【頑張らないための頑張りかた】力の抜きどころと入れどころ

啓発書
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あなたは頑張っていますか? 頑張り過ぎてはいませんでしょうか? そんなあなたに向けて古川武士って人が『力の抜きどころ』なんていう本を書いてくれています。そしてこの記事ではその本に準拠しつつ、勉強なり仕事なり、人が何か作業をする際に「頑張らない頑張りかた」があるとしたら、それってどんなものだろう…? ってことを取りあげてますのや。さっき挙げた本のタイトルに引っ掛けて言うなら「力の抜きどころ」を前提にした「力の入れどころ」って何だろう? ってことをね。──なお、当記事は『力の抜きどころ』の内容とは重なるとは限りませんので、あしからず!
この記事で取りあげている本
 

【頑張らないための頑張りかた】力の抜きどころと入れどころ

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力の抜きどころを探して

生きてると何かと「踏ん張らなきゃ」とか「頑張らなきゃ」いけない場面ってありますよね。勉強、仕事、恋愛、創作。まぁなんでもそうなんでしょうが、「力の入れどころ・力の見せどころ」ってのがあるわけです。
でもあんまり頑張りすぎてメンタルや体調を崩したりなんてこともあったりして。他人から「踏ん張れ」とか「頑張れ」なんて言われ続けて嫌になったりすることもあるでしょうし。根気を詰めて取り組んでいるのにそんなことを言われた日には、「これ以上がんばらなくちゃいけないのか…」とガックシ来ること間違いなし。
そんなお悩みを解決します〜ってコンセプトなのが習慣化コンサルタント・古川武士の『力の抜きどころ』って本なんですわ。タイトルからもわかるように、脱力のススメ
帯には「できる人は上手に力を抜いている。」なんて書いてある。期待大。パッと見て「できる人」と「力の抜きかた」ってのが気になるところ。そのメッセージを逆さまにしてみれば「できない人は下手に力を込めている。」でしょうかね。
この記事では『力の抜きどころ』を参考にしつつ、とはいえ多少の誤解をすることにしながら、「力の抜きどころ」を巡って〈がんばる〉の意味を問い直していきます。
 

頑張らない頑張りかたについて

ここでは、『力の抜きどころ』から〈がんばる〉の意味を検討し、完璧主義であることをやめて、ダラダラするのではなくコツコツと、それも、自らギリギリな状況を作り出すという頑張りかたを紹介します。さらに、選ぶべき作業のやり方=方法を探るために「面白いかどうか」の基準を立て、義務ベースではなく欲望ベースに立って最善の方法を選ぶ姿勢を取りあげていきます。

そもそも「頑張ってる」ってなんなのさ?

あなたは頑張っていますでしょうか? ──そう聞かれて「頑張ってない」と答えるにはちょっぴし勇気がいります。というのも「頑張っている」のは一種の美徳とされている風潮がありますから、頑張っていない人でも他人にそう聞かれたら、自分に言い訳するみたいに「頑張ってます」と言いたくなってしまうんじゃないかしら。
しかしね、そもそも「頑張ってる」ってなんなのさ?
『力の抜きどころ』では〈がんばる〉を批判する本でもありますから、そこんところもちゃんと考えてあります。ちょっくし関連するとこを引用してみましょう。
上手に力を抜く人は、がんばらないで結果が出れば、それこそ素晴らしいと考えているのです。
(『力の抜きどころ』,p34)
引用したところからわかるのは、〈がんばる〉が「結果」ではなく、結果までのプロセス──「過程」に関連しているってことですね。この「がんばる=過程」の話はまた、次のくだりに繋がってきます。
がんばりすぎる人は非効率になりがちです。なぜならば、がんばっていることそのものに美徳を感じており、効率のよい新しいやり方が見えなくなりがちだからです。
(『力の抜きどころ』,p34)
「がんばる=過程」の話が上に引用した箇所では「やり方=方法」の話題に言い換えられていることがわかります。そして〈がんばる〉が行き過ぎてしまうと、頑張っていること自体が目的化してしまい、そのせいで、もっと効率の上がる別のやり方が見えなくなってしまうわけですね。たしかに、それでは効率は悪くなるでしょう。
以上のことから、「頑張ってる」という姿勢が「自分自身のやり方を見直す機会を見えなくしてしまうこと」になりかねない危険性があることがわかります。だからこそ〈できる人〉はひとつのやり方に凝り固まる危険性よりも、 “効率のよい新しいやり方” を選べる可能性があった方がいいと考えるので、自然と「頑張らないほうがよい」という姿勢をとるようになるわけですな
 

期待しすぎ/させすぎない

〈がんばる〉が求められるときって、たいがい成果を得るためだったりしますよね。人から何か頼まれごとをしたり、もしくは仕事を引き受けたりなんてして、そのために〈がんばる〉。
でもそこで「できる人・できない人」の違いが出たりするわけですよ。両者の違いを単純に言うと、〈できる人〉は早くて確実に要求に応えることができるから優秀ですが、〈できない人〉は遅くて要領が悪いからダメ──みたいにね。
ここで「できる人・できない人」の違いで注目したいのは “作業に掛かる時間” です。〈できる人〉と言われる人はたいがい “さっさと” 任された仕事をこなしてしまう。『力の抜きどころ』ではこの点に注目して、速さと満足度とが通じていることを指摘します。
速いというだけで、満足を得られるのです。逆に、時間が経てば経つほど、質の高いものを期待されます。
(『力の抜きどころ』,p44)
速く仕事をこなす。それが〈できる人〉と言われるのはイメージすることができますね。それに加えて上で引用した箇所では、時間が経てば経つほど、相手から質の高いものを期待されると指摘しているのはよく噛み締めておきたいところ。
人が何か作業するとき「じっくり丁寧に」という姿勢は “推奨されるべきこと” だとされます。だからこそ、課題達成までの時期をたっぷり取ったりなんてこともするわけですね。それで期限ギリギリまで時間を掛けてみたりして。──ところがどっこい、これは依頼者の期待を煽ることにもなるんだぞ、と言うわけですわ。
また、期日まで引っ張ってじっくり丁寧に時間を掛けるというのは「完璧主義」に陥る可能性もあります。
相手の期待感が高まることと自分の仕事への完璧主義とは相乗しちゃいますのや。なぜって、作業に掛ける時間が増えるほど、相手に期待されてる時間も増えるんですからね。期待に応えなきゃいけないと思って、自分の作業の完成度にも神経質になることもあるでしょう。完璧か、そうじゃないか。白か黒かの両極端になってしまうのが完璧主義ってわけですから。そうなったら上手に力を抜くどころじゃなくなってしまうでしょう。
だからこそ、期待に応えるのはなるべく速くして、相手からの期待が自分のなかで大きくならないようにするほうがいいってわけです。作業の速さは「期待しすぎ/させすぎ」を防ぐ手立てとなる──このことを押さえておきましょう。
 

ダラダラとコツコツとギリギリ

何事もダラダラとやっているのはよくないですよね。限られた時間のなかで集中して作業することが大切である、ってことは『力の抜きどころ』のなかでも言われています。
締め切りが設定されることによって人は生産的にも創造的にもなれる、なんて話は自己啓発書ばかりではなく哲学の方でも出たりすることです。これは極端な言い方でしょうが、人は何も制限のないところでは何も生み出せない、制限を掛けられることで初めて能動的な表現行為ができるのだ、とか。
哲学の方ではハイデガーって人が、「死の先駆的決意性」なんていう仰々しい言葉で、自分がきっちり死ぬことが決まっていることを自覚すれば、人に流されてばかりいる生活から目覚めることができると語ったといいます。ようするに、人生にも〆切があることを自覚しような!ってな話ですね。──人間讃歌は〆切の讃歌!……なんつって。
では、ダラダラと反対の姿勢ってなんでしょうかね。「ギリギリ」あたりになりますかしら。ギリギリは大袈裟ですけれど、あながち間違っているってわけでもなくて、目標に向けてコツコツやるにはそのつどのギリギリを生み出さなきゃダメって話なんですもの。
──そんなことを踏まえて『力の抜きどころ』を読んでいれば、こんな一節があります。
上手に力を抜く人は、少しずつ積み上げて、最終的に完成させればいいという発想があるので、最初の一歩を小さく始めることで、すぐに着手することができます。
(『力の抜きどころ』,p81)
上手に力を抜く人は作業を少しずつ積み上げることによって完成を目指す。そして最初の一歩を小規模でもいいから踏み出し、思い立ったら行動に移せるようにする
いずれにせよ、ダラダラやらないってことが大切のようですね。それで千里の道も一歩から、という次第でコツコツ作業を進めていく。そのコツコツにも制限を掛けてそのつど集中力を引き絞るためのギリギリを作り出す
ただし、そのコツコツとギリギリはあくまで効率を重視する必要があります。ここで言う「効率を重視すること」は、やり方=方法への反省があるということです。それがなければまた、頑張っていること自体が目的化してより効率的な別のやり方が見えなくなってしまうでしょうから。
 

そのやり方って面白いの?

何をするにも方法は付きものです。そして間違った方法=やり方をとってしまえば、正しいやり方をすればできたことも難しくなったりして。〈がんばる〉が厄介なのはそのやり方=方法が固着してしまい、別のやり方が見えなくなってしまうからですし。
『力の抜きどころ』ではこうした方法=やり方について示唆的な一節があります。大前研一という人物の発言を引いたものですが、ハッとさせられるものがあるのですよ。
経営コンサルタントの大前研一さんは、「コンサルティングに面白い仕事、面白くない仕事などはない。面白いやり方と面白くないやり方があるだけだ。常にクライアントのことを考えて工夫することだ」と言っています。
(『力の抜きどころ』,p129)
面白い仕事、面白くない仕事などはない。面白いやり方と面白くないやり方があるだけだ 。」これはハッとさせられるものがありませんでしょうか? 面白いかどうかはやり方次第である、と言っているわけですもの。
ただし、感心させられるとはいえ同時に厳しい言葉でもあります。面白くないと思っているあれやこれやの理由が、ぜーんぶ自分次第だって言われているのと同んなじなんですもの。
『力の抜きどころ』は頑張り過ぎると効率的な方法が見えなくなるからこそ、「力の抜きどころ」を押さえましょう〜ということが書かれた本でした。「別様な方法=やり方」への目配せが肝心。──では、そうした別様な方法を見つける方法ってなんでしょうね?
それはおそらく、大前研一の言い方を借りるなら「そのやり方って面白いの?」となるでしょう。
面白いかどうか。これは “効率的かどうか” よりもわかりやすい指針です。なにせ、効率というのは今のやり方がもっとも効率的だと思っていても、頑張れば良くなったりするものですから。つまり効率を意識して〈がんばる〉理由にしてしまう。これでは「力の抜きどころ」どころか「力の込めどころ」の話になってしまうでしょう
それに対して “面白いかどうか” であれば効率よりもある意味でシンプルでわかりやすいものです。なにせ作業している自分自身がどう感じているのかに注意を向ければいいのですから。そして、作業の効率自体も作業者の気分のうちに反映されているでしょうから、自分のやり方=方法を見直すための指針にするには都合がいいのです
 

義務ベースから欲望ベースへ

勉強にしろ仕事にしろ創作にしろ、作業を義務感でやっちゃうことってありますよね。しかも得てして義務でやっていることって苦痛だったりするし。ワクワクできるかどうか。これって大事です。
そのやり方が “面白いかどうか?” がその方法を見直す目安になるという話も『力の抜きどころ』で語られていましたが、作業中にワクワク感を覚えるのも重要なポイントでしょう。なにせ、ワクワクしているということはそもそも「力の込める=がんばる」こと自体からの解放に繋がりますから。
人が何かに夢中になるときに、そこには夢中になっている当人がいるだけで、それ以外の意識はなくなります。頑張っている自分自身さえいないと言ってもいいでしょう。
しかし、それが義務によって取り組んでいる場合ではなかなか夢中になれません
そこで要請されるのは欲望です。
義務感で面白がることはなくても、欲望から面白がることはあります。むしろ欲望なくして面白がるなんてことは起こらないでしょう。その意味で先に挙げた「そのやり方が面白いかどうか?」という問いかけは、単に作業のやり方=方法の見直しになるだけではなく、作業者自身の欲望の見直しにもなっているのですわ。
それでも勉強や仕事なんかは、往々にして “自分がやりたくないこと” をやらないといけなかったりします。大前研一が言ってた「面白い仕事、面白くない仕事」って話ですね。しかし彼は「そんなものはない」と言い切りました。その上で「面白いやり方と面白くないやり方があるだけだ」と語ってくれたのが、まさに欲望の話だったと言えます。
ちょっと考えてみても、人が “自分がやりたくないこと” をやっているときって頑張ってますよね。となると、頑張っていることって面白くないわけです。だからこそ、頑張らないことへと変換するために、面白いやり方を見つける必要が出てくる。──この点に、義務ベースで頑張るのではなく、欲望ベースで頑張らない姿勢が要請されるのです。
義務は誰かから押し着せられたものですが、欲望はあなた自身を表現するものです。『力の抜きどころ』のには「完璧主義から最善主義へ」という裏テーマ(?)もあるのですが、この点にも「義務と欲望」のキーワードが刺さります。
完璧主義は義務感によってもたらされるもので、他人に向けて不完全なものを見せられないという不安から起こります。ここに面白みや楽しみがないことは想像に難くないでしょう。それに対して、最善主義では欲望によって支えられる態度です。主観的な物事の良し悪しは欲望によって決まります。何が最善かは欲望ベースに立ってその時々に違ってくるので、完璧である必要が問われなくなる、というわけです。
義務と欲望だったら、どっちを選びたいか。これは難しい話ではないでしょう? ──とはいえ、義務で縛られることが自分の欲望だって人もいるでしょうから、一概には言えないんでしょうけれど。
 

総括:頑張らないための冴えたやり方

ここまでの紹介した方法論を一言で言うなら、「頑張らない頑張りかた」となるでしょう。
〈がんばる〉とはようするに「我慢をして無理をする」ことです。そうした取り組みかたは得てして効率的なものにはなりません。効率を上げるためにも、まずは楽しまなくてはならない、面白がらなくてはならない。そうすることで義務ベースから欲望ベースに立つことができる。そうすることで、自分の欲望から作業中の良し悪しを判定できる。この点から「義務感から起こる完璧主義」は「欲望から導かれる最善主義」にシフトすることができる、ってわけですな。
欲望ベースに立つことで面白いやり方を選ぶことができます。仕事には面白いも面白くないもないと語ったのは大前研一でしたが、やり方には面白いものと面白くないものがあるので、面白いやり方を選びましょうね〜って話ですわ。──この時点で「我慢をして無理をする」というやり方はなくなります。つまり、「頑張らない頑張りかた」が見えてくる。
そうは言ってもこれはまったく頑張っていないのかと言うと、そうではありません。頑張ってはいるのです。ただし、それ以上に楽しんでいて、面白がってもいる。さながらゲームをしているかのように。勉強にせよ、仕事にせよ、はたまた創作にせよ、その作業が「ゲームに似てきた」のなら勝ったも同然です。なぜって、ゲームをやっているときには義務感もなく、欲望から夢中になってプレイし、クリアするための最適なやり方=方法を模索している状態なのですから。
ただし、欲望ベースによって作業がゲーム感覚になるというだけでは人が生産的・創造的になるには不十分です。そこにはルール=制限がなくてはいけません。ゲームだってルールなしでは勝ち負けも達成感も起こらないでしょう。なので、「面白いかどうか」に着目した欲望ベースの後に義務ベースの条件を意図的に “つくる” 必要があります
 
本のタイトルに話を寄せると、「力の抜きどころ」はまず義務ベースからの解放を意味します。そうすることで別の作業のやり方=方法に目を向ける余裕を確保する。その際にそのやり方が「面白いやり方かどうか」をチェックする。これが欲望ベースへのシフトになります。そしてこの後に面白いやり方を使ってどう頑張るのかという段階がやってくるってわけですね。
〈がんばる〉はよくない。けれど作業をするというのは当然、頑張らないこととは違うわけです。その点で『力の抜きどころ』は「頑張らない頑張りかた」を推奨してきました。これはいわば「面白いやり方かどうか」が前半部の “頑張らない” であって、後半部の“頑張りかた” は作業者がルール=制限を自分自身に課す段階になりますのよ
「頑張らない頑張りかた」の実践面ではダラダラ作業しないことが重要になる。それは効率の対極に位置すると言っていいでしょう。ではどうするかと言うと、「小さくコツコツ進めていく」という至極まっとうな話になるわけですが、とはいえそこには「作業者がルール=制限を自分自身に課す」ことが要請されるのです。具体的には小さくコツコツ作業を進める際に、みずから時間的制限=締め切り(〆切)を設けて、あえてギリギリの状況を作る。これは一度手放した義務感をみずから取り戻し、「力の入れどころ」を選ぶってことになるわけですわな
──これが、頑張らない頑張りかた、あるいは頑張らないための冴えたやり方
 

まとめ

日々力を入れて頑張らなければならない。とはいえ頑張ってるだけじゃダメで、だからこそ、他の頑張りかたを探したりしてしまうもの。そんななか『力の抜きどころ』では「頑張らないための頑張りかた」が取りあげられているわけですな。もっといいやり方をすればいいって話を、単に効率の良さで判断するんじゃなくて、「面白いかどうか=欲望」の話で検討するのですや。欲望って大事ね〜といったところから、「完璧主義から最善主義へ」と落ち着くわけですわい。よろしければ『力の抜きどころ』を読んでみてくださいな。こういう記事を書きたくなるかもしれませんので(笑)
_了

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