宮台真司、ラジオでのしゃべりを語る:荒川強啓 デイ・キャッチ!

文の紹介
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 どうも、ザムザ(@dragmagic123 )です。

 手元にとあるフリーペーパーがあります。表紙には黒縁のメガネを掛けた年配の男性が写っていて、その人の名前は荒川強啓。彼が担当するラジオ番組が放送5000回を迎えたときの記念特集号です。その冊子の名前は『TBSラジオ Free Magazine 954 Press 6・7月号』。2014年の6月7日の頃に発布されました。

 当時、わたしは専修大学の生田キャンパスに足を運ぶ機会があり、用事を終えてからキャンパス周辺を探検していました。山の斜面を登っていく形で学舎が続き、その頂上のあたりへと抜けて行きますと住宅地がありました。その一角に掲示板が立っていて、透明なビニール製の雨除けのなかに収まっていたのがこの冊子だったのです。

 そのフリーペーパーの表紙には「『荒川強啓 デイ・キャッチ!』荒川強啓×宮台真司 放送5000回 記念対談」と青い文字が見えたのが印象的で、わたしは手に取りました。「宮台真司」という名前の人物は知っていましたし、個人的に彼のラジオでの発言も幾つか聴いていたのがテイクアウトする決め手となりました。

 今回ご紹介するのは、そんな『TBSラジオ Free Magazine 954 Press』に所収の荒川強啓と宮台真司の対談文です。

 
この記事で取りあげている文
『荒川強啓 デイ・キャッチ!』荒川強啓×宮台真司 放送5000回 記念対談,(株)ビー・エー・エルTBSラジオ Free Magazine 954 Press 6・7月号,TBSラジオ&コミュニケーションズ,2014
 
この記事に書いてあること
  • コメンテーターとしての宮台真司は、ラジオの限られた尺のなかでしゃべるためにピンポイントで語るコツをつかんだ。ニュースの全体像を紹介するとピンボケする嫌いがある。しかし自分の関心からピントを合わせて語ることで批評的なしゃべりができる。
  • 宮台真司はリスナーに挑発的な言動をおこなう。それはしかし相手の感情を刺激し、リスナーの関心をこちらに向けさせるという効果を狙った「釣り針」であり、「フック」なのだ。それゆえに「宮台の言葉が不快だ」という反応も、宮台の成功なのである。
  • 宮台真司は「マイペースであること」を「世間に阿諛追従する小心者のごとき振る舞いをしないで済む気質」として押さえている。そのことを踏まえ、上辺を気にせずに実質を心得た制作姿勢があったことを『荒川強啓 デイ・キャッチ!』の特質として語る。

 

宮台真司、ラジオでのしゃべりを語る:荒川強啓 デイ・キャッチ!

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荒川強啓 デイ・キャッチ!

 『荒川強啓 デイ・キャッチ!』は1995年の4月にスタートしたニュース情報番組です。フリーアナウンサーの荒川強啓がパーソナリティーを勤め、2019年の3月に終わりを迎えるまで24年もの間続いた長寿番組でした。月曜日から金曜日の午後3時30分〜5時46分まで放送しており、気になるニュースや日常の話題、独自のネタを送り届ける生放送形式のラジオ番組です。

 また、日替わりで違ったコメンテーターを「デイキャッチャー」という名で迎え、曜日毎に異なったデイキャッチャーがそれぞれユニークな切り口でコメントすることが人気の一因でもありました。そのうちの金曜日を担当していたのが社会学者・宮台真司です。

 荒川強啓が「暴れん坊の社会学者」と評するように、コメンテーターとしての宮台真司は歯に衣着せぬ物言いで、時々のホットな話題へとコメントしていました。彼の発言によって炎上することもあるほどでしたが、当人はへっちゃら。ときどきは「場回し」役であるパーソナリティーにたしなめられつつも、番組の看板コメンテーターとなっていたことも確かです。

 今回ご紹介する『TBSラジオ Free Magazine 954 Press』では、そんな『荒川強啓 デイ・キャッチ!』が放送5000回を迎えたことに合わせての企画として、パーソナリティーである荒川強啓とデイキャッチャーの宮台真司の二人の対談が掲載されている、という次第なのでした。

 

放送5000回 記念対談

 「荒川強啓×宮台真司 放送5000回 記念対談」では、荒川強啓と宮台真司のふたりが番組が5000回を迎えたことへの感想から、デイキャッチャー・宮台真司がどのような人物であったか、そして心に残っている出来事についてを、穏やかな調子で語っています。

 ここでは「荒川強啓×宮台真司 放送5000回 記念対談」のなかから、とくに印象的だった発言をピックアップしてそれに補足するかたちで文をご紹介します。

ピンポイントでしゃべる

 宮台真司は番組を回想し、ラジオでしゃべることの苦労を振り返ります。当初は僕が喋るコーナーは30分しかなかったんですよね(笑)。ようやく話が佳境に入って入ったところで時間切れなんてことがよくあって、ガックリ感が大きかったです。尺が決まっているラジオ番組、それも放送形式が生放送とあってはしゃべることの制約も大きかったのでしょう。宮台はそう語るのでした。

 しかし宮台は次のように続けます。でも、何年か番組をやっているうちに、ほとんどのニュースは繰り返しであることに気づいたんですよ。繰り返し、すなわち「パターン」。(ちなみに、こうしたパターン認知の語法は宮台が物を語る際によく用いられます(受験勉強、ナンパ、または社会事象の全般)。)そうしたパターンに気づいた宮台は以下のようなコツを掴みます。

また似たようなニュースがあるだろうから「今回はこの部分」って細かいポイントにフォーカスすれば良いと思ったんです。それには、良い影響もあって、あるニュースを全部ワンパッケージで喋ろうとすると時間もないし、しかも一面的になってしまうんです。ピンポイントで語れば、自分の考えの方向性は決まっている中で「とは言ってもね〜」みたいな違う部分も喋れるんですね。(p3)

 ひとつのニュースを包括的に語ろうとすれば広く浅い事実確認しかできず一面的になってしまい、喋るほうにとっても聴くほうにとってもピンボケした、面白みのないものになる。それに対して、宮台は、自分はニュースをピンポイントで語っていたのだと言います。このやり形では始めからコメンテーターである自分の関心(=考えの方向性)からピントを合わせているので、たとえ十分な事実確認としては不足する嫌いはあっても、限られた尺のなかで事件の意味や価値を解説する「批評的なしゃべり」ができるのです。 

 肝心なのは「とは言ってもね〜」の部分です。その部分によって、単なる事実確認をしているなかでは気づけない社会事象のパターンに気づくためのヒントをもらえるのですから。そのようなパターンを認識するためのヒントを通じて、得てしてオートマティック(自動的)な言説に流されがちな私たちは気づき、そして考えることができるというわけです。

 

刺激すること・不快にすること

 『荒川強啓 デイ・キャッチ!』におけるデイキャッチャー・宮台真司の発言はしばしば物議をかもすことがありました。とはいえ宮台は番組への出演依頼をもらった際に「僕はクレームを聞きませんよ」と、1995年当時のプロデューサーに前もって断りを入れていて、ネット上で炎上してもしれっとしたもの。ときおり「バカ」や「クズ」などのお行儀のよろしくない言葉も発して、そのたびにパーソナリティーである荒川強啓からたしなめられることもありました。

 火付け人・宮台はしかし、そのような自身の態度がもたらす効果を冷静に観察する(あるいは「計画通り」とほくそ笑む?)視点を持っていて、自分の挑発的な言動およびそれに基づく効果を、ネット上における予後の経過観察を踏まえて次のように語ります。

やっぱり、挑発的なことをあえて踏み込んだり感情を刺激する強い言葉って、ちゃんとリスナーは反応してくれるじゃないですか。最近僕は「感情の劣化」や「教養の劣化」などとよく言いますけど、ネットとかで「宮台の言葉が不快だわー」と書かれると、ヤッターって思います(笑)。(p4)

 人間の感情生活に関して言われることに、「愛する」あるいは「好き」の反対は「無関心」である、というアイデアがあります。これは「憎む・嫌う」もまた相手への関心を表す感情表現なのであり、相手に無関心ではないという点では「愛する・好き」と同属の感情になります。同様に、宮台の挑発的な言動も「感情を刺激すること」、すなわち「相手の関心をこちらに向けさせる」効果を狙った「釣り針」ないしは「フック」であることがわかります。

 「感情の劣化」や「教養の劣化」も宮台のキーワードですが、宮台がネットなどで発見した「自分の言葉に刺激されて不快に感じたというリスナーの証言」も、自分自身が「不快になる」という仕方でもって宮台の言葉が届いたことを証すものになるのです。概ね、その届き方は二通り挙げられます。一方では宮台の仕掛けたフックに釣られて自らの感情・教養の劣化を露わにしたという届き方、他方では自身の不快を手掛かりにして自らの感情・教養の劣化を見つめるという、二通りの届き方が。どちらにせよ、不快を感じたリスナーにとって前者は後者への足掛かりになりますから、仕掛け人・宮台にとっては「ヤッター」と思えるのですね。

 

印象の実質に注目する

 宮台真司は人間を語るうえでしばしば、小利口で損得勘定ばかりの「段取り野郎」をバカにします。さながら「人間様をナメてんじゃねえぞ」と言わんばかりに。自分が享受する損得を勘定し、物事の段取りを整えれば万事うまくいくといった合理的な態度は、一見して常識的な姿勢のようではあります。しかし、偶然の余地を慎重に排除したそのような生き方には(思い掛けず巻き込まれてしまうような「まさかこんなことが!」といった)「出来事」がなくなります。

 予測済みの想定された刺激だけを享受する人間。──このような、「必然的なものとして管理された記号的な存在が人間なのである」とうなずいてしまうのは、人間であるという経験の不合理さ、もしくは人間であることの不条理さを過小評価しすぎる嫌いがあります。これが「人間様をナメている」ということなのです。

 宮台はそのような損得勘定に躍起となった合理人間、すなわち段取りばかりを気にする人間“ではない”タイプとして「B型の血液型」を引き合いに、『荒川強啓 デイ・キャッチ!』という番組の特質を次のように語るのです。

僕は血液型がBで強啓さんもB型。スタッフにもB型が多いんです。B型って細かい段取りにあまり集中しない傾向があると思うんですね。この番組のスタッフも同様で、とにかくリスナーへどういう印象を与えようかとか「実質」の部分に注目しているんです。「段取り野郎」が多すぎる今の世の中で、これはすごく貴重だと思っています。(p5)

 B型の血液型の特性としては一般的に「マイペース」の代名詞になっています。しかしここではそうしたマイペースさが、「世間に阿諛追従する小心者のごとき振る舞いをしないで済む気質」として押さえられているのですね。ですから、リスナーに提供する番組も「上辺」を気にしたものではなく、「実質」を心得たものとして仕上がり、そして続けられてきたのだと宮台は語るのです。

 「どういう印象を与えようか」という観点はまた、リスナーにフック(=違和感)を仕掛ける意図からも納得できます。フックがうまいことリスナーに引っ掛かれば、古代ギリシャ時代の哲学者ソクラテスが助産師として人々に「無知の自覚」を説き施したのと同じ効果をリスナーに与えられるのでしょうから。

 

まとめ

24年ものあいだ続いてきたラジオ番組『荒川強啓 デイ・キャッチ!』は惜しまれつつも2019年に幕を降ろしました。今回ご紹介したのは、その19年目の途次に企画された「放送5000回記念対談」のおりに掲載された荒川強啓と宮台真司の対談文です。番組のコメンテーターのひと柱だった宮台真司の発言を取りあげ、番組がどのような企図のもとに展開されていたのかを読み取りました。短い文でありながら、思わずハッとさせられる警句を読むことができました。

_了

関連資料
宮台真司『宮台真司interviews』,世界書院,2005
 
宮台真司がしゃべった様々をまとめたもの。本稿で「パターン」の話題を出している線でひとつ紹介すれば、巻頭に載っている「結局、引き出し勝負だよ」という1994年の文章がおもしろい。受験数学の話題なのだが、思考力を単純なパターン認識の引き出しの量で語っていて、努力推奨の処世術の話にもなっている。実質のあるヤなヤツ感である(笑)
 
 
娘をもった宮台真司が「子育てに冷静でいられるうちに自分の子どもに語るつもりで書いた」(大意)、悩める次代の子どもたちに向けて書き下ろした一冊。ライトな文体とはいえ内容は凝縮されている。宮台のキーワードである「感染」なども登場していて、病いを患うにも似た自分自身の「ユニークな個性」の開花にエールを送る。
 
宮台真司『正義から享楽へ-映画は近代の幻を暴く-』,垣内出版,2016
 
映画評論も行う宮台真司の、映画関連の評論文をまとめたもの。タイトルになっている「正義から享楽へ」は近年宮台が語ることの多い言葉で、「社会的な正しさの追求よりも自分が感じる楽しさの追求へ」と言い換えられるアイデア。正しさは他人の目を気にした神経症の原因になるものの、楽しさならば神経質になることなしに楽しい。
 

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