【弱い心を強くする】3つの観点から読み解く『金色のガッシュ!!』

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この記事で取りあげている本

雷句誠『金色のガッシュ!!』講談社,2001-2008

 

この記事に書いてあること
  • 『金色のガッシュ!!』には《心の強さとは何か》のテーマが描かれており、「心の力」というキーワードにして「ひとの心が成長するプロセス」を描いた物語になっている。
  • 『金色のガッシュ!!』を読む観点は3つある。①自己チューとメンヘラがメンタルを強くしていく物語、②自分が憎んでいた他人と和解する物語、③自分が自分であることを肯定する物語。
  • 心は心自身を問題視する。感情に支配されて自分が自分であることの奴隷になるのではなく、対立をもたらす感情エネルギーを統治する、強くてやさしい王になることを目指み。

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『金色のガッシュ!』!を読む

心という問題

わたしたちは心を持っています。

そして、心を持つと同時に、心に悩みもします。

「心の闇」「うつ」「メンヘラ」「無気力」……etc.

心に思い悩むわたしたちは、どうにかして〝よく〟なろうと手探りする。「どうしたものか……」と考えた挙句、自己啓発書や心療内科、カウンセリングなどを頼ったりするのです。



心を持つ人間に共通の感覚のひとつである「幸せになりたい」という願いも、心を抜きにしては叶うも叶わないもありません。



そのようなニーズに、当記事ではひとつのマンガ作品を勧めます。



雷句誠の『金色のガッシュ!!』です。



『金色のガッシュ!!』は《心の強さとは何か》がテーマです。



作中、「心の力」という言葉がキーワードになっていて、あらゆる少年漫画が〝心の成長〟を描くように、『金色のガッシュ!!』もまた、ひとの心が成長するプロセスを描くことにこだわります。

 

心に思い悩むわたしたちが、『金色のガッシュ!!』に読むことができるメッセージのひとつには、確実に、心という問題との向き合い方があるのです。

かんたんに『金色のガッシュ!!』のおさらい

『金色のガッシュ!!』は2001年から2007年のあいだ、週刊少年サンデーに連載されていた作品です。



当時の人気はかなりのもので、アニメ、ゲーム、トレーディングカード、それに他誌でも関連作品が連載されていたりと、コンテンツとしての広がりを見せていました。



アニメの主題歌である千綿ヒデノリの歌う「カサブタ」はアニメソング(アニソン)の歴史に残る名曲と言っても過言ではないでしょう。

 


そのような『金色のガッシュ!!』のあらすじは次のようなものです。

  • 天才ゆえに人間関係がうまく行かず、不登校な中学二年生の高嶺清麿(以降キヨマロ)のもとにある日、記憶をなくした謎の少年ガッシュ・ベル(以降ガッシュ)が現れる
  • ガッシュは謎の言語が記された本を持っていて、キヨマロの頭脳でもその言語はわからなかったものの、なぜだか読み方だけはわかり、それを読むとガッシュは電撃を発した
  • キヨマロとガッシュの許に、彼らと同じように本を持つ者と不思議な力を持つ者とが現れ、自分たちがある戦いに巻き込まれていることを知る
  • その戦いは、千年に一度、100人の魔物の子を人間界に送り、人間をパートナーにして、次の魔界の王を決めるというものだった
  • 本を読み上げて発動するものは魔物の魔法で、パートナーにだけ読める本の文字は、ようするに呪文なのだった
  • キヨマロとガッシュは戦いに巻き込まれていくなかで絆を深めていき、キヨマロは「やさしい王様になる」というガッシュの願いを助けながら、自らも成長していく


以上が、おおまかな『金色のガッシュ!!』のあらすじとなります。



筆者の少年時代の記憶を辿れば、子ども心に100人の魔物たちの勝ち残りを賭けた戦いと、本を読みあげることで戦うというギミックが魅力的な作品でした。
また、人間や魔物が成長すると本を読み上げられるページが増え、新しい呪文を使うことができるというのも、当時の子どもたちに人気を博した理由でしょう。



そしてこのたび!!

 

『金色のガッシュ!!』を読む機会に恵まれた成人済みの大人な筆者は、少年時代に自分が読んだものとは別のおもしろさを読むことになったのでした。

『金色のガッシュ!!』を読む3つの観点

とっくに大人になっている筆者は、『金色のガッシュ!!』を読むのに、明らかに少年時代の読み方とは別の読み方をしています。


100人の魔物の子たちのバトルロイヤルをおもしろいと感じていたのが昔の筆者だとしましょう
それに対して、今の筆者がおもしろいと感じるのは次のような点でした。

  • 魔物の子が王になることの決意を深めていくプロセス
  • 魔物のパートナーである人間が心を強くしていくプロセス


『金色のガッシュ!!』では、基本的に人間も魔物もなんらかの弱さや未熟さを抱えています。大人になった筆者は、そのような弱さや未熟さを抱える魔物そして人間が成長していくプロセスに感動することになったのでした。



弱さや未熟さは、言い換えれば、〝生きづらさ〟です。

そうした生きづらさは、よく言えば「個性」なのですが、ともあれ当人にとっては「障害」となっています。



たとえば、人間の主人公キヨマロは頭の良さという〝個性〟を持っていますが、それが学校生活のなかでは〝障害〟になっていて、生きづらさを抱えることになってしまう。



魔物の主人公であるガッシュにしても、正義感が強く馬鹿正直という〝個性〟は、魔界の王を決める戦いに抵抗を覚えてしまう〝障害〟になりもし、生きづらさとなっていたのでした。



生きづらさを感じるのは心です。そして心は生きづらさの根拠でもあります。

なぜなら、心があるからこそ、心無い言葉に、ひとは傷ついてしまうのですから。

 

『金色のガッシュ!!』を、以上のような心が成長するプロセスを描いた作品だと見るとき、以下の3つの観点で読むことができます。

 

  1. 自己チューとメンヘラがメンタルを強くしていく物語
  2. 自分が憎んでいた他人と和解する物語
  3. 自分が自分であることを肯定する物語


うえの3つの観点のすべては「心という問題」とまとめることができます。


しかし当記事では、『金色のガッシュ!!』で描かれる「心という問題」をより深く理解するために、一度、観点を3つに分けます。そのうえで、3点を再び「心という問題」へとまとめ上げることによって、大人が楽しめる『金色のガッシュ!!』を確認してみることにします。



では、以下、書き進めていきましょう。

①自己チューとメンヘラがメンタルを強くしていく物語

〈心の力〉は感情である


『金色のガッシュ!!』では、人間であるパートナーが本に書いてある呪文を読み上げることで魔物は術を使うことができます。魔物が術を使うとき、魔物は魔力を持ちません。

しかし術を使うには魔力が必要になります。

そこで、人間界で行われる魔界の王を決める戦いでは、魔物の持つ魔力の代わりに人間の〈心の力〉が使われることになるのです。

魔物の術は人間の〈心の力〉が供給されることによって発動することができるわけです。



当然、術の発動によって消耗するエネルギーがあります。

術を発動すると、〈心の力〉が減ってしまうのです。

 

しかし、〈心の力〉というのはよくわかりません。

 

言葉の意味はわかりますが、具体的にそれが何なのかということは不確かです。

ようするに、抽象的であり、曖昧なのです。

 

『金色のガッシュ!!』の作中では、第2巻のスギナという魔物のパートナーである春彦が〈心の力〉を「感情」と言い換えています。


実際のセリフを見てみることにしましょう。

場面はキヨマロが怒りに任せて呪文を使っていたところ、〈心の力〉を使い果たしてしまい、呪文が使えなくなって敵であるスギナの術に捉えられてしまった場面での、春彦のセリフだけを抜き書きしたものです。

おまえ…今、本当にオレが憎いか? 怒りを持ってるか? 清麿っていったな、…どうなんだ? フン…そんなことはないって顔だな… そう、頭ではわかっているんだ、憎いってね… だが…そう、頭で考えてるだけで… 心の底から湧き上がってくる憎しみの感情ってのは消えているだろ? おまえ、何回呪文を唱えた? 10回以上は唱えてたろ? それだけでも結構うてたほうだ。 よっぽど怒ってだんだろな…

『金色のガッシュ!!』第2巻,2001,©雷句誠

 

以上のシーンでは〝頭では怒っているのに、心では怒っていない〟という奇妙な状況が成立しています。

そのような奇妙な状況が成立するためには、頭と心とが別の作用をもった別のものである必要があるでしょう。


〈心の力〉は、キヨマロが誇る〈頭の力〉(=学力、知力、頭の良さ、頭脳力)とは別の場所にたくわえられているエネルギーである、ということがわかります。

言い換えますと、勉強をすることによって鍛えられるものが〈頭の力〉だとして、勉強によって〈心の力〉が鍛えられるとは考えにくいとイメージすることができます。「頭でっかち」などという言葉もあるくらいですから、むしろ勉強は心にとってはよろしくない側面もあるのかもしれませんね。


しかし、〈頭の力〉が鍛えられるということは、〈心の力〉もまた鍛えられるのではないでしょうか?

たとえば、わたしたちの心が、幼少期と青年期とでは明らかに違ったものになってしまうように。

 

感情エネルギーをコントロールできるようになるプロセス

〈心の力〉を仮に「感情エネルギー」と呼んでみることにしましょう。

感情エネルギーという言葉を立ててみますと、人間と感情エネルギーとの関係が気掛かりになります。そして、いざ注意してみますと、キヨマロもそうですが、多くの本の持ち主である人間が「感情的な弱さを抱えている」という事実に気づくことができます。言い換えれば、魔物のパートナーに選ばれる人間は、総じて、自分の感情エネルギーに支配されてしまっている傾向にあるのです。

 

言うなれば、自己チューメンヘラなどと呼んでも構わないような状態です


  • 自己チューとは、物事を自分中心にしか考えられないでいる状態で、自分の都合だけを勘定に入れて物事を考えること。幼い子どもなどが見せる、自分の思い通りにならなかったときに駄々をこねてみせるのが自己チューの典型です。

  • メンヘラとは、自己チュー人間のわがままの方向性が自己否定的になっている状態のことです。すなわち、自分中心の感情的な思考で、ネガティブな表現が多く、それに加えて「○○に決まってる!」というような、決めつけ口調をするのが主な特徴です。


自己チューもメンヘラも、どちらも自分の感情に振り回されているという点で共通しています。

『金色のガッシュ!!』の作中、魔物のパートナーである人間は、人間的な弱さを抱えています。

そういった人間的な弱さを、自己チューやメンヘラなどがそうであるような、自分の感情エネルギーに支配されてしまうことの弱さだと理解すればどうでしょうか。



魔界の王を決める戦いでは、パートナーである人間が〈心の力〉を使って魔物同士の戦いに参加します戦いに勝ち残るためには、〈心の力〉をどのように切り盛りしていくのかが重要になります。

〈心の力〉の分配や使用頻度などの計算ができなければ、勝ち残ることはできません。

なのでおのずと、〈心の力〉のコントロールがパートナーである人間には求められるようになります。そして実際に作中では人間は心を強くしていく様子が描かれます。

 

つまり、〈心の力〉は鍛えられるものとして描かれているのです。──これはとても興味深い!

 

〈心の力〉が鍛えられるものだとすれば、次のように『金色のガッシュ!!』を評価することもできるでしょう。


〈心の力〉すなわち感情エネルギーをコントロールできるようになるプロセスとして、魔界の王を決める戦い、ひいては、それを描く『金色のガッシュ!!』という作品を見ると、『金色のガッシュ!!』は自己チューとメンヘラがメンタルを強くしていく物語だと読める!!!

 

②自分が憎んでいた他人と和解する物語

和解することで心は強くなる

多くの物語に共通のテーマとして取り上げられるもののひとつに、〈和解〉があります。

 

〈和解〉とは、つねに誰かとの和解です。

 

和解は被害者が加害者を許すことです。

〈和解〉をテーマにした物語は、〝復讐者になってはいけない〟というメッセージを語ります。



『金色のガッシュ!!』においても、〈和解〉のテーマがあるのです。



そして『金色のガッシュ!!』にあっては、〈和解〉とは〈心の力〉に掛かってきます。

 

そして、和解できる心には弱さはなく、むしろ強さがあるのです。


たとえば、ガッシュにとって魔界の王を決める戦いそのものが、自身の対立するもののひとつでした。あるいは兄との、そして父との関係が、ガッシュが対立するものとして描かれています。


自分が対立しているという相手は、心の弱さを表しているのと同時に、それと和解することを通して自分の心が強くなれるものでもあります。

 

本の持ち主である人間が〈心の力〉を鍛えて強くなっていくように、魔物のほうでも強くなっていく部分がある。それはやはり〝心〟と呼ぶべきものです。

 

『金色のガッシュ!!』のなかで、あらゆる対立関係は、相手と向き合わずに自分がたったひとりで思い悩んだ結果、真相を知らずに(もしくは見ないようにして)、その挙句に相手を憎んでいるという場合がほとんどです。



ようするに、ひとりぼっちにさせられてしまったことで恨みを抱き、その恨みを晴らすことでしか自分の恨みは解消されないと思い込むことになるのです。


それはつまり〝復讐者になる〟ということです。



復讐者は復讐が果たされないうちでは、つねに緊張を強いられることになります。

緊張しているということは、安心することができないということです。

別の言い方をすれば、心の安らぎがない、不安な状態であるということです。


復讐者になってしまった者の〈和解〉は、それゆえに次のような形を取ります。


自分の心の安らぎを得ることは、やさしくなることです。

やさしくなるためには、他人にやさしくなることによって、という形で果たされることになります。

 

他人のために、何かをすることが自分の緊張と不安を解消する。復讐する自分の目的のためだけという姿勢は、他人に対してやさしくない自分を維持し続けることになってしまうので、緊張や不安の状態も続いてしまうことになります。

しかし、他人に対してやさしくなることで、緊張や不安の状態でい続けることを解除することができるのです。

 

だからこそ、他人のために――という姿勢が、自身の心をやさしくすることになるのです。

 

魔物の場合は、王になるという〝自分のため〟の目標を持っている分、対立するものが余計に多くなります。



たとえば他の魔物に対立することもそうですし、自分に術を使わせる人間のパートナーに対してもそうです。



あるいはガッシュのように、魔界の王を決める戦いそのものに対して対立意識を持つ場合さえあります。



『金色のガッシュ!!』のなかに、そのような対立関係・対立軸を読むと、それらは結局なんらかの形で和解されていることがわかります。



〝なんらかの形で〟という部分を詳しく書くことはネタバレになってしまうので控えますが、ガッシュにとっての〝〟、〝〟、あるいは〝バオウ〟、〝魔界の王を決める戦い〟などへの対立は、和解されるのです。



和解した心は、和解できずに思い悩み、復讐者としての緊張を強いられていた頃の弱い心ではありません。和解した心、いや、和解できた心というものは強いのです。



魔界の王を決める戦いのなかで、人間も魔物も、誰もがなんらかの和解を経て、強い心を手にしていることは『金色のガッシュ!!』を読むうえでは無視することはできません。

 

和解する魔物とパートナー

作中で実際に和解をしたペアを見てみましょう。

 

ロデュウという魔物と、チータというパートナーとのあいだには対立がありました。

ロデュウはプライドの高いサディストです。

自分の思い通りにならないと許せないという、いかにも自己チューな性格をしています。

 

パートナーのチータは顔の右半分に傷跡があり、それを理由に人々の眼を気にして生きています。

このパートナーの人間であるチータに対する作中のロデュウの言葉を見てみましょう。

薄暗え部屋の中で、小さく背中丸めて暮らしやがってよお… 目に傷を負ってるから、外に出ると、街の奴らに変な目で見られるだの、昔つき合ってた男にひでえこと言われただの… くだらねえことグダグタ言いやがってよっ!!! 

『金色のガッシュ!!』第28巻,2007,©雷句誠


筆者は、ロデュウのことを自己チューだと言いましたが、パートナーのチータのほうもまた別の意味で自己チューです。

チータは他人に怯えて生きています。

 

それはいわば〝自分はたったひとりでいるべきなんだ、という思い込み〟に由来しています。

 

すなわちチータは「自分はこういう人間なんだから、こういうふうに生きていくしかないのだ」という思い込みをしているのです。

そのような姿勢には、他人がいません。他人の視点がないのです。

 

自分が他人の視点だと思い込んでいるものによって、自分の生き方を決めつけてしまっている。

 

そこには自分と他人という対立があります。そのうえで、自分を傷つけるかもしれない他人を避け、自分の思い込みのなかに閉じこもってしまっているのです。

つまり、チータ自身には和解する余地があったのでした。


チータの心(メンタル)は弱いものでした。

そのような心の弱さに対して、プライドの高いロデュウは苛立ち、パートナーであるチータと対立するのです。

 

イラ立つロデュウはチータに対して何もしなかったわけではありません。

チータは傷が隠れるようにマスクをしているのですが、そのマスクはロデュウが与えたものでした。

ロデュウは自身がチータに対してマスクを与えたことを次のように語っています。

てめえに似合いのマスクを与えたら、[……]相変わらず独りで暗え部屋に座ってやがる。辛気くせえ沈んだ顔を続けてよぉお!!! そんな傷一つで、てめえの人生を支配されやがってよぉお!!! [……]なぁ… なんでマスクをかぶった時に、強くならなかった? 変な目で見てた奴らがビビッてたんだろ? オレもいる。そいつらに仕返しして、ゲラゲラ笑えばいいじゃねぇか… オレは笑うぜ。どんな状態になろうと、「オレの体」なんだからよ!!! 一つや二つの障害で、奴隷みたいに支配されてたまるかぁあ!!!」

『金色のガッシュ!!』第28巻,2007,©雷句誠


チータはロデュウからもらったマスクを付けました。

しかし、そのマスクは彼女に他人と接することの自信を与えはしなかったのです。

 

チータはマスクへの感謝を次のようにロデュウに伝えます。

ありがとう。このマスクが怖いのか、誰も私に近づかなくなったわ…


チータはマスクを、他人と接するための自信にするどころか、他人と接しなくていい理由──イイワケにしてしまったのです。

 

ロデュウにとってチータの態度は〝イイワケ〟でしかありません。

だからこそ、チータに向けて「 なんでマスクをかぶった時に、強くならなかった?」という言葉を突き付けたのです。

 

ロデュウにとって、強さとは奴隷のように他人に支配されないことなのですから。


ロデュウは、傷一つで人生を支配されているチータに対して対立していたのです。


本が燃やされてしまい、パートナーとの別れのときに、ロデュウはチータに向けて次のように言います。

生きろ。てめえ自身が強けりゃよ… 目の傷なんてなんでもねえ… もっと笑えるし、まっすぐ立てるし、ほれる男も出てくらあ…

『金色のガッシュ!!』第28巻,2007,©雷句誠


ロデュウはここでチータに対して〈和解〉を持ち掛けているのです。

チータ自身の抱える対立の〈和解〉を後押す形で、ロデュウ自身のパートナーとの対立も和解する。


ロデュウがいなくなってからのチータが、はたして自分の思い込みと和解できたのかは、32巻および33巻でのチータを確認してみてください。

③自分が自分であることを肯定する物語

レベルアップしていく心

『金色のガッシュ!!』は〈心の力〉をテーマにし、心の強さ、ひいては人間としての強さを描きました。

強さを描くためには、弱さを描く必要があります。

そうした弱さが強さへと成長していくダイナミズムこそ、『金色のガッシュ!!』のひとつの大きな読みどころなのです。

 

なんでも気の持ちようだよ」──という言葉があります。

その言葉が使われる場合はたいてい問題を抱える当人への共感ができていません。

ツラいからこそ、問題になっているのに、「問題そのものではなく、あなたの気の持ちようが問題なんじゃないの?」──という言い方は、当人にとってはなんら解決にはなってくれはしないのです。

その点で、「気の持ちようだよ」の言い方は、〝それは自分にとっては問題には思えない〟という相手の側の冷めた態度表明にしかなっていません。

 

『金色のガッシュ!!』という作品が語るところも、言ってしまえば「なんでも気の持ちようだよ」となります。〝心〟の語で書き換えれば、「なんでも心の持ちようだよ」となるでしょう。

 

しかしそれは他人行儀の冷めた態度ではないのです。

 

そうではなくて、自分が自分であることでこうむる障害との格闘の結果として得られる個性の肯定ができる、本人の心構えを語るのです

心構え――言い換えればマインドセット(価値観、信念)です。


『金色のガッシュ!!』の心が強くなっていくプロセスは、マインドセットが仕上がっていくプロセスと言ってもいいでしょう。

そうした観点から、各話数が 「Level.○○」と表記されているのも、もしかしたら、心のレベルアップ具合を表しているのかもしれません。

 

 

個性という色を持つこと

心のレベルアップの結果、生きづらさだった障害は、「みずから引き受けるべき個性」として理解されます。

 

個性は、無色透明なものではありません。他人に認知され、そのうえで他の個性の色合いと溶け込むような、不透明で有色なものです。

他人を拒絶し、自分の思い込みのなかに閉じこもってしまうことは、自分の色(個性)を否定して透明になろうとすることと同じです。

 

『金色のガッシュ!!』において、以上の「有色と無色のテーマ」は、最終章である《クリア・ノート編》で取りあげられます。

 

クリア・ノートという魔物は「魔物を滅ぼそうとしている魔物」です。使用する術が「消滅の力」なのであり、自身の存在意義は魔物を滅ぼすことにあると考えています。

つまり、すべてを透明にするための存在なのです。

 

クリア・ノート編》は魔界を、そして人間界をも滅ぼそうとさえするクリア・ノートとの戦いになります。

もちろん、最終的にはクリア・ノートは倒されることになります。

しかしその後が興味深いのです。

クリア・ノートは「ワイト」という名前で生まれ変わるのです。

 

クリアからホワイトへ。透明から白色へ。

 

その結果、ワイトは魔界の他の子どもたちと一緒に過ごすことができるようになったのです。

 

なぜ、生まれ変われることができたのかは『金色のガッシュ!!』本編をご覧いただくとして、《クリア・ノート編》において重要なのは、無色透明な存在が有色不透明になることで魔界の住人として受け入れられたということです

 

 クリア・ノートは自分が自分であることによって、他人および世界を否定する存在だったのでした。

これでは他人と打ち解けることはできず、他の色と混ざり合うこともできません。

 

しかしワイト(白色)になることで、クリア・ノートは自分が自分であることによって自分以外を否定しなくてもよくなります。

 

「魔物を滅ぼそうとしている魔物」という個性が、色を与えられることによってポジティブな存在へと変わっているのです。

ここでは色はとても重要な意味を持っています。

 

色が個性を表しているのです。

 

色があるということは、他人に見えるということであり、世界の風景に溶け込めるということです。

透明であれば、たとえ自分からは他人が見えていたとしても、他人のほうからはこちらは見えません。見られていないということは他人にとっては〝存在していない〟ことと同じです。

 

他人にとって自分が存在していないとなれば、なんにも対立はなく、他人に怯えることもなくなりますが、その代わり、自分が強くなることもできなくなります。


〈頭の力〉と〈心の力〉が違うように、いくら他人への知識が増えていったとしても、そのことによって他人との関係がうまくいくことはありません。

他人すなわち〈他の心〉との具体的な関係のプロセスを抜きにしては、自分の心が強くなることはないのです。


自分が自分であることを、自分を自分だと認めてくれる他人ごと肯定するには、自分の個性が他人にとっても存在していなくてはいけません。


心のレベルアップは、自分の個性が他人とともに存在することを認められることのポテンシャルにも掛かってくるのです

まとめ

大人になった筆者が『金色のガッシュ!!』を読むと、以上のような読み方ができました。

以上の3つの観点、すなわち――

  1. 自己チューとメンヘラがメンタルを強くしていく物語
  2. 自分が憎んでいた他人と和解する物語
  3. 自分が自分であることを肯定する物語

──は、予告したように「心という問題」に掛かってきます。

 

心は体のようには眼には見えません。

どこが心だ?──と誰かに訊かれても、これが心だと言って相手に見せることはできません。

しかし同時に、「心はここにある」と答えることも不自然な答え方ではありません。

 

どれでもなく、ここにあるもの。

 

そのような曖昧で抽象的な心は、心そのものを問題だと感じます。つまり、心は心自身を問題視するのです。

 

生きづらさを感じる場所が頭ではなく心なのだとすれば、心を問題だと感じているのは心そのものだということになるでしょう。

だとすれば、心そのものが強くなることによってしか、心は救われません。

 

筆者は、当記事の冒頭で次のように書きました。

心を持つ人間に共通の感覚のひとつである「幸せになりたい」という願いも、心を抜きにしては叶うも叶わないもありません。


「心という問題」は自分が自分であることの問題でもあり、そして感情的なものでもあります。そういった問題に悩む者に対して、心を取り扱わずに問題を解決することはできないでしょう。

たとえば「幸せになりたい」という願いにしても、そこから感情に由来する部分を抜いてしまえば、願いそのものがなくなってしまいます。

 

筆者は『金色のガッシュ!!』が「心という問題」に悩むものへと示す答えを、「なんでも心の持ちようだよ」という言い方でまとめることができると書きました


心の持ちよう、すなわち、マインドセットであり、心構えであり、〈心の力〉です


【自己チューとメンヘラがメンタルを強くしていく物語】の節で見た春彦は、〈心の力〉を「感情」と言い換えたのでした。筆者はそのことを受けて、感情エネルギーに支配されてしまうことが弱さなのだと書きました。

【自分が憎んでいた他人と和解する物語】の節で見たロデュウは、「奴隷」という言葉を使いました。ロデュウの言葉を踏まえれば、感情エネルギーに支配された奴隷の状態こそが、弱さなのです。

 

「心という問題」に悩むことの説明は、感情エネルギーに支配されてしまい自分の思い込みによって支配されている状態なのです。

  • この状態を抜け出すためには、どうすればいいのか?
  • 自分の(おもに他人に対する)思い込みの強さに支配されないためには、どうすればいいのか?

──それこそ、王になることなのです


当記事では魔物の子が王になる決意を固めていくプロセスについて、深く触れられませんでした。

しかし王になるということは、支配された状態に苦しむものにとっては切実です。

なにせ、王になるというのは、統治者になることだからです。


ここでの「統治」は「支配」とは反対の意味を持ちます。

支配はネガティブな奴隷状態を表し、統治はポジティブな王様であるという事態を表します。


王になるということは、『金色のガッシュ!!』のなかでの魔界の王を決める戦いのことだけではなく、人間や魔物、ひいては心を持つ者の自身の心との関係のことでもあるのです。


だからこそ、【自分が自分であることを肯定する物語】で確認したように、心がレベルアップをすることが大切になってきます。


自分の思い込みや他人の心無い言葉、自身の感情エネルギーに支配されないための、強く、そしてやさしい王様として、心の統治者になることが、「心という問題」に思い悩むわたしたちが『金色のガッシュ!!』から受け取るメッセージなのです。

 

まとめると、次の一文の形に書くことができます。


自分が自分であることの奴隷になるのではなく、他人と世界と、そして自分自身との対立を作り出す感情エネルギーを許せる、心を統治する強くやさしい王になることを目指せ!

 

_了

参考資料

コメント

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