古本屋でたくさん本を買っちゃう人の購入本とお迎え理由【2021年GW版】

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こんにちは。4月29日から5月5日まであった7日間の2021年のゴールデンウィーク(以下GW)も終わってしまいましたね。みなさんはどう過ごされましたでしょうか? わたくしザムザ(@dragmagic123 )のほうは、GWに入る前こそ無予定でいましたものの、いざGWに入ってみるとなんやかやで予定が入ってきまして、ゆったり過ごしていたという実感がなかったりします。

ところで、このザムザは本がたくさんある本棚から脱獄したいと言っている記事もあるように、おのずと本が集まってきてしまう人生を生きてます。……逆を言えば本をお迎えしに行ってしまうってことでもあるのですが(笑)

そんな我輩のハートをガシッとつかんでしまうイベントがGWにはあります。それが、大手古本屋チェーン店であるブックオフの20%セールです。

たとえば我輩は2019年には次のように戦果を報告しております。

https://twitter.com/dragmagic123/status/1125327490191249408?s=20

上のツイートだと見づらくなっている購入本はこちら↓

値段もさることながら、結構な数を買っております。

ところがどっこい。……これでも可愛いくらいなんだぜ?

当然のように本年の我輩もブックオフのGWセールに馳せ参じました。「てへぺろ(・ω<)」ってやつですね。

この記事では古本好きな我輩がどんな本を買ったのかってことを紹介してみようと思います。紹介と言っても買ってきた本はまだ一冊も読んではいないのですが、本は読んでいなくても語れたりするので、内容がどうというより、その本をなぜ手にとったのか?なんてことを語る記事にしてみようかしら。

古本屋でたくさん本を買っちゃう人の購入本とお迎え理由【2021年GW版】

この記事をオススメしたい人
  • 古本屋でたくさん本を買っている人がどんな本を買っているか知りたい人
  • たくさん本を買っている人がどういう基準で本を買っているか知りたい人
  • ブックオフで他人がどんな本を手に入れているのか気になる・知りたい人

GWにブックオフ5店をまわって45冊買ったマン

我輩ザムザさんは今年度の収穫を次のように報告しております。

上の文章では触れていませんが、今回買った本の合計は45冊。

なお、立ち寄ったブックオフは一店舗ではなく、千葉県内の佐倉市から千葉市に掛けての5店舗です。ブックオフのみが目的ではなかったのですが、結果的にはブックオフに滞在する時間がほとんどな旅になりました。

なかなかに壮観なので、微妙にアングルを変えて並べております。

大まかに写っている購入本をテーマ分けしてみますと、

  1. 文学系
  2. 心理系
  3. 数学系
  4. 思想系
  5. 宗教系
  6. 処世系
  7. 漫画系
  8. 創作系
  9. 身体系

の9部門に分類できるでしょう。

こう部門立てしてみただけでも我輩の読書生態の雑食性具合がうかがえるかと思います。

以下では9部門計45冊との因縁を小分けに紹介していきます。

 

9部門45冊の購入理由を紹介

ここでは我輩が2021年の5月5日にブックオフの20%オフSALEで購入した本、計45冊を9部門に分けて、その購入理由を語っていきます。

文学系

文学系と称しましたのは小説や詩歌に類いするものです。なかには小説家によるエッセイ集もあります。それでは、レッツラゴー。

丹羽文雄『蓮如』『親鸞』

ひとまずはこちらの写真をピックアップ。

小説家・丹羽文雄の『蓮如』と『親鸞』の全巻揃いです。これはかなり嬉しい掘り出し物でした。というのも、丹羽の代表作とも言われるこの両作品ですが、まず新刊書店では見つからないと言っていいでしょう。古書店でさえあまりお目に掛からない印象。丹羽文雄という作家自体が古い人ではありますので宜なるかなと言った感もありますが、それにしたって我輩が現在住んでいる千葉県の地方都市一帯の図書館に見つからないというのはふざけてます。

しかし現代の人では丹羽文雄の名前に馴染みのある人というのはそう多くはないと思います。少なくとも彼の小説が好きという人と出会う確率が稀であることは確かでしょう。我輩自身もそう馴染みというわけではありません。では、どこで縁を持ったのか?

我輩と丹羽文雄とのご縁を考えた際に名前が挙がる人物がいるとすれば、それは小説家・筒井康隆です。

我輩が大学を卒業してそのまま地に足をつけぬまま浮遊していた頃、我輩はなんとはなしに文人とされる人の書いた読書法・ブックガイド・小説作法などの本に目を滑らせていたことがありました。そのときに読んだ『創作の極意と掟』だったと思いますが、そのなかで筒井が「小説家になるに当たって読んだ本が、丹羽文雄の『小説作法』だった」と語っていたのです。

へ〜、筒井さんはこの本で小説を書く方法を学んだのかぁ〜」と印象に残ったことから、我輩と丹羽文雄とのご縁でした。それもあってちょいちょいと丹羽文学には目配せしてきたのもあって、今回の『蓮如』『親鸞』の購入にも繋がったというわけです。

小説・エッセイ・文学入門

文学系の後半部はこちらの写真になります。

ざっくりとまとまっていますが、いずれも我輩とは(濃淡の程度こそあれど)浅からぬ因縁があるのですじゃ。

右から追っていくと、紀田順一郎は稀代の読書好き・古書蒐集家として知られる人物。読書という行いが好きな人は自然と目に入ってくるのではないかと想像しますが、いかがでしょう? かく言う我輩も読書遍歴のどっかで知ったらしく、その名前を見れば自然と「愛書家の先達」のイメージが連想させられます。今回手にとった本もそんな古本好きな紀田らしく、世界に冠たる古本の街・神保町を舞台にした探偵小説となっています。

猫に時間の流れる』の保坂和志には、「猫小説」と呼ばれる作品群がありまして、これもその一冊。保坂作品を読んでいると猫が何らかの意味があるのかないのかもわからない形で登場するのです。作者自身は登場する猫はあくまで猫でしかなく、そこに深長な意味が込められているわけではないと言っているらしいですが。表紙を見るとわかるように、ただ「あっ、可愛い猫」と思って手に取るのも全然アリな本です。とは言ったものの、我輩自身の関心は必ずしも猫にあるということではありません。関心があるのは保坂の「小説の書き方」だったりします。……これについては語り出すと長くなるので割愛しますが、「カフカ〜ベケット〜小島信夫〜保坂和志〜磯崎健一郎の系譜」には、独特の小説観の流れがありまして、我輩はそこに関心があるんですよな。

ヘルマン・ヘッセの『春の嵐』については、彼の自然を愛する姿勢や苦悩する若者への繊細なまなざし(『車輪の下』はいいぞ!)を持っている作家なのでチェック。フランツ・カフカは言わずもがな、我輩が「ザムザ」と名乗っているところからもピンと来るでしょう。そう、カフカの『変身』に由来しているのです。だから、ね? 『カフカ短篇集』もそういうわけです(どういうわけや)。

中村真一郎はそう多くを読んだわけではないんですが、彼の『四季』は学生時代にトイレに置いておいて、用便の際にちびちびと読んでたんですよ。それからはご無沙汰に。中村真一郎の名前をブックオフの棚で見かけるってことも珍しいというのもありますが、この『女体幻想』についてはタイトルもさることながら、背表紙に書かれていたあらすじも面白そうだったんで手にとりました。せっかくなんであらすじを引用しましょう。

生来の快楽主義者であり、病気のなかにさえ愉しみを見いだすと、友人たちから冷やかされていた作家もいまは70歳。そして、老作家の過去は少しずつ年と共に死んで行き、女体への追憶による彼の魂は、壮年のそれから青年に、少年に、幼児にと時間を遡る。乳房・背中・髪・脣・瞳・茂み・臍・掌・腰・顔……それらは彼に記憶された女体。眩い光と濃い影の性愛の世界へ誘う幻想小説。

昭和期に活躍した作家って、行動&体験をしてなんぼって風潮があったので、快楽面でも追求する姿勢があったというのはそこいらの人の想像を超えちゃってるんですわ。たとえば先に名前を挙げた筒井康隆も自分が書く小説のリアリティのために、自分のひり出したうんこをナイフだかメスだかで切開してみたという逸話がありますし(周知のように、糞便さえ人の快楽の対象!)。人間同士の関係を描こうとする作家であれば、性関係さえ視野に入れるでしょう。中村自身がそうであったのかはわかりませんが、この『女体幻想』の主人公=老作家のリアリティの核心に中村真一郎という人間の経験則が混じっているのは確かなのではないかしら。……などと語ってみましたが、我輩の関心に寄せていうと、女体と性愛のほうというよりかは「幻想小説」のキャッチコピーに惹かれたんですけどね(笑)

なぜアレクサンドル・デュマの『モンテ・クリスト伯』は3巻だけなのかというと、我輩の本棚には全7巻のうち他の巻は揃っていたからなのです。すべてブックオフの廉価本棚で買っていたのですが、3巻目だけが見つからないでいたのです。こう書くと3巻だけ欠けていることがあたかも頭の中に入っていたように思えるかもしれませんが、違うんです。正直言うと、「たしか3、4巻あたりが欠けていたよな〜」というぼんやりとした記憶でした。なので、今回店頭の棚に3巻を見つけたときも「あれ? 俺が持っていない巻って3巻目だったっけ?」となったのです。悩んだ挙句、「間違ってたら売ればいいかな」と割り切って、エイやッ!と買ってみたのが見事に正解だったのです。よかったよかった。

ちなみに『モンテ・クリスト伯』を手元に置こうとしたきっかけは、すでに当記事で3度目の登場になる筒井康隆に由来します。筒井が「デュマの『モンテ・クリスト伯』は最高におもしろい!」と書いていたのを目にして以来、気になり始めちゃったんだな、うん。

国木田独歩の『武蔵野』は、我輩が武蔵野という土地に関心を持っているってのが大きいですかね。初めて行ったのは2020年に武蔵野美術大学に行く用事があって、鷹の台駅からキャンパスまで歩いたとき。大都会東京といえど端から端まで行く間にはさまざまな風景のバリュエーションがあるもので、武蔵野のあたりに行くと思わず目をとめてしまう自然もちらほら。近年には武蔵野を愛する著名文化人が寄稿したムック本も出版されておりますが、それを書店で見かけた2018年がご縁の始まりだったのかもな。そんな感じで手にとっちゃいました。

金井美恵子。この人を知ったのは漫画原作者で評論家の大塚英志の紹介によります。学生時代に大塚の本を鞄に入れて暇があると読んでいたなかで、彼が「笙野頼子と金井美恵子、恩田陸の書く小説が好きだ」と書いていたのを見つけたんですわ。それで名前を知りはしたものの、探してみるとわかるんですが、恩田陸はいいとして、笙野頼子と金井美恵子の本ってほんとに見つからないんですよ。とくにブックオフではね。いつだったかな、ようやく見つけた金井作品が『小春日和』だったりして。

今回手にとった『本を書く人読まぬ人とかくこの世はままならぬ』は、そんな金井のエッセイ本です。見つけたときに買うか迷いつつパラパラとやってみたら「書く人というのは読まない人のことかもしれない」(大意)というくだりを見つけて、ドキッとさせられたんですよね。なぜって、本を読みがちな人の葛藤のひとつには、読んでいる間に自分が書くことができないってことがあるからです。ドイツの哲学者ショーペンハウアーがその読書論本で語っているように、本を読んでいることはあくまで他人の考えたことを頭の中で展開させているに過ぎないのですから。──んで、件の金井本は読んでばかりで書くことをかまけている我輩を引っ叩いてくれそうだな〜ってことで、購入(結局読むんじゃねーかってツッコミ、あると思います!)

何やらいかめしい日本文学全集の21巻で取り上げられている作家は大佛次郎です。『天皇の世紀』っていうクッソ長い小説が有名ですが、我輩はまだ大佛文学の洗礼は受けていません。そんじゃなんでこの本を買ったのかと言いますと、2018年の横浜は海の見える丘公園でその名前を意識させられたからです。あそこには「大佛次郎記念館」って施設があるんですわ。ちゅーて、通りがかっただけなんだけどね。そうはいっても作家さんとのご縁なんてそんなもんでも十分なんで、今回大佛文学の押さえどころを押さえてある全集本を見つけた手前、ゲットせざるを得ませんでした。168円也。

最後は日本文学、それも古典古代の日本文学の研究者である三浦佑之の、『日本古代文学入門』。自分はかつてこの方の受講生になったことがある……というご縁もあるのですが、それよりも我輩が現在詩人活動をしているという点に、より強い購買動機が宿りました。日本語で詩歌をやるとどうしても言葉の幅や微妙なニュアンスを表すために古典作品に目配せしたくなるんですよね。その手掛かりになるかな〜と思いつつ、チェック。なお余談ですが、三浦はやはり古代文学の研究者である西郷信綱の『日本古代文学史』が発表されたときは貪るように読んだそうです。このことは聴講生の特権として本人から聞きました。

 

詩歌・評論

さきほど文学系の後半といいましたが、まだありました。こちらは歌集や評論になります。

右からチェックしますね。まずはみんな大好き与謝野晶子。 明治の時代を燃えるような情熱でもって生き抜いた歌人です。日露戦争時代に歌った《君死にたまふことなかれ》が有名ですね。それと、小説家・森見登美彦が自作でしばしば参照するような「黒髪の乙女」のイメージを豊かにしたのも与謝野晶子の功績なのではないかと思います。我輩とのご縁では、2021年の1月より歌人としての道を踏み出す折に教科書とした、文学者・本林勝夫による『現代短歌』で目についた《やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君》がむちゃんこ気に入っちゃったんですよね。つまり、色恋に燃えた晶子さんにホの字になっちゃったんです。そういうのがみっしり詰まった『みだれ髪』を、今回ゲットしたって運びですかね。

ちなみに、『みだれ髪』の文庫は新潮文庫でもあるんですが、我輩が買ったのは角川文庫。じつは二種類ともブックオフの棚に見かけたんですよ。でも、角川文庫版では「みだれ髪拾遺」も付されており、こちらの方が与謝野晶子という人物に迫っていけそうな力があったので、角川版を選ぶことに。

歌人・川嶋悦子の句集『カフカの城』は完全にタイトル買いですわ。当ブログの管理人の顕名を「ザムザ」にしていることからもわかるように、我輩はカフカのシンパなんですよ。なのでタイトルにカフカとその城を持ってくるセンスには手を伸ばしてしまったってわけです。我輩は俳句はやっていないのですけど、たぶんそのうち手を出す予感もあるので、この本から触発されるところがあればいいなぁという想いもありました。しかしこの本の出版元、「響焔」っていうんですよね。同人の集いの名前にもなっているらしく、なんなら「響焔賞」なんて文学賞まであるようなんですが、めっちゃかっこいいな……。

池澤夏樹と聞くと作品よりも彼が企画した文学全集のほうが世に聞こえている印象があります。我輩の関心からはイルカ人間で知られるジャック・マイヨールを取材した本もあったっけなって感じ。そんな池澤の『言葉の流星群』は詩人であり童話作家でもあった宮沢賢治の作品論。賢治の作品は豊かなので、目の肥えた人が読み解くとマイヨールが素潜りで深くふかく海に潜水していったように、どこまでも意味の深みへと旅立つことができる。池澤はどう読んだのかしら? ……と、思って、お迎えしました。この本は文庫本でも出ているのですが、個人的には本棚に並べたいのは単行本だな、うん。

心理系

こちらは人間心理に関する本です。

人をあやつる 神・心理学』。これは他人を操作したいっていう下品な欲を煽るビジネス・自己啓発本の棚で見かける類いの本。いやらしいことに、本音である「人をあやつる」というフレーズはもっとも目をひくサイズで印刷された「神・心理学」と比べて不自然なほどに小さいんですよね。まさに本音と建前って感じがして微笑ましいんですが、そんな本を買っているオマエも同類やんけってツッコミが入ってもおかしくないですよね、はい。

我輩がこのスケベ本を買ったのも「人の心を操作したい」といった願望といえばそうなのですが、我輩の場合には「他人を操作して服従させたい」のではなくて、「自分を理解して安心させたい」というスタンスでいます。この違いを小さいか大きいかと判断するのは人それぞれとは思いますが(笑)、そんな理念のもとお迎えさせていただきました。

諸富祥彦による心理学者カール・ロジャーズの入門本『カール・ロジャーズ入門―自分が“自分”になるということ』。ロジャーズとの因縁は2019年に手を出した『カウンセリングテクニック入門』に遡ります。当時は勉強会用に読んでみたんですが、現在カウンセリングと呼ばれているものの基礎を築いたロジャーズは、ちょっとした職人で、知識というよりも経験ベースで培われた勘を頼みにした名人芸みたいにクライアントと接していたとか。

そんなカウンセリング×ロジャーズの話題に関していえば、自分のメモも兼ねて以前こんな記事を書いているのですよな。

てことで、ロジャーズについては予々ご縁を温めてきていたというのもあり、その入門書があるなら読んでみたいな〜ってつもりでお迎えした次第。

 

数学系

こちらは数学系の本になります。なお、我輩はいわゆる “文系” なので、しょーじきなところ数学は不得意です。だからこそ、身につけてみたら面白いだろうな〜って期待もあったりするわけで。

デーデキントの『数について―連続性と数の本質』。こちらは岩波文庫の数学書。ブックオフでも古本屋でも見かけたことのない本でしたので、ちょっと手にとってみた一冊。後になって調べてみると、Amazonのレビューにはめちゃんこプッシュしてるものがありましたので、ちょいと引用。「デデキントの『連続性と無理数』と『数とは何か』という二つの著作を一冊にした貴重な文献である。私が読んだ数学書の中でも最高位に位置する著作だと思う。」最高位とまで言われてるってすごいですよね。これはお迎えせねば!

高橋一雄の『語りかける中学数学』は、数学学習本として知られる〈語りかけるシリーズ〉の一冊。中学数学でさえ怪しい我輩ですので、前々から手の届くところに置いておきたい本だなぁと思っていたところ、この度廉価で売りに出されていたところを収穫。この記事を執筆中に知りましたが、どうやら増補改訂版が出たようで、だから安くされていたんだろうな。この〈語りかけるシリーズ〉ですが、記憶が正しければ佐藤優という人が『読書の技法』のなかで数学を基本からやり直すにはもってこいの学習本だと紹介していたんですよね。なので数学苦手な我輩もつねづね気になっていたというわけで、お迎え。

 

思想系

はてさてこちらは哲学やら思想書やらといった風情の本たち。

社会科学の古典と言われるベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』。これも廉価本の棚にありました。なぜにこんなに安値にされていたのかってことを想像するのは難しくなくて、じつはこの本には増補版も定本版もあるのです。Amazonで検索して見つかるのも写真にあるような無印ではないんですよね。なので市場で出回るときには安価で売られちゃうんでしょう。セドリの人は残念でした〜ってなりますが、我輩は転売のつもりはなく本棚と頭脳の栄養にしようと思っているので、無問題。きちんと読む機会を持ちたい本だよな〜と考えていたのでお迎え。

ヴァルター・ベンヤミンは文明批評の人というイメージがあり、我輩はとくに近寄る必要もないかなぁと思っていたのですが、そんなスタンスも2020年に田中純の『政治の美学』を読んだ衝撃によって脆くも崩壊。何が面白いって聞かれればアレゴリー(寓意)論がとにかく面白いんだ、これが。近頃は川村二郎による卓抜なベンヤミン論『アレゴリーの織物』をちびりちびり読んでお勉強中。

今回お迎えした〈ベンヤミン・コレクション〉にはベンヤミンの種々の論考や雑文が収録されていることで知られていて、シリーズ中の本がときたまブックオフの棚にも見当たりますが、自分が好きなテーマの文章が収録されているかがお迎えする際のネックだったりして。我輩も見かけるたびに「いや、これが読みたいわけやないねん……」と棚に戻してきた経緯がありました。この『近代の意味』はアレゴリー論が入っているのも我輩好みでしたので、迷いなく購入。

哲学者・鷲田清一というとファッションを哲学した人として知られているかと思います。この『語りきれないこと』というタイトルに惹かれたのは、我輩が “物語” に関心があることに由来します。ブックオフで見つけてページを捲ってみたとき、人間のアイデンティティを物語の概念で語っているくだりがありました。「はは〜ん、その上でこの人は物語に収まりきれない体験を〈語りきれないこと〉として取り扱おうとしてるんだな」と思った我輩は、この本がどんな回答を導き出しているのか気になった次第。お迎え。

 

宗教系

宗教関係の本も買っています。我輩も四半世紀も生きてきて、そろそろスピりたいお年頃。。。

阿含宗というものがあるらしい。しかしよーわからん。どうやら桐谷文雄って人が関わっているらしい。わりと最近に興った仏教の宗派とのことで、新興宗教と聞いたときにパッとイメージしてしまう胡散臭さがあるのかしらと思いきや、『阿含経典』は天下の〈ちくま学芸文庫〉に収められているというじゃないか……すごい。これをどこで聞き知ったのかはわからないのですが、いつの間にか知っていました。でも読んだわけではない。う〜む。

そんな阿含宗の桐谷文雄の『密教の神秘 変身の原理』を見つけたのはきっと天佑!……たぶん。帯文にある「ゴータマ・ブッダとともにフロイトが住み、空海とパブロフが腕を組む。燃えあがる護摩の火焔にサイバネティクスの理論がひそみ、魔法めいた呪文に大脳生理学が息づく」ってのを読んでいいるだけでゾクゾクしてくるのは、ちょっとしたSF小説や幻想文学のあらすじを眺めているような気持ちになるからではないか〜、なんて考えるのは失礼に当たるかしら? 好き!お迎え!

 

処世系

処世すなわち生き方に関わる本はこちら。生きづらい世の中をより楽しく生きる手掛かりになりそうな本を求めにも、ブックオフはいいぞ、うん。あそこは大学だと思ってるからな、我輩!

平川克美の『路地裏の資本主義』が気になったのは目次のなかに「路地裏の資本主義(借金まみれの資本主義厚顔無恥な人々)」なんて言葉を見つけたから(笑) 我輩が借金まみれであるかは別にして、世の中には借金まみれになっても悪びれることもなく借金を重ねてはギャンブルで遊んだりする人種がいるんですよね。その感覚ってどういうものなのだろう〜と思っていたんですわ。そしてこの本によればその一種が路地裏に生息しているというじゃないか! てなわけでお迎え決定。

池田弥三郎の『光源氏の一生』。この本、1964年の出版らしい。なのに我輩はこの本を見かけたことが今までなかったのですよ。スルーしてきた可能性もあるけど、結構な数の古本屋を見て回ってる我輩の目を逃れているってのはすごいぜ。っていう稀少さもありますが、お迎えすることにしたのは別件で「光源氏」の人物像に関心があったから。その関心はまだうまく言葉にできないんですが、平安時代の雅な感覚でもって恋愛をし成熟をしと生き抜いたとされる光源氏の人となりをイメージするのに有効かなぁと思って、お迎えの運びに。

哲学者・東浩紀の『ゲンロン戦記』は彼が起業・経営をした経緯をまとめた本。東の思想はしばしば目を通してみたりしてきたのもあって、彼が出す本は意識せずとも情報を拾ってしまったりしていたんですよね。そんななか文系の学生が夢中になって追うような思想書ではなく、ビジネスライクな社会人の目にも適う一冊ということで、前々から評判の高さが我輩の耳にも入ってきていた本が、これ。我輩もお仕事とかお金稼ぎの話にも目配せしなきゃな〜と考えているこの頃なので、見つけてしまったのが吉日、お迎え。

漫画系

ここでは漫画本を紹介します。我輩は古書でマンガを買うことはそう多くはないのですけれど、今回は手に取らずにはいられない作品があったのでした。

水樹和佳子という名前を聞いて具体的な作品が浮かぶ人はそう多くはないでしょう。少女漫画家ではあるものの、そのゴリッゴリのSF・ファンタジーな作風からは読者層が男性が多いという変わり種。我輩とのご縁はとある閉店間際の古本屋で『樹魔・伝説』『月虹―セレス還元―』のセットを買ったことに遡ります。

とくに『樹魔・伝説』には「二元合一体」なんていう概念を出しつつ、登場人物に次のような言葉を言わせてるのがクール。「 “精神” とは大脳が作りだす “高次の意識” が進化したもので いずれはこの身体…三次元体をこえていく異次元体です」……グッときません? 我輩は人間の精神の発展段階が人類の歴史なのだと説いたヘーゲルって哲学者の『精神現象学』を連想して滾っちゃいましたわ(笑)

今回お迎えした『イティハーサ』は13年にもの長きにわたって連載されたSF作品。2000年度の星雲賞コミック部門を受賞していて、1981年に『伝説』で受賞して以来二度目の受賞となっているんですよね。文庫版で全7巻にも及ぶ長大な物語ということで、かねてより気になっていたのがこの度全巻揃った状態で見つかったのは瑞祥の気と言うほかなしと判断しまして、ほくほくとレジに持っていったのでした。

ちなみにこのシリーズ、読者からの評価もかな〜りな好評を受けてるんですよね。この記事を書いているときに目を通したレビューで、一度目にしたらぜひ読みたくなる作品レビューがAmazonに見つかったので載せてみますわ。

 

このベタ褒めよ! まだ読んでいない我輩ですが、すでに星4つ以上つけたくなっている心地でいます(笑) あー、お迎えしといてよかった!

創作系

「創作系」と題したのは、その名の通り、我輩が創作する際の参考資料にするつもりでお迎えした本ってことです。

木村凌二って人は存じ上げません。しかし彼の『多神教と一神教』という本には惹かれるところがありました。なぜって、我輩がそのタイトルにある通りのことが気がかりだったからです。多神教と一神教との衝突面や折衝面、みたいなところをね。また、近頃は宗教や信仰についても関心があって、「人間の約束能力」というか、「あらぬことをあるかのようにして振る舞いあたかもあるようにしてしまう能力」をぽそりぽそりと考えていたお年頃だったので。この本がその答えまで教えてくれなくても、そのヒントをくれそうな気配はあるんじゃないかな〜っていう当て勘を恃んでの、お迎え。ありません?そういうのって?

お隣の橋爪大三郎の名前は知っていました。社会学者。パッションの宮台真司、スペキュレイティヴな大澤真幸、エモーショナルな竹田青嗣のあたりのどこかに目をやると自然と目に入る、言語・宗教・制度などを網羅するオールマイティな人です。引き合いに出した三名と比べるとポリティカルな活動も目立つ気もする(いずれも筆者の主観)。ここ数年はチェックしていなかったところ、いつの間にか『フリーメイソン』なる本も出していたとは…….知らなんだ。我輩の秘密結社への関心ってのもすでにこの記事で名前を出した田中純の『政治の美学』からインストールしていたので、創作資料として使えるだろうな〜と思い、お招きさせてもらいました。

 

身体系

こちらは「身体系」というジャンルにしてみました。健康とか医学とかいうくくりでもちょっと違ってくるかなぁと思って。身体って生きること全般を始めるためのベースキャンプでもあるので、そこのところに効果を及ぼしそうな本って言えば伝わるかしら。

んで、買ったのはこちら。河出書房新社から出てる〈シリーズ身体の発見〉の一冊『パラドックスとしての身体』になります。まず目を引くのは執筆陣の顔ぶれ。すでに紹介した哲学者の鷲田清一もいますし、免疫学者として知られる多田富雄、その卓抜な身体論でも知られる編集者で文芸評論家で舞踊研究家でもある三浦雅士。我輩が知っているところはそれくらいながら、人文系の想像力にも目を向けているあたり、副題の「免疫・病い・健康」でカバーせんとしている本書のテーマが多分野を横断する学際的なものであることがわかります。

目次を見てみても、私たちがふだん普段ふだん体調を崩した折に享受している近代医学が冒頭から超えられんとしており、第1章では生命科学のスタティックなイメージを持つ “免疫” や “科学” の言葉をメタファ(隠喩)としてまなざそうとしていることに気づけます。第2章でもネガティブなものとされがちな “病い” を「豊かさ」として読み替える試みがされていて、第3章には「反健康論」なるパワーワードも見つかる始末。……おおふ、こいつはおもしれぇじゃねーか。。。お迎え決定!

まとめと、物質としての本のよさなど

以上が、2021年度のゴールデンウィークにおける千葉県のブックオフ5店舗はしごツアーでお迎えした本たちとそのお迎え理由になります。一度に45冊もの本を買うなんて正気の沙汰じゃないと思われる方もいるでしょうし、なんだその程度か俺はもっとなぁと腕を組んで肩をそびやかす方もおられるでしょう。とはいえ、本との出会いかたは人それぞれですから、人それぞれのうちの一例として、我輩なりの本との出会いかたをまとめてみることにした次第です。

我輩ほど本を買わない人にとっては、この記事からたくさん買う人はどういう基準で本を買っているかの答えもしくはヒントを読み取れるでしょう。我輩より本を買う人にとっても他の古本好きがどういう選び方で古書店の棚から自室の棚へと本を移動させているのかの類例を読むことができる記事になっていると思います。もちろん「本を買う人」ではなく「本を読む人」にとっても。

まとめとしまして、ここでは我輩があれだけ本を買ってしまう理由ないしは思想について語ってみます。

昨今、電子書籍やオーディブルなどの登場で、「物質としての本」の存在意義が揺らいでいる節があります。それらはモノとしての本をその内容に偏重し、本に対して目や耳でのみ関係をとり結べればいいという考えかたに由来しているのかもしれない。なるべく物を持たない生活を志すミニマリズムという生きかたの影響もあるでしょう。そうした価値観からすれば、古本屋で山のように本を買う我輩は不可解に見えてもおかしくありません。

しかし、我輩に言わせれば、本に対しては何も目や耳でのみ接するものでもないのです。人に佇まいや雰囲気・印象があるように、本にもまた、そこに “ある” というだけで読み取ってしまう気配があります。そこでは本に書きこまれている内容を目や耳で理解するのではない、本との関係があると言っていいでしょう。たとえば肌で重みや質感を “読む” こともできますし、鼻で本の新しさや古さを “読む” ことだってできます。これらの関係仕方は実物あってのことですので、どんなに美麗な画像で表示されても、どんなに美声で読み聞かせられても、読めない情報です。

とりわけ、古本には新刊本にはない風情があります。しばし古典作品が時の試練に耐えたこそ凄みを持つように、時間にさらされた物質にもまた独特の美しさがあるのです。目や耳だけでなく肌や鼻、ときには舌でさえ動員して読まれる「全身体的な読書」には、新刊本よりも古本の方にこそ複雑微妙な質感が得られることも、ある。(あっ、でも東信堂や研究社の新刊本のにおいは好きです。)加えて、そうした外容由来の知覚情報って、本の内容とも結婚したりするんです。それら全部をまとめて「本を読む」とすると、我輩のようにたくさんの本を本棚にお招きしてしまう理由ないしは思想にも理解や同感していただけるのではないかしら?

少し長めのまとめになってしまいましたが、以上がGWにブックオフ5店舗をはしごして45冊もの本を購入してしまう人種の動機&思考になっております。

_了

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