何食わぬ顔で「嘘をつく」ように〈物語る〉才能があるならば

小説
Pocket

村山由佳の作品に『ダブル・ファンタジー』があります。ちょっとした、というか本格的な「不倫小説」です。が、ザムザ(@dragmagic123 )が気になったのはそこではなくて、「嘘をつくこと」と「物語ること」とを同列に読ませる想像力でした。この記事では「嘘をつくこと=物語ること」という観点から、「自分がおもしろいと思う・リアリティを感じるもの」を他者に向かって〈物語る〉才能についてを取りあげていきます。
この記事で取りあげている本
 

何食わぬ顔で「嘘をつく」ように〈物語る〉才能があるならば

スポンサーリンク

『ダブル・ファンタジー』

小説家・村山由佳の作品に『ダブル・ファンタジー』があります。今回はこの小説を取りあげます。
軽く内容をさらっておきましょう。
脚本家である高遠ナツメ(本名は高遠奈津)が憧れていた演出家・志澤一狼太の導きに引かれ、というか浮気心を起こしてズッポリと色恋にハマり、それをきっかけにして夫婦間の呪縛から解放されます。自由を求めて都内で一人暮らしを始めた奈津には男たちからの誘いが多く、自分の女としての性(サガ)を堪能しつつも翻弄されていく。
この記事で注目したいのはヒロインである奈津が「脚本家」である点です。脚本家は「物語」あるいは「フィクション」を創作します。また、『ダブル・ファンタジー』は「不倫小説」でもあるので、必然的に「嘘」も出てきます。──家の中では旦那に隠して外では男と浮気。嘘をつかなかったらむしろダメなシチュエーションですよね。──物語は一種の嘘です。フィクションも「虚構」とも言われるように、嘘
以上の要素を抽出することで、以下では『ダブル・ファンタジー』という小説を「物語・フィクション論」あるいは「創作論」として読んでいきます。
 

あらすじ

本作は、夫の支配と性の不一致から逃れるため家を出た35歳の
女性脚本家・高遠奈津 が主人公。奈津は次々と男に抱かれ、性の快楽に溺れていく。
不倫と性描写が話題となった衝撃作だが、単なる官能小説ではなく、「妻」として“安定という束縛”の下
生きることを放棄し、「女」として“自由という孤独”の世界に身を投じる生き方を選んだ女性を描いたことで、
30代から40代を中心に多くの女性の共感を得た。
 
WOWOWのサイトからドラマ版のあらすじを引用
 

登場人物

  • 高遠奈津
    • 脚本家。尊敬する男に誘われ、家を飛び出す。
  • 志澤一狼太
    • 奈津が尊敬するベテラン演出家。
  • 高遠省吾
    • 奈津の夫。家事一般を引き受けている。
 

何食わぬ顔で「嘘をつく」ように〈物語る〉才能

ここでは『ダブル・ファンタジー』から「創作すること」と「嘘をつくこと」とを接続する筋道を取りあげて、〈自分の本当〉を「他者に向かって何かを〈物語る〉才能」がどのようなものかを見ていきます。

嘘は嘘であろうとしてはいけない=嘘をつくことのパラドックス

まず、『ダブル・ファンタジー』から〈嘘〉に関する記述を見ていきます。場面は奈津が別居状態になった旦那・省吾を部屋に上げて、別の男の痕跡が残る部屋でしれっとした態度でいるところ。
いわゆる〈何食わぬ顔〉というのが、自分は本当に上手だと奈津は思う。むかし省吾から冗談交じりに、
〈おまえってやつはさすが役者志望だっただけあるよなあ。ふだん変わらない顔でけろっと嘘をつくから怖ろしいよ〉
などと言われたことがあったが、女たるもの、その程度のたしなみがなくてどうする。ふだんとは明らかに違う顔でつく嘘など、嘘とも呼べないではないか。
(『ダブル・ファンタジー』,p373)
何食わぬ顔〉で嘘をつく奈津です。女たるもの、何食わぬ顔で嘘をつけなければならない……かに納得することは空恐ろしいのでいいとして、「ふだんとは明らかに違う顔でつく嘘など、嘘とも呼べない」の一節は興味深いものがあります。
人間の心理状態として、「嘘をつくこと」はふだんとは違う状態になります。なにせ “本当ではないこと” を語っているのですから。
嘘であるからには簡単にバレてはいけません。とくに嘘をつく相手に対しては注意深く、「嘘ではないことを嘘をつくことによって信じこませなければならない」のですから。
嘘は嘘であるにもかかわらず、「嘘ではない」ことを説得することによって、〈嘘〉自体を〈本当〉にしようとしなければならない。いわば、嘘は嘘であろうとしてはいけないという矛盾を抱えているのですね。
ここには嘘をつくことのパラドックスがあります。嘘をつく相手に対して嘘を嘘だと語っては嘘ではなくなるし、嘘をつき通して本当になったなら、それは嘘ではなくなるからです
 

嘘をつくことも物語ることも〈何食わぬ顔〉でいることが肝心

嘘をつく相手に対して嘘を嘘だと語っては嘘ではなくなるし、嘘をつき通して本当になったなら、それは嘘ではなくなる。──これが嘘をつくことのパラドックスだということを確認しました。
このことを『ダブル・ファンタジー』のヒロインが脚本家であることと重ねられます。というのも、脚本家は「物語=フィクション」を創作しますが、これは「事実=ノンフィクション」といった、〈本当〉ではないという点からは〈嘘〉に該当するからです。ですから、「ふだんとは明らかに違う顔でつく嘘など、嘘とも呼べない」と語ったセリフは「創作への姿勢」のことだと考えることができます。
物語=フィクションを書くことを「嘘をつくこと」と重ねると、脚本家と観客との関係の説明になるでしょう。
嘘は相手に嘘だと知られてはなりません。しかしフィクションでは観客がこれが嘘だとわかってもいて、その上で騙されたく思ってもいます。なので、脚本家から観客に向けての嘘は特殊です。脚本家はフィクション作品を「嘘だけど本当のことのように思ってもらいたい嘘」として提示し、観客の側からすれば「嘘だろうけど本当のことのように思えたらいい嘘」として受け取る。双方に嘘であることの合意が前提になっているのですね
そうなってくると、 “良い〈嘘〉とは何か” ということにもなってきます。あるいは、 “良い〈物語り〉とは何か” と言い換えてもいいでしょう。(ここで「物語」ではなく「物語り」と表記したのは、前者が名詞であるのに対し、後者が動詞であることを強調したいからです。)
良い嘘とは何か。その嘘が本当になることによって、自分だけでなく相手にも得がある。つまり、本当になった嘘が「良い嘘」でしょう。この線から良い物語りが何かを考えてみれば、良い物語りは本当のことのように、真実らしさを備えたものが「良い物語り」となります
そして、良い嘘と同様に、良い物語りも「ふだんとは明らかに違う顔でつく嘘など、嘘とも呼べない」に掛かってくるでしょう。すなわち、どちらも〈何食わぬ顔〉でいることが肝心であることによって成り立つということに。
 

他者に向けて〈物語る〉のに必要な能力は文章力でも構想力でもない

奈津は作家として他者に〈物語る〉わけですが、このことには才能が必要であることを語っています。場面は奈津を慕っているノンフィクションライター作家・美智子から作品を見て欲しいと頼まれて、ダメ出しをした後で、省吾と二人で話しあうくだりです。
フィクションであれノンフィクションであれ、他者に向かって何かを〈物語る〉という芸当が出来るかどうかは、あくまでも才能の多寡にかかっている。文章は巧いほうがいいが、巧ければいいわけではない。計算はもちろん必要だが、計算だけで書けるものでもない。
(『ダブル・ファンタジー』,p371)
ここで奈津がモノローグ上で語っているのは、フィクションやノンフィクションの垣根を超えた、より広い意味での「他者に向かって何かを〈物語る〉という芸当」のことです。興味深いことに奈津は、そこで必要な能力は文章力でも構想力でもないのだと語っています。──では “それ” は何なのでしょうか?
奈津はまた、次のような発言をしています。ちなみに場面は先の引用箇所の手前で、聞き手になっているのは省吾です。省吾は奈津のアドバイスに不満を持っていて、その理由は「問題点を直せばいいというだけの話だ」と考えている。しかし奈津のほうではこれを〈物語る〉ということがわかっていないのだと考えているのです。
「どんなに題材が豊富だって、その中から本当にいい素材を選べる目と料理する腕がなかったら、出来上がりの皿の上は見るも無惨になっちゃうの。素材そのものもそりゃ大事だけど、どこをどう切り取って、どの角度から光を当てるかはもっと大事でしょ。そういう意味では、美智子ちゃんが書こうとしてるノンフィクションと私の書いてる脚本や戯曲の間に、何にも違いなんかない。まったく同じことだと思うけど?」
(『ダブル・ファンタジー』,p371)
素材はある。けれど料理する腕がない。これは人がエッセイ・小説を書くときに感じるものではないでしょうか。自分のなかに書くべきものがあるはずだ。これが〈素材〉に関する葛藤だとすれば、自分のなかの書くべきものを掘り出す技術が〈料理する腕〉についての葛藤となるでしょう。
なので、特に注目したいのは次の一節です。「素材そのものもそりゃ大事だけど、どこをどう切り取って、どの角度から光を当てるかはもっと大事でしょ。
──ここで言われていることは端的に言って「物語のおもしろさ」であり、それを担保する作家性(ユニークさ・個性)です。
 

〈書ける〉というのはたしかに、恩寵よりも劫罰に近い事柄なのだ

「物語のおもしろさ」あるいは「小説のおもしろさ」は、単純にいえば「リアリティがあるか」という問いに掛かってくるでしょう。リアリティとは生々しさであったり、ありありとした感じであったり、真実らしさであったり──本当らしさを告げるものです。
たとえば、作家の保坂和志は次のように「おもしろさ」と「リアリティ」とを並べて見せます。
よく「この話は面白いけれどリアリティがない」というような言われ方がされますが、本当はそんなものはなくて、面白いものはすべて何らかの意味でリアリティがあり、リアリティのないものはどんな意味でも面白くは感じられないはずなのです。面白いと感じるもの、気持ちがそっちに向くもの、忘れずに記憶しているもの、それらはすべて何らかの意味でリアリティを持っているはずなのです。それがいまのコード(共通の了解)の中でリアリティがないと言われがちなものであっても、絶対に何かリアリティを持っているはずで、だからそれをあらためてリアリティとして見つけていかなければならないのです。
(『小説修業』,p8-9:太字は引用者)
自分にとって “リアリティのあるもの” というのが厄介さんです。保坂は「面白いと感じるもの、気持ちがそっちに向くもの、忘れずに記憶しているもの」がその人にとって “リアリティを持っているもの” なのだと語りますが、おそらく、これを自力で把握することは、とてもとても難しい。それこそ、「才能の多寡にかかっている」と言っていいでしょう。
自分にとってリアリティのあるものを発見そして表現する難しさは、言うなれば「嘘をつくこと」の難しさで言い表せます。
わたしたちの周りには他者がいます。この他者に向けて「自分がおもしろいと思う・リアリティを感じるもの」を表現しようとする場合には、自分以外にとって “自分が嘘みたいになって” しまう状況になる。なぜなら自分以外の他者は別のリアリティを生きているからです。ここでいう「リアリティ」は、個々人が別々の現実を生きているという話だけではなく、同じ世間で生活することで共有しているといった常識のことでもあります。彼ら(=世間)に自分のリアリティを伝えるということは、他者からは嘘だとみなされる「自分のリアリティ」を本当のものとして認めていくことになるでしょう。つまりは嘘を本当にする「良い嘘」をつく必要があるのですね。しかも、当の自分は “自分が嘘をついているつもりもなしに” 〈何食わぬ顔〉でいなければならない。
嘘をつくにも才能があることは想像に難くありません。なぜなら上手に嘘をつくためには “嘘をついている” 自分自身さえも欺かねばならないのですから。嘘をつく相手に自分の嘘を本当のこととして信じこませるために、 “自分は嘘をついている” という意識さえ欺く。これがどれだけ大変なことか。
〈物語り〉でも事情は同じです。そこでは「自分がおもしろいと思う・リアリティを感じるもの」を他者に納得させなければならないのですから。納得させるために、〈自分の本当〉が他人から〈嘘〉だとみなされるなら、むしろ嘘であることを逆手にとって、〈何食わぬ顔〉で「嘘をつく=物語る」必要がある。しかも、ここには二重の嘘があります。まず他者からは嘘だとされる〈自分の本当〉を他者に向かって語る際の嘘がひとつ。もうひとつは〈自分の本当〉を嘘だとみなす自分に向けた嘘です
自分に嘘をつくことはキツいことです。「自分がおもしろいと思う・リアリティを感じるもの」を見つけてしまうことは、それ自体が「嘘をつくこと」の始まりになります。そして〈本当を語ろうとすること〉と〈嘘を本当のように語ること〉との間で物語ることになる。ここにあっては自分への嘘と他者への嘘とにさらされることにもなる。──この点から、〈書ける〉という才能が、必ずしも喜びに満ちたものにはならないことにもなるのです。
〈書ける〉というのはたしかに、恩寵よりも劫罰に近い事柄なのだ。何を見て、何を感じても、言葉に置き換えて物語らずにいられない──書いてしまうことによって自らが血みどろになるとわかっていても、それでも書かずにはいられないという、呪い。
(『ダブル・ファンタジー』,p372)
〈書ける〉というのはたしかに、恩寵よりも劫罰に近い事柄なのだ。」奈津がそう語るように、才能とはひとつの〈壊れ〉でもあるのです。『ダブル・ファンタジー』のなかで、実際に奈津は色恋の相手から「人として少々壊れてる女」(p476)とも言われているくらいですから。
 

まとめ

さしあたって物語は虚構です。フィクションです。これを「嘘をつくこと」と語るのは少し抵抗があるでしょう。しかし、「自分がおもしろいと思う・リアリティを感じるもの」は、他者にとっては納得させられるまでは本当ではありません。そうなると、他者に向けて「物語り=創作すること」は「嘘をつくこと」と重ねられるのではないでしょうか。……といった路線を、『ダブル・ファンタジー』から見てきましたが、いかがでしょうか。結局のところ、才能は「恩寵よりも劫罰に近い事柄なのだ」と締め括られましたが、才能云々を言うまえにそもそも物語を書きたいと思っている時点でアドバンテージがありますよね。
_了

関連資料

コメント

タイトルとURLをコピーしました