今日の気分で人生全体を評価しないために/救済案としての「Day」概念

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おこんにちは。ザムザ(@dragmagic123 )です。この記事では二つの関心をまとめてみます。その関心のひとつは、わたしがかつて西原理恵子の『いけちゃんとぼく』という絵本を読んだ印象に起因します。そこで私は「今の怒りや悲しみがあなたの人生丸々一個を代表するのではない」という感想を持ったのでした。ここでの今と人生全体との関係が、ひとつ。もうひとつの関心は、英語の “ Day ” の概念です。かねがね、It’s not my day. や Have a nice day. などの言い方がされるときの Day には辞義以上の意味合いがあるなぁと感じてきた、そのことへの関心。以上の二つの関心をまとめる形で、当記事は「今の気分で人生全体を評価することの愚かさ」を取りあげることにします。

この記事で取りあげている本
 

今日の気分で人生全体を評価しないために/救済案としての「Day」概念

“Day” の概念が気になって…

いつからだったかしら……。わたくしザムザは “Day” という単語が気になっていました。一般的には調べるまでもなく「日。昼間。時代。」を意味するのですが、個人的にはもっと奥深い意義がある、そんな予感がするのです。ここで言う「個人的」というのは、一人ひとりがその言葉と向き合った際に窺い知ることのできる、といった意味です。日常的な会話文しかり、洋楽の歌詞しかり…。“Day” には何か、何かがある。そう予感したのでした。
以下では、わたしの“Day” の概念に対する興味関心およびその言葉から何を窺い知ろうとしているのかを紹介します。
まず、2018年の次のつぶやきを見てみましょう。
https://twitter.com/dragmagic123/status/1018105065716920320?s=21

思い返してみると、Oasisの「wonderwall」やBON JOVIの「Have a Nice Day」などの楽曲を聴いたりしたのも、ちょっとした疑問の播種になっていたのかもしれません。それらの曲の歌詞を読んでもそうですが、その発音を耳にするだけでも“Day” という言葉の持つ力強さが感じられそうな、そんな気がして。

後者の楽曲に関しては2019年のツイートで言及もしていました。

上のツイートでは  “Day” に「その日その日を噛みしめるためのマインドセット」を嗅ぎ取っています。言及先である元のツイートでは Did you enjoy today? をはじめは理解できなかったと述べられていますが、おそらく “Day” の概念の理解が進んだことで、その意味するところを把握できるようになっている。わたしはそこで理解されたものこそ、その日その日を噛みしめさせる “Day” という概念装置だったのではないかと推測したのでした。

2019年の1月に考えたのが上のツイートなら、その年の暮れ、12月にはこれぞ “Day” の概念だとして、次の引用リツイートを投稿しております。

https://twitter.com/dragmagic123/status/1211606849390178304?s=21

引用元のツイートには「その日1日、自分に与えられたエネルギーを全部使い切ったら次の日もまた満タンになってる」とあります。たしかに、よほどの不調でない限りはひと眠りすれば、疲労も眠気もとれて、新しい日を新たな気持ちで迎えることができる。前日と完全に途切れているわけではありませんが、少なくとも昨日に対する今日として、一新された自分になっているという感覚を持てます。日本人になじみの言い回しを探せば、藤浦洸が作詞した「ラジオ体操の歌」の歌い出しである《新しい朝が来た 希望の朝だ》も挙げられるでしょう。

「It’s not my day.(今日はツイテない日)」なのか、それとも「Today is the day.(今日はサイコーの日)」なのか。毎朝、サイコロの出目をうかがう如く、 “Day” はやってくるわけです。振られたサイコロ自体が出目の価値とは関係なくゲームの次なる展開にとっての希望となるように、 “Day” もまた、その日の結局の良し悪しとは無関係に、毎朝に目を覚ますわたしたちにとっての希望となる。それが “Day” の概念なのではないか。──2019年時点でそこまで考えていたとは言いませんが、2021年現在にあってはそのような形で説明できるでしょう。
 

西原理恵子の『いけちゃんとぼく』の方へ

  “Day” に関する考察を一旦停止する形で、ここでは西原理恵子の絵本作品『いけちゃんとぼく』を引き合いに出します。厳密にはその絵本を読んで抱いたザムザの感想に焦点を当てるのですが、そのことによって、これまで見てきた “Day” の概念に、今現在の気分で自分の人生全体を評価しようとすることを歯止める実践的な効能を見出す、そのヒントを探ります。

うつ読者、『いけちゃんとぼく』に感動する

2016年。ザムザは西原理恵子の絵本作品『いけちゃんとぼく』を読みました。内容は〈いけちゃん〉というお化けのようなものと男の子〈ぼく〉との関係を描いた作品で、〈ぼく〉が成長する姿をいけちゃんが見守る、ハートフルな物語になっています。
作品から目を離して、わたしが『いけちゃんとぼく』を手にとったきっかけは(記憶違いかもしれませんが)岡野宏文豊崎由美との共著である『読まずに小説書けますか、作家になるための必読ガイド』で紹介されているの見たから、だったかな。
読んだ状況としては、職場の人間関係やら鬱で「死にたいモード」に陥ったりする頃でしたので、自然と『いけちゃんとぼく』を読んで受けた感動の質も「生きる意味」という的を得る運びとなりました。
当時のわたしは次のような感想を書き残しています。
今の怒りや悲しみがあなたの人生丸々一個を代表するのではない…と、ぼくの受け取ったところを記せるように思う。冷めた目で見ようとすれば、感動の文法のお勉強にもできるなぁとも思う。この作品での〝感動〟というやつは「やさしさは予示され、予期された虚焦点としてのやさしさから、遡及的に人生は救済される」という構造を持っている、といいえる。それが面白いのは、経験的な道徳には世間的な善悪があるが、この自分が大好きだとみなされるやさしさはその地平を超えているという点かもしれない。まぁ、素直に感動しとけって感じではあるけど。
当時のわたしのやや面倒くさい言葉遣いには目を瞑ってもらうとして、上の感想文のなかで肝心なところは、「今の怒りや悲しみがあなたの人生丸々一個を代表するのではない」と綴っている点です。これを、鬱になっている際の「死にたい、死にたい」と思いがちな思考に当てはめれば、たとえ今現在がうつ状態になっていたとしてもその時の気分で自分の人生全体を評価するべきではない、というテーマを引き出せるでしょう。

『いけちゃんとぼく』から受け取った以上のメッセージは、2016年時点のわたしにとっては生きることへの前向きな勇気と希望とをもたらしました。「人生を変えてくれた!」と言うつもりもありませんが、しかし、ネガティブな気分から自他の隔てなしにネガティブな評価をしがちな境遇に陥りがちな頃のわたしにポジティブな効果があったことは確かです。つまり、わたしは一種のうつに対する処方箋として『いけちゃんとぼく』を読んだ、というわけですね。

(なお、以上のザムザの感動は『いけちゃんとぼく』を読んだことに由来するとはいえ、『いけちゃんとぼく』にそのようなメッセージが直に書かれているわけではありません。あしからず。)

 

『いけちゃんとぼく』で “Day” の概念アップデートする

ここまで、二つのこと── “Day” の概念と『いけちゃんとぼく』から受け取れるメッセージとを点検してきました。

“Day” の概念が気がかりなわたしは、その言葉に「わたしたちの気分や体調を毎朝一新させ、そしてその日が良いものにも悪いものにもなるかもしれないという希望を抱かせる」、そんな意味を見出しました。他方で、『いけちゃんとぼく』から受け取ったメッセージは「今の怒りや悲しみがあなたの人生丸々一個を代表するのではない」でした。ここでは以上の二つの関心とを統合することによって、“Day” の概念をアップデートします。

さしあたっては “Day” は「今日」に焦点を当てた言い方です。今日この日、毎朝に日めくりのカレンダーをめくって気持ちを一新する風情。たとえ一日の終わりが残念なものであろうとも、良いほうにも悪いほうにも転がりうる権利と可能性とに開かれる、そのことの希望が “Day” の概念には宿っています。こうした “Day” の概念をインストールすることは、「一日の始めにはその日の分のエネルギーが充当されている」や「今日がツイテなくても明日がそうだとは限らない」 などの認識を持つことができるでしょう。

“Day” によって開かれる認識の後者──「今日がツイテなくても明日がそうだとは限らない」に注目してください。そこに、『いけちゃんとぼく』から取りあげた「今の怒りや悲しみがあなたの人生丸々一個を代表するのではない」というメッセージを重ねることができます。

『いけちゃんとぼく』から受け取ったところは、言うなれば「今の気分(a)で人生全体(b)を評価することは愚かなことだ」ということでした。これは “Day” における「今日(a)と明日(b)」とに対応させられます。ここから、“Day” の「It’s not my day.(今日はツイテない日)」なのか、それとも「Today is the day.(今日はサイコーの日)」なのか、その評価と自分ひいては自分の人生全体とを安直に結びつけ “ない” 視点を得ることができるのです。

つまり、今日がツイテいるとかいないとか、最悪だとかサイコーだとか、そういった “Day”(その日一日) への評価判定とは無関連なものとして、自分自身や自分の人生全体の価値を保護することができるのです。だからこそ “Day” の概念は、「今日という日だけを取りあげて人生全体を “見限らせない” 効能を持つこともできるのです。このような “Day” の概念をインストールした後では、「Have a nice day」の言葉も、日々におのれに息吹く希望を確認するという意味合いを帯びるのではないでしょうか。

 

おわりに

当記事で取りあげた “Day” は、会話や文章に登場する言葉の意味をとるというのではありません。その点で、英単語の語源に遡って意味を確認したり、実用的に英語を使う際の手助けになるなどの効能はないと言っていいでしょう。しかし、目にしたり耳にしたりとする “Day” の概念に個人的な奥行きを感知してしまう人には、何かしらヒントになるところもあるのではないかしら。少なくとも、「今の気分で人生全体を評価することの愚かさ」くらいは為になるかも。これは「うつ対策」としても使えるとは思いませんか?……Did you enjoy today?

_了

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