【小説を書くとは】世間知らずの娘が書いた世界文学|嵐が丘

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どうもです、依然としてザムザ(@dragmagic123 )でいます。今回はエミリー・ブロンテの『嵐が丘』を読みました。厳密に言えば “聴いた” のですけれど。本編も陰鬱で逃げ場のない感じがゾクゾクしたのですが、このたび記事にしちゃおうと決めたのはむしろ作者の生い立ちの方がキッカケになりました(笑)

というのも彼女は「世間知らずの田舎娘」だったようなのですよ。これって知識も経験も達者な高学歴作家…なんてイメージとは真逆ですよね。で、こういったエミリーの貧しさは小説を書く上でどういった意味があったのだろう?──そう考えてみたものが、当記事の内容になっています。

この記事で取りあげている本
この記事で取りあげていること
  • 文学史的名作小説として知られる『嵐が丘』の作者エミリー・ブロンテ。彼女は姉であるシャーロットから学識もなく、世間知らずな田舎娘と評される人物だった。このことは作品が普遍的だったにもかかわらず、作者は普遍的であることからは程遠い、特殊個性的な人物であったことを物語っている。
  • 知識も経験も大したものではなかったエミリーは「つねに本性からの衝動、直観の指示にしたがい、狭い体験からつみ重ねた多くの観察によって書いた」。これは小説を書く態度としては主観から客観を認識しようとする〈主観-客観〉の図式ではなく、内在に超越が到来したものを吟味するという〈内在-超越〉の構えがある。
  • 小説を書こうとするときは書き手自身に内在してくるものに対して誠実であらねばならない。この原則を守ることで、(知識や経験において)豊かではなくても素晴らしい小説は書ける。ただし小説を書くときは作者の自己主張になってはならず、つねに作品が表現しようとしているところを優先しなければならない。
 

【小説を書くとは】世間知らずの娘が書いた世界文学|嵐が丘

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『嵐が丘』について

 エミリー・ブロンテの『嵐が丘』は「英文学の三大悲劇」とも呼ばれ、そのストーリーはドロッとした復讐劇からのハッピーエンド……といったメロドラマ的なものです。
 手元にある『西洋文学事典』をめくってみると、『嵐が丘』は次のように紹介されています。
キャシイとヒイスクリフはその狂暴な恋愛で、彼等の内部に巣くう悪鬼どもを解放するのみならず、想像力が持っている全ての能力を最大限に発揮し、肉体的な交渉を持たずに別れた彼らはある絶対的な交感によって結合されて、死をも恐れない境地に達するという物語である。
(『西洋文学事典』,p425)
 残念ながら耳で聴いていたわたしには上で紹介されたみたいな劇的な印象を受け取れはしませんでしたが、メロドラマの気配を嗅ぎとれはするのではないでしょうか?
 『嵐が丘』と聞くと、人によっては『LUPIN the Third -峰不二子という女-』(2012)の冒頭で語られていたセリフを思い浮かべる方もいるかもしれません。そこではこの小説の悲劇の悪役・ヒースクリフが引き合いに出されていましたから。
 さて、わたしは近頃、小説でもなんでも「表現されたもの」に対して、それがわたしたちに  “見聞きされる作品” であることよりも、それを “産み出した作者” の側に関心があります。『嵐が丘』にしてもそうで、古典的作品であればたいてい巻末に付いている作者の略歴紹介などを読んだときには、本編を読んでいるときよりも尊く感じられるくらいなのです。
 ブロンテ姉妹──シャーロット、エミリー、アン──はそれぞれが作家志望の女性でした。シャーロットはこう書き付けています。「わたしたちはずっと若い頃から、いつか作家になる日を夢み続けてきた。」その夢は結局叶ったからこそ、わたしたちはブロンテ姉妹を文学の名の下に聞き及ぶことができる。むろん、その過程には様々な困難があったのですが……ここでは触れないことにしましょう。
 しかしブロンテ姉妹のペンネームは知っておくことにします。彼女たちはいざ作家デビューの運びとなったときには本名を隠して(あからさまな “男性的” であることを避けて)、各人はカラー・ベルエリス・ベルアクトン・ベルと名乗ることにしていました。なぜなら、イギリスのヴィクトリア朝時代では女性であることが作家活動の強みにはならなかったので。
 

学識のないエミリー

 と、以上の話をひとまず押さえておくとして、わたしがこの記事を書くことに決めたくだりをご紹介しましょう。それというのは次のくだりを目にしたからなのです。
エミリーもアンも学識はなかった。他人の精神の泉を汲んで自分のかめを満たそうなどとは考えなかった。二人ともつねに本性からの衝動、直観の指示にしたがい、狭い体験からつみ重ねた多くの観察によって書いたのである。これを簡単に言えば、未知の人にとってはつまらぬものであり、皮肉な観察者にはさらに無価値だったとしても、ごく親しい間がらで、生涯を通じて知っていた人々にとっては紛れもなくすばらしいもの、真に偉大なものなのであった。
シャーロット・ブロンテ「エリス・ベルとアクトン・ベル略伝」より)
 以上の一節は『嵐が丘』の巻末に付属していた、ブロンテ姉妹のうちで生き残っていた長姉シャーロットの書いた亡き妹たちへの弔辞のようなもの。わたしが強く心を惹かれたのは『嵐が丘』という世界的な名作を書いたエミリー(とアン)には学識はなかったと断っている点です。そして、そう断った後に語るのは、ようするに、エミリーの見聞の狭さなのでした。つまり、──彼女の書いたものは決して普遍的なものではない
 さらに興味深いのは「未知の人にとってはつまらぬものであり、皮肉な観察者にはさらに無価値」と述べている点です。これは作者の人物抜きには『嵐が丘』という作品を本当の意味では楽しめないと言っているに等しい
 このことはわたしたちの直観に反しています。『嵐が丘』は広く読まれた作品なのですから、多くの読者を獲得しただけの普遍性があるというのが直観としてある。なのに、『嵐が丘』を評するシャーロットはむしろ、その特殊個性的であるという点を作品の魅力として取りあげてみせるのです。
 さて、「普遍」という言葉を使いましたが、「文芸批評家の神様」…とも謳われる小林秀雄の書いた文を参照することにしましょう。小林は “普遍” に関してこんなふうに考えを述べています。
普遍とは又特殊の絶対的信用以外の何物でもない。芸術上の現実主義とは、心の中にあると外にあるとを問わず、特殊風景に対する誠実主義以外のものを指さぬ。
(「アシルと亀の子 Ⅳ」)
 ここでは特殊の絶対的信用こそが普遍へと通じるものとして把握しています。シャーロットのエミリー評と重ねてみれば、エミリーの特殊個性的な点は『嵐が丘』が普遍的なものとして世界大に広まることと何ら矛盾はなさそうです。
 

世間知らずが書いた小説

 そうそう、シャーロットは作者エミリーのみならず、その作品である『嵐が丘』のほうにも “田舎くささ” を認めているのでした。それというのは『嵐が丘』第二版の編者序文に記してある、次の文言になります。
『嵐が丘』の田舎くささについてはわたしも非難を認めざるをえない。わたしだってその点を感じるからだ。まったく徹底的に田舎くさい作品である。荒野そのまま、野性的で、ヒースの根みたいにふしくれだっている。また、そうでなかったら自然とは言えないのだ。作者自身、荒野に生まれ育ったのだから。疑いもなく、彼女が都会で生きるべき運命だったら、そこで何か書いたとしたら、ちがった性格をもつことになっていたろう。たとえ偶然あるいは好みによって、同じ題材を選んだとしても、その扱いがちがっていたろう。もしも、エリス・ベルがいわゆる「世間」になれた淑女か紳士だったら、辺ぴな未開地方と住民についての見方も世間知らずの田舎娘が実際にもった見方とだいぶちがっていたろうと思われる。たしかにもっと自由にに……もっと広くなっていたろうが、独創性と真実性を増したかどうかは疑わしい。
(「『嵐が丘』第二版の編者序文」:太字は引用者)
 上に引用したくだりからは、『嵐が丘』の田舎くささを指摘し、それを書いた作者であるエリス・ベル(エミリー・ブロンテ)を「世間知らずの田舎娘」とさえ書いています。これはシャーロットがエミリーを「学識はなかった」と紹介しているのを思うと、やはり普遍的ではなく特殊個性的であったという気配を嗅ぎとれるでしょう。
 このような人物および作品が特殊個性個性的であることに関して、はたまた小林秀雄に目を向けると、示唆的な文言が見つかります。
 まず、小林が文芸批評と小説とを同一平面で把握していることを確認しましょう。彼はこう書いてます。「元来文芸批評というものが、人間情熱の表現形式である点で、詩や小説と聊かも異ったものではないのである。」(「アシルと亀の子 Ⅰ」)さて、以上の文を飲み込んだ上で、小林の批評観を語ったところを見ると、次のように述べていることがわかります。「最上の批評は常に最も個性的である。そして独断的という概念と個性的という概念とは異るのである。」(「様々なる意匠」)
 

それでもバズった小説

 あなたが上で引用した小林秀雄の文言にもっともインパクトを受けるであろう箇所は「最上の批評は常に最も個性的である」でしょう。ここで注目したいのは、直後に独断的と個性的とを違うものとして把握していもする点です。
 “独断的” というのは「独りよがり」と言い換えられるでしょう。それであるとすれば『嵐が丘』は売れるわけはありませんし、古典になることもなかったでしょう。しかしそうではなく、『嵐が丘』は文学史上バズったのです。
 小林秀雄が人間情熱の表現形式の最上質作品を(独断的ではなく)個性的であると語ったのは、普遍的であることが特殊の絶対的信用以外ではないと説いたことにも重ねられるでしょう。普遍性と特殊性は(ふつう言われるようには)対立してはおらず、特殊であることに絶対的な姿勢でもって誠実であろうとする個性的の態度によって、普遍へは到達されることになる
 エミリー・ブロンテが「世間知らずの田舎娘」と見なされる向きには、彼女の “生育環境” や “生きづらさを抱えた個人” としての特殊性があります。小林は「特殊風景に対する誠実主義」とも言いました。それを思えば、エミリーは自身の特殊的な状況に対して誠実でいた、そのことに彼女の個性はあったのだと考えられます。そしてその個性の開花として作品はあり、その作品は普遍へと達した。
 ここまでのところをまとめると、特殊とは個人の生育環境や生きづらさを抱えている個別の心境のことで、個性とは個人が定められた特殊具体的な状況に対して誠実であることで、普遍とは特殊を絶対的に信用するその個性的態度によって到達する(かもしれない)こと──となるでしょう。
 

知識や経験不足の小説家を擁護する

ここでは『嵐が丘』を書いたエミリー・ブロンテが「世間知らずの田舎娘」だった点に注目して、にもかかわらず世界文学史上冠たる作品を書けた理由について見ていきます。なぜか哲学の話が出てきますが、それは「どこかに正解がある」といった主観と客観の図式にダメ出しをするためです。ようするに小説を書くために豊かさを求めるのではなく、むしろ貧しさに留まって小説を書くことをヨイショしています。

作家の自信を揺るがすもの

 『嵐が丘』を書いたエミリー・ブロンテは「世間知らずの田舎娘」であることがわかりました。このことはしばしば人が作家として己を立てていく上での自信を揺るがせる要素です。
 とはいえ、エミリーの書いた『嵐が丘』は売れました。この結果に対して『ジェーン・エア』を発表した長姉シャーロットは「真に偉大なもの」と讃えます。
 この記事の関心から言うと、シャーロットの称賛には、 “むしろ世間知らずの田舎娘だから偉大なものを書けたのだ” といったニュアンスがある──このことが、興味深い。 
 小説を書く人の中では、しばしば「作家は体験したことしか説得力のある形で書けないのだ」といった言われ方がされることがあります。日本では自然主義文学として輸入されたエミール・ゾラの影響を思い出せるでしょう。
 ゾラは自然科学者が実験をおこなうように、一定の社会環境を設計することで、登場人物がどのように動くものかを実験するといった小説上の方法論によって書かれた作品を「実験小説」と呼びました。ところが日本では田山花袋が『蒲団』で試みたように、ゾラが志した科学実験論文のイメージではなくて、むしろ実体験報告に近い私小説の文化を咲かせたのです。
 実体験報告を重視する文学的趣向は、おのずと “体験を求めて行動する作家” のイメージを膨らませることになる。つまり、「作家は体験したことしか説得力のある形で書けないのだ」という考えかたの根拠が育つ土壌ができてきたわけです。
 

体験する作家・作家の経験

 しかし、「作家は体験したことしか説得力のある形で書けないのだ」という教えには2つの受け取りかたがあることに注意しましょう。
 一方では先に挙げたような “体験を求めて行動する作家” のイメージです。
 これは昭和期の文豪が夜な夜な遊び歩いているような姿を浮かべるのもいいでしょうし、夢枕獏などのように登山に行ったりした経験を作品に活かしたりなんて姿も思い出されます。海外に目を向ければヘミングウェイのマッチョなイメージも有名です。変化球なところだと中島らものように酒とドラッグで破滅的な生活のただ中から小説を紡いだ人物もいます。
 他方で、もうひとつには “すでに経験していることにこだわる作家” もいるでしょう。劇的なところでは過去にトラウマがあったり、事件に巻き込まれたりなんてことをした人が自身の経験したことから文を紡いだり、劇的でなかったとしても誰しもこれまで生きてきた時間があるわけで、その経験を手本なり参考になりすることで文を紡ぐ。考えてみれば当たり前のことですが。
 ──すでに経験していることにこだわる作家もまた、「作家は体験したことしか説得力のある形で書けないのだ」というメッセージから導き出せる態度なのです。
 そして、すでに経験していることにこだわる作家、それこそがエミリー・ブロンテなのではないでしょうか。
 

「小説を書く」への態度

 とはいえ、「世間知らずの田舎娘」あるいは「社会経験のない自分」というのは、しばしば小説を書く上でネガティブに受け止められやすい要素となるでしょう。とりわけ作家になろうとする人にとって “創作の源泉” である自分自身への不信感にも繋がりかねない。。。
 しかしながら、エミリー・ブロンテがそうであるように、知識があったり世故に長けていることが多くの人を感動させる小説を書く上では必要であるわけ “ではない” ということも本当のようです。
 ここで興味が起こるのは、「それなら小説を書くというのはどういうことなのだろう?」──という疑問です。
 以下では「世間知らずの田舎娘」や「社会経験のない自分」とは無関連に成立してしまい、なおかつ誰かを感動させてしまうような〈小説というもの〉を問いかけていきます。

態度変更の例:現象学

 小説を書くことは誰にでもできる。この “誰でも” のうちには読み書き能力は当然ながらあるとして、ここで取りあげたいのは〈自分が書こうとするもの〉への態度です。
 ──と、話が変わるようですが、哲学には「現象学」というジャンルがあります。厳密には「哲学をするための方法」として知られる現象学のセールスポイントは、「哲学はこうすればできる」といった、小説が誰にでも書けるのと同様に “誰でもできる” という点にあります。
 現象学では「なんでそーなってんのかわからないけど現にそーなってしまっているもの」を “超越論的” と呼び、主観や意識や自我を「すでに確信されてしまっているもの」として扱う。そしてこの “確信” を解きほどき、どういった理由で “現に確信されているもの” が構成されているのかを吟味する。──ここで重要になってくるのが「現象学的還元」という態度変更です。
 現象学的還元というとやや大仰ですが、要するに「虚心坦懐になって物事を見る」ことと言いましょうか。これは普段わたしたちが物事を見る態度をいったん停止させるといったニュアンスがあります。すなわち、「こちらに見ている側の自分がいて、あちらに見られている側の対象がある」といった〈主観-客観〉の判断図式を停止させる。停止させた上で、今度は(さながらサンタクロースの実在を信じているかどうかを問うようにして)「とりあえずは自分が信じてしまっているものがある以上、自分にそう信じさせている何かがある」といった〈内在-超越〉の構えをとるのですね
 

現象学的還元:花の美しさ

 現象学的還元をおこなうことによって〈事物の領域〉から〈本質の領域〉へと視線を移すことができます。このことは(『星の王子さま』的な意味で)「目に見えるもの」の合理性から「目には見えないもの」の普遍性を扱うことができることを意味します。……ちょっと何言ってるかわからない気もしますので、もう少し言葉を継技ましょう。小林秀雄がこんなことを言っています。「美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない。」(「当麻」)事物の世界には美しいという印象はありません。その世界にあるものには美しさの情報はないので。ところが、本質の世界には「美しい花」があり、その印象を通して「花の美しさ」に想いを馳せることができる。こうした印象は「美の現象」であって、それは言葉の通り “到来するもの” としてあるわけです。〈主観-客観〉では「認識」であったものが〈内在-超越〉だと「到来」に書き換えられる。「主観が認識する客観」ではなく「超越が到来する内在」。
改めて現象学的還元の意義を話すと、〈主観-客観〉では対象の性質を解説し、それを理解することで主客合一が果たされることが企図されるのですが、〈内在-超越〉だと印象の内実を分析し、それを追体験することによって主体がどのようなスイッチを押されて超越論的なもの(たとえば真善美、愛や正義などの超越論的な観念)が到来することになったのかを表現する──この後者における “追体験要素” や “スイッチの種類” を見つけ出すのに、対象の情報(事項)ではなく意識の内容(印象)に注目するのです。さきほど挙げた「美しい花」の例でいえば、花という対象の情報から「花が美しい」という印象が出てくることはありませんが、「花が美しい」という印象からは「美しい花」が “なぜ美しいのか” を分析することができる。……とまあ、いろいろと書いてみましたが、この記事は現象学の解説を目論んではおりませんのでこれ以上の深追いはしません。ただし、〈主観-客観〉から〈内在-超越〉への態度変更は押さえておくことにしましょう。
 

内在・特殊-誤配-超越・普遍

 〈主観-客観〉はようするに「モノの見方が成長する」ことです。これは主観でも意識でも自我でも同様で、一般的に子どもの考えは未熟で、大人だと成熟しているとみなされるように、存在することの目標は主観から客観への運動として描かれます。肝心なのはこの成熟には終わりがないという点です。完全であることはない。しかし全体性はある。全体像としての自己があるものの、それが完成されるということはあり得ない。だからこそこの成熟への運動には終わりがない。
 対して、〈内在-超越〉図式だとモノの見方はさしあたっては “今あるようにしか” ありません。主観なり意識なり自我なりはどれもみな内在として把握された確信像に還元されます。むろん、今がそうであるからといって今後もそうであり続けるという保証はありません。さしあたっての確信がある──このことを「内在」で表します。この先どうなるかはわからない──このことを表すのが「超越」という表記なのです
 以上の〈内在-超越〉図式には「特殊の絶対的信用こそが普遍である」とする小林秀雄のアイデアを透かし見ることができるでしょう。ひとつの確信された特殊なるイメージがあり、そのイメージへと到来する種々の印象がある。さながら止まり木に野鳥の来たるごとく。
 話が逸れるようですが、哲学者の東浩紀は「誤配」をキーワードにして物を考える人物です。彼は超越論的なもの(たとえば真善美、愛や正義などの超越論的な観念)を人間が動物であるにすぎないために起こってくるものだとします。理性的人間がおこなう合理的思考からは超越論的なものは出てこない、といった次第で。東はむしろ超越論的なあれこれは動物性由来のものとして把握しており、人間は恋愛感情や崇高感情やらでさえ、理屈からすると生理的な本能にすぎないものに “絶対” だの “永遠” だのといった観念を持ち出さずにはいられない──そう考えるのです。
 ここで言うところの誤配は〈内在-超越〉図式でいうところの「到来」の内実を説明するものとして受け取れます。あくまでも特殊でしかない内在に物事の印象は誤配されていく。この後配された印象によって、特殊的状況は個性化する。己が特殊に誠実であれと述べたのは小林秀雄でしたが、その誠実さこそが「個性」の名にふさわしいと言えるでしょう。
 
 ようするに、〈内在-超越〉は〈特殊-普遍〉として、「超越が到来する内在」は「普遍が誤配される特殊」のように書き換えられるのです。そして以下では、これらのフレーム(解読格子)を「小説を書く」への態度に当てはめていきます。
 

「小説を書く」ができる態度

 さて。ここまで哲学方面の話に逸れていったのは、もともと、小説の書き手が〈自分が書こうとするもの〉に対してどのような態度をとるのかという疑問から始まってのことでした。一方には物事を認識するための「小説を書く」があり、他方には本質が到来するための「小説を書く」がある。この「小説を書く」という事態を再発見するためのフレームとして、現象学における〈主観-客観〉から〈内在-超越〉への態度変更のモデルを参照したのでした。
 以上の現象学のモデルは「世間知らずの田舎娘」であるエミリー・ブロンテの執筆にも該当します。姉のシャーロットの評を載せましょう。
エミリーもアンも学識はなかった。他人の精神の泉を汲んで自分のかめを満たそうなどとは考えなかった。二人ともつねに本性からの衝動、直観の指示にしたがい、狭い体験からつみ重ねた多くの観察によって書いたのである。これを簡単に言えば、未知の人にとってはつまらぬものであり、皮肉な観察者にはさらに無価値だったとしても、ごく親しい間がらで、生涯を通じて知っていた人々にとっては紛れもなくすばらしいもの、真に偉大なものなのであった。
(シャーロット・ブロンテ「エリス・ベルとアクトン・ベル略伝」より)
 エミリーが頼みにしたのは広範な知識や多様な経験ではなく、むしろ「狭い体験からつみ重ねた多くの観察」でした。エミリーに到来(誤配)した種々の印象が糧となり、そこから彼女は自分自身の確信を表現して見せたのです。
 言うなれば、「サンタクロースは実在しない」と常識的に判断するのは簡単ですが、個人的な確信を表現することは、ただ否定するよりも偉大な行為である。この実践がエミリーにとっての〈書くこと〉にはあったのでした。
 小説を書くことは誰にでもできる。この “誰でも” という点に注目して取りあげてここまで検討したのは〈自分が書こうとするもの〉への態度だったのでした。そこで重視されるべきことを記すと次のようになります。自分が書こうとするときには、書き手自身に内在するものに対して誠実であらねばならない。この原則を守るなら、小説を書くことは誰にでもできるのです。そこで念頭に置くべきなのは、わたしには何が到来する/誤配されるのだろうか
 

おのれ自身の貧しさに集中せよ

 ここまで『嵐が丘』を取りあげつつも、作者であるエミリー・ブロンテが「世間知らずの田舎娘」であるという点をとくに照明して書き進めてきました。しかし注意しておきたいのは、“作者をおもしろく感じるというのはあくまでも作品が人気になったことの副次的な効果でしかない” ということです。
 エミリー・ブロンテという名前にしても『嵐が丘』という作品なしには世間に流通することはなかったでしょうし、わたし自身も『嵐が丘』を読むことなしに彼女の人生が語られているところに目を向けることはなかったでしょう。
 ようするに、いくら作者自身がおもしろがられることになろうとも、基本的には作品に付属した(あるいは憑依した?)実作者という身分を通して発見されることになるのであり、つまりは作品がおもしろいことありきになるわけです。
 作者自身のことをネタにして書く「私小説」というジャンルがあります。私小説であっても作品自体がおもしろくある必要がある。自己主張的に「私が、私が」と訴えるのではなく、あくまでも「私に、私に」といった表現を一種の受身の立場で、書く作品が上で、作者が下な姿勢でもって。
 たとえば、小説家・磯崎憲一郎はこんなことを書いています。
書き出して間もない人は書くことに集中しなくてはならない。対象を解釈なんてしようものなら、書かれた作品よりも書いてる人が大きなものになりかねない。
(『金太郎飴』、p62)
 ここで言われている “書くこと” と “解釈すること” との相違が重要です。前者は「私に、私に」という受身の姿勢でいるのが、後者では「私が、私が」という自己主張が出てしまっている。これでは承認欲求が満たされたいようで、そもそも作品の中に入っていけない。
 シャーロットのエミリー評では、作者を知らない人からすると『嵐が丘』はつまらないものに見えるかもしれないと語っていますが、これは歴史によって否定されていると言っていいでしょう。
 では、なぜ『嵐が丘』はそのような普遍的な作品になることができたのでしょうか?
 引用した磯崎憲一郎の文に絡めて言うならば、小説を書くうえでは書いてる人が(知識や経験において)豊かであるよりも、むしろ貧しさにおいて書かれた作品が偉大なものになるのではないか──『嵐が丘』を書いたエミリー・ブロンテも「世間知らずの田舎娘」として貧しかった。しかしそのことによって書き手として超越することができたのではないか。このように考えられるのです。そして、作者の自己主張にならずに作品の表現したいところを優先するためにも、小説の書き手はおのれ自身の貧しさにこそ集中するべきなのかもしれません。なぜなら、知識や経験などの豊かさとは、得てして作者の自己主張に繋がりかねないからです。とくに、“書き出して間もない人” であるほどに……。お気をつけあれ。
 

まとめ

この記事が『嵐が丘』を取りあげたのは、作者であるエミリー・ブロンテが「世間知らずの田舎娘」だったからでした。小説家志望はしばしば小説を書くのに自分がふさわしいのかどうか不安になるものです。たとえば、知識や経験が足りないのではないか、などと悩んで。しかしエミリーは文学史的傑作を書き上げた。このことは人が小説を書く上での励みになるでしょうし、小説を書く資格を人に問わせるものでもあります。かくして、この記事は「特殊・普遍・個性」それから「内在・超越・貧しさ」などをキーワードにして小説を書く勇気を肯定するものとなったのでした。

_了

参考資料

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