ってよければ、そこで想定される〈自分〉は、「ひとつの往来」として、〈他人〉が立ち入ってくることさえあるでしょう。この往来を見つめるときに〈自分〉だけを見るのではなく、〈他人〉も見てとることが「自分をじっと見つめる」ことなのかもしれません。

 

詩を書くから……

詩を書くから悩むのか

悩むから詩を書くのか

そうだ俺は悩むから

詩がうまれるのだ

悩むことは堂々巡りで、行ったり来たりする、袋小路に迷い込むことです。ふつう、悩むことはポジティブなことではありません。もしも〈詩を書く〉ことが悩むことの原因なのだとすれば、もしくは、悩むことの結果が〈詩を書く〉なのだとしたら、詩を書きたいとは思えないかもしれない。

しかし、人が思い悩む、ネガティブな、右往左往するその姿をそのまま取り上げたものが詩なのだとしたら、〈詩を書く〉ことはむしろ、さまざまな姿を見せる人間の一側面を肯定しようとする姿勢となるのではないでしょうか

矢沢宰の詩はこう語ります。「そうだ俺は悩むから/詩がうまれるのだ」。往々にして、詩のはじめにはまず〈悩み〉があります。その悩みに向き合った結果、悩む人の姿が詩という形に結晶する。

結晶化された〈悩み〉が詩という形を得て、他人の胸を打つ魅力を湛えることは、詩人となった者の「悩む姿」そのものがただ単に否定すべきものではなかったことを示すのです。単に否定するでもなく、単に肯定するでもなく、否定か肯定かで喘ぐ “苦悩する姿” をありのままに取り上げることで、否定的にも肯定的にも見える眺望を産み出す──それが〈詩〉

 

俺は

俺は

なぜ心のなかで

ゴミすて場の

ようなところばかり

ほじくっているのだ!

もっと清い人間になりたい

汚いだけの人間がいないように、清いだけの人間もいない。誰しも心の中には明るいところもあれば、暗いところもある。そして「ゴミすて場のようなところ」もあって、人はそこが汚いと知っていてなお、その場所にこだわり、ほじくろうとする。

同時に、人は「もっと清い人間になりたい」と思う。清くなりたくもありながら、それなのに汚れようとする。あたかも “汚い人間になりたい” かのように

しかし、汚いことに気付けるからこそ、人は清らかさを求め、選びとることができます。

心のなかには汚いところもあれば清いところもある、それは「清い/汚い」のコントラストが “清いだけ” であったり “汚いだけ” であるのではないことを示唆するでしょう。ただ、ほじくる場所を選べる余地はある。──そこに〈俺〉の希望がある。

 

空が

空があんまり青いので

かた目をつむって

見たらば

母のような

やさしいものが

よこぎった

俺はうれしかった

母のようなもの」という言葉を取り上げたことが、矢沢宰がこの詩で成し遂げた偉業だと思うのです。

空の青さと、かた目をつむって見える、ちょっと違った風景のなかに、やさしいものがよこぎる。──そのうれしい気分を表現するために取り上げられたのが「母のようなもの」だったわけです。

空の青さがなぜ「母のようなもの」を詩人の心に印象させたのでしょう。青さで言えば、海もまた青く、海は「母なる海」なんて言われもしますね。フランスの思想家であるジョルジュ・バタイユなんて人は『眼球譚』のなか(だったか?)で、空の青は死の色だと書いていました。

青さとはやさしい母のようなものを思わせもし、死の色でもある。死は怖いものでもありますが、生きることが悩むことと同義だとすれば、死とは悩むことからの解放だとも言えましょう。だとすれば、死は母のように、やさしいものとして、生者を慰撫するものだと考えられます。

「空があんまり青いので」と「俺はうれしかった」──この句を繋ぐための言葉に、死の気配を嗅ぎ取ることはいささか誤読が過ぎるかもしれませんが、「母のようなもの」という言葉の魅力にはそうした風味も立ち昇っているのです。

 

武器

 

ぼくは天才少年ではないから

ぼくの持っているものだけを

ぼくにあうように

つまみだせばいいのさ

 

するとそこに小さな真実が生まれる

その小さな真実を

恥ずかしがることはないのだよ

その小さな真実を

どっこいしょ! と背負って

旅をすればいいのさ

人は真実をありのままに直視することはできません。具体的な視点を持つことで開かれる世界には、視点が具体的であることによって制限がありもする。その制限によって真実は限定されたものになります。

もしかしたら天才であれば真実は真実のままにつかむことができるかもしれない。

でも、「ぼくは天才少年ではない」。

しかし、たとえ平凡であったとしても、まったくの無力であるわけではない。

「ぼくの持っているものだけを/ぼくにあうように/つまみだせばいいのさ」──このように、自分の制限された・限定された弱みをむしろチャンスと捉えて、「小さな真実」を発見すればいい。

「小さな真実」がたとえ、独断であろうとも、それが背負うに値するだけのものだと確信を以て背負うことが〈武器〉である。

たとえば小説家・柳美里が『水辺のゆりかご』で試みたのがそれです。自分の人生を小説という形で表現しようというときに、実際に起こったことに忠実に書くのではなく、自分にとって確かな物語を書こうとしたのです。そこでは真実なんてものはどこにもなく、ただ個々の主観的な物語が「事実」として存在している。

柳はあとがきに「すべては〈事実〉であり、〈嘘〉である」と書いていますが、これを参考に、矢沢宰が《武器》によって表現したところを読み解けば以下のようになります。

真実をありのままに把握することの不可能性を示しつつ、把握した真実が真実でない可能性を踏まえた上で、小さい真実を背負うことの勇気と覚悟とを表したものだと読めるでしょう。

 

矢沢宰まとめ

この記事では早世の詩人・矢沢宰の詩集『光る砂漠』を取り上げました。14歳から21歳の期間に書かれた詩には、思わずハッとさせられるだけの魅力があり、ひとりの人間としての葛藤、ひとりの詩人としての素直さが表現されている。7篇の詩から窺えるところからも、矢沢宰が確かに切ない寂しさを抱えた詩人であったことがわかります。よろしければ、この永遠に若き詩人の名前を覚えてやってくださいまし。

_了

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