人はパターンで世界を認識する|ヨーロッパの装飾と文様

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どうも、ザムザ(@dragmagic123 )です。

まず、その本のきらきらした装丁に目を奪われました。目黒の庭園美術館での、展示を見終えた先にある売店にて。手に入れたいと思いました。その購買意欲を正当化しようとして浮かんだ用途には、「創作資料になるはずだ、だから買っておいて損はない」といった考えがあったと記憶しています。実際は装飾と文様に関する資料が必要になるであろうようなアイデアは浮かんでなどいなかったのに。安くはなかったものの、わたしは買うことにしました。その本──海野弘著『ヨーロッパの装飾と文様』を。

 帯にはこう書いてあります。

豊かな「形」が織りなす、装飾の楽園へ

古代文明からゴシック、ロココ、アール・ヌーヴォー、アール・デコなど、18の様式における装飾・文様の歴史と構造、74のモチーフを詳しく解説。

 買ったばかりには煌びやかな図絵の方にばかり意識が向いていたものの、いざ繙いてみれば歴史や構造についての解説も“読ませる”ものになっていることに気づけます。

 おもしろい。

 そこで感じた“おもしろさ”を受けて、この記事では図絵の方よりも解説文を“読まされた”ことの報告というかたちで書き進めていきます。

 

人はパターンで世界を認識する|ヨーロッパの装飾と文様

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装飾とはなにか 世界を見る、世界を読む

爛々たる絢爛

装飾は物の外面を

 本の冒頭、「装飾 私たちはそこで美しい世界を見る」という17ページの小文が目に入ります。第一節に「装飾とはなにか 世界を見る、世界を読む」とあるように、本書は“~とは何か”の問いから始められているのです。

 〈装飾〉とは何か。

 そうした問いかけをされた場合に、わたしたちは、素朴なところだと美観としてのデザインの良し悪しや、そこに込められたメッセージが伝わりやすく表現されているかどうか、という点で答えを模索するかもしれません。

 ようするに、読んで字の通りに、“飾りつけた装い”や“装いを飾り立てること”などのイメージから説明しようとする、というわけですね。もちろん、他の視点もあることでしょうが。

 件の文でもまた同様の説明からはじめられます。「〈装飾〉は、物の外面を美しく飾ることである。」ただし、話はそこから装飾がどのように飾られるのかと進み、それは〈文様〉であるという方面へと展開するのです。

パターンが世界との関係を

 “文様”は馴染みのある言葉ではありませんが、〈パターン〉と聞けば幾分か馴染みがありますね。この〈パターン〉と言われているものが実は、わたしたちと世界との関係を根本から支える原理なのでもある。──そういうふうに話は進んでいきます。

外面をパターンで飾る、というと、なにかつけ足しのように聞こえるが、実はもっと重要である。なぜなら、パターンのない物はないからだ。つまり、パターンがあるから、それによって物が見えるので、パターンがなければ物は見えない。私たちはパターンによって、物を、世界を認識することができるのだ。

 パターンが世界の認識に関わるものである。おおげさに聞こえる文です。しかし、納得してみるとこれは案外おもしろいアイデアかもしれません。

物の形のパパ

 パターンをまず、一個の言葉として眺めてみましょう。その意味は文様のほかに「原型、模範、図案」などが挙げられます。

 興味深いことに、海野氏は語源に遡って、パターン(pattern)の語源がファーザー(父)と同じであることを挙げています。そしてこう述べるのです。「パターンは物の形のパパ(お父さん)なのだ。

 なるほど、だとすればパターンがなければ世界を認識することはできないのもうなずけるかもしれません。

 例として、父が家柄を象徴するものであることを思い出してもいいでしょう。日本でも歴史上、娘を権力者の元に嫁がせて子を産ませ、「政略結婚」などと呼び、婚姻関係を結ぶことで家柄に箔をつけるなどしていたことですし。

パターンは事物に秩序を

「本は小さな建築と考えることができる。」 むろん、秩序なくして建築はありえない。

 父が家柄および血統を意味づけ、そして権威づける。──そのような「父 pat」を語頭に冠する「パターン」もまた、事物に秩序をもたらすという意味では、それなくして物は見えないという見解を引き出すことができるでしょう。

 そしてパターンの話題は〈ことば〉の成立の問題へと展開します。

パターンを、ある類似したものを集めて、それをくくって〈花〉という名をつけることとすると、パターンは記号であり、ことばであることになる。パターンは個人のものではなく、人間の共通の認識となる。パターンによって、私たちは共通の世界をつくりあげ、パターンを通して、人間と人間がコミニケーションを持ち、パターン=言語によって話し合う。したがって、パターンとことばの発生は密接に関連しているものとなる。

 ことばなくしてコミュニケーションはありえない。その通りですね。伝える人と伝えたい事があって、伝えたい相手がいる。このときに相手にとってまったく未知の情報を教えたとしてもそれが伝わりはしないでしょう。なんらかの既知情報を手掛かりにしなければ相手は要領を得ないでしょうから。

感性/悟性/理性

 言わずもがな、なんらかの既知情報こそがパターン認識のこととなりますね。そしてこれは〈形〉と〈意味〉の話であり、〈実体〉と〈概念〉の話にも発展…いや捻転させられそうです。いえ、させてみましょう。

 実体との出会いが経験であり、経験のさなかに実体群に見慣れていき(familiar)、次第に個人的な観念の枠を超えた概念が認識の際に参照されるカテゴリーとして生成する。そうしたカテゴリーの生成にとってパターンは不可欠です。

 わたしたちの主要な認識の機能を「感性/悟性/理性」の言い方を用いて表せば、感性が形を直観し、悟性が概念を把握し、理性は世界を主張するというふうになるでしょう。その場合にパターンは個別の形を世界体験へと膨張せしめるために必要な概念的把握の成立に深く関わっているのです。

 理性は先に触れたパターンの語源が物事を意味づける父というものに関わってきます。というのも、理性は道徳能力の根拠でもあるのですから。言い換えれば、理性は道徳律の作者としての資格証明をするのです。

理性の父なる能力

 〈父なるもの〉は事物に秩序をもたらし、意味づけ、権威づける。これは基準や法則などのルールを打ち立てることであり、理性の能力もまたそのようなものとなっています。

 あるルールがあるからこそ、ゲームには勝敗や優劣が成立する。理性はそうしたゲームに対して「立法能力」を持ち、「参入能力」を持ち、「創案能力」を持ちます。なぜなら、理性はモラル(道徳)の作者として振る舞うのですから。

 無秩序なゲームがないのは、あらゆるゲームにはルールが制定されているからです。事物にルールを制定する父なるものは、理性が始めるゲームにも関与する、表裏を共有するコインの関係にあります。ですので、道徳律の作者たる理性には、事物に秩序をもたらし、意味づけ、権威づける父になる資格もあるのです。

パターナルなパターン認識

 ようするに、ゲームができるのはルールがあるからなわけで、このゲームを〈世界体験〉、ルールの方を〈ことば〉と読めば、わたしたちの認識の営みの裡には、絶えず何らかのパターンが働いていることがうかがえます。そうでなくては言語的なものであるルールは成立しませんし、世界体験が意味あるものにもならないのですから。

 ええっと、ここまで書いたことのおおよそは──パターンは物を意味づけて、わたしたちの世界認識を支えている。そして、ことばの成立にはパターンが要る。だからパターン認識なしには成り立たないことばもまたパターン的であり、父として事物を意味づけるパターナル(paternal)なのである。──ですね。

 話をパターン認識に関するくだりで登場した〈形〉と〈意味〉の対比に戻します。

シンボリックなパターン

 パターンについて、海野氏はこう述べています。「形のない意味はなく、意味のない形もない。あらゆるパターンは形と意味を含んでいる」。

 先ほどまではパターンを〈ことば〉の話に引き付けて考えましたが、上の海野氏の文章はむしろパターンを〈記号〉として検討する視覚を立てていると受け取れます。

 そういえば、わたしは別の記事で象徴と記号とを同じ「シンボル」として次のように検討しています。

象徴も記号も、どちらも「シンボル symbol」ですが、その意味合いは違います。記号はすでに知られている何かの代用表現であり、象徴のほうはまだ十全には知られていない比較的未知のものを表した表現です。たとえば、赤信号が止まれの合図であることは記号的で、赤信号で人が立ち止まることは象徴的であると言えます。

 パターンをシンボルと重ねてみたとき、形と意味とはシンボルという形式で合流していることになっています。シンボリックなものとしてのパターン。

シンボルとしてのパターン

装飾文様の分類四象限

 上に引用した文章で押さえてあるように、記号と象徴ではニュアンスが違います。

 記号では意味が自明であるために、意味に対する関心が意識の背景に後退して、象徴では意味が自明ではないために、意味に対する関心が前景化することになる、といった違いが。

 シンボルとしてのパターンにも、記号と象徴のように、ある種のシンメトリーがあります。海野氏のアイデアでは〈形〉と〈意味〉の対称性と〈写美的文様〉と〈幾何学模様〉の対称性とが挙げられています。

 そうした二対の対称性の各項目の中で、装飾文様の研究によればパターンの類型のうちでもっとも基礎に位置付けられるものが、幾何学模様に属する「幾何学文様」なのです。

立体から平面へと発展する

 海野氏によれば、装飾文様の研究でおもしろいのはアロイス・リーグル(1858-1905)という、世紀末ウィーンの美術史学者によって書かれた『美術様式論』(1893)。この本のなかで、装飾は平面から立体に発展するのではなくて、立体が先にあって平面へと発展していく、と書かれているというのです。

 パターンの文化的な発展段階として、最初に三次元の立体表現があり、その後に、二次元表現である平面へと進化する。いわば球よりも円の方が高次に位置付けられることになるのです。

 また、モチーフとしては植物よりも動物の方が先に描かれた、とのこと。

 上の事実を踏まえれば、人間のパターン認識の発達は次のようにイメージできます。

 人間はまず視覚的かつ触覚的な“立体的なもの”を発見し、そこから抽象的な平面化の方にいく

平面に線を引くことで、平面的なパターンが認識され、幾何学文様が出現する。それらのパターンは世界を見えるように構成してゆく。平面パターンは輪郭という、自然、現実世界にはない、仮想の線によって世界をとらえる。

アナログからデジタルへ

 パターンが事物を認識することばである、というアイデアを既に見ました。上に引用した文章は立体パターンから平面パターンへと発展することを語っていますが、これは世界の認識がアナログからデジタルへと発展していることでもあります。

 〈形〉から〈意味〉へ、〈実体〉から〈概念〉へ。前者から後者へ、立体から平面への移行は具体から抽象への移行と重なります。アナログからデジタルへ。

 パターン認識が発達することで、世界認識もまた発達することは想像に難くありません。単に形が見える世界と、形に何らかの意味が読みとれる世界とでは明らかに体験の質が違ってきますから。後者では、具体と抽象とが重複する場として世界は体験されるのですから。

 三次元から二次元へ。この平面化の流れがパターン認識の発達過程であるのはいいでしょう。では、文様構成法、すなわち装飾のパターンにはどのようなバリュエーションがあるのでしょうか。

空間を発見するパターン

 人間がパターンを認識する際の共通のパターンがある。──これは、地理的に離れて互いに無関連に発明された装飾文様の数々があることを思えば容易にうなずけます。

 いくつもの場所で独自に発明された形。海野氏はそのことを「人間が世界を見るために共通のパターンを持っているからではないだろうか」と問いかけます。

基本的なパターン、幾何学文が生まれるプロセスを想像してみたくなる。私の前に、なにもない(見えない)空間がある。私は人さし指をまっすぐに突き出し、そこに触れる。指が触れたところに点ができる。それをくりかえすと、多くの点におおわれた平面があらわれる。その中の2点を結んでみると、線があらわれる。

 上の文は、海野氏がワシリー・カンディンスキー(1866-1944)の『点・線・面』(1955)におけるアイデアを踏まえて語った、点→線→面という段階で空間が構成されていく経過プロセスになります。

 また、カンディンスキーのアイデアは「空間の構成」でもあると同様に「空間の発見」でもあります。この発見された空間において、どのようなパターンの法則が働いているのでしょうか。

世界をまなざす新しいやり方を

 海野氏は『視覚芸術入門』(1968)という、フランスでの芸術を学ぶ者向けのテキストを参照し、以下の4つを挙げています。

  1. くりかえし(リピート)
    全てのパターンの基本。同じモチーフが並ぶ。
  2. 互いちがい(オルタネーション)
    2つのモチーフが交互に繰り返される。
  3. 反転(インヴァージョン)
    あるモチーフをそれを上下または左右に反転したモチーフが互いちがいに並ぶ。
  4. 重ね合わせ(スーパーポジション)
    いくつかのモチーフを重ね合わせる。

 これらは、さしあたっては装飾文様をまなざすときに準拠する法則です。しかし、同時にパターンを介して世界と出会う人間の認識のバリュエーションでもあります。別の言葉で言えば、認識パターンのパターンの一例です。

 空間ひいては世界を構成する4つの要素パターン。とはいえ、人が世界を認識するために重要になるパターンにとってもっとも基本となるのがリピートである、とのこと。これは何だか勉強や習慣を思わせますよね。世界をまなざす新しいやり方を身に着けるためには、革命的な一度の体験よりも地道なくりかえしが大切である、とでも言うような。

装飾文様の誕生の二つの説

 また、海野氏は人間の認識の機能として〈見立て〉と〈名づけ〉とを挙げて、装飾文様のおもしろさを次のように語っています。

あるパターンはさまざまなものに見立てられ、名づけられる。このような形と意味の変動性、多様性こそ、装飾文様の面白さの源泉なのだ。

〈見立て〉、〈名づけ〉は文様の重要な機能である。そのことで、文様は私たちの想像力を解放してくれるのだ。

 海野氏が装飾文様のおもしろさとして挙げている形と意味の変動性、多様性、そのことがまた想像力を解放してくれること──そうした装飾文様の誕生には二つの説があります。

 一つは装飾文様の原型が現実の実体から生じたものというリアリズム説、もう一つは装飾文様の原型が概念の世界から生じたものである、というアイデアリズム説

世界の読解可能性を

 パターンを通して発見されるものが実体的なものなのか、それとも概念的なものなのか。そう考えてみてもいいでしょう。いずれにせよ、〈見立て〉と〈名づけ〉によって文様が、そして装飾が発見されるときには空間が見出されていもするのです。

 そして、見立てられ、名づけられた空間において、世界は体験されることになります。これはまさに、パターンが世界の認識に関わるものである。──というアイデアを後押しする物の見方(世界観)だと言えましょう。

 装飾とは何かを始点にし、文様が、パターンがあることによって、わたしたちは世界と出会っている。それはさながら、パターンについて考えることが、世界の読解可能性を問いかけることでもあるかのようです。

 細かなディティールが抜けている嫌いはあるでしょうが(また、余計な肉付けをしている嫌いもあるでしょうが)、以上がわたしが「装飾 私たちはそこで美しい世界を見る」においておもしろがったポイントになります。

_了

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