この記事で取り上げている本――
駕籠真太郎『穴、文字、血液などが現れる漫画』,久保書店,2008
この記事に書いてあること――
- 『穴、文字、血液などが現れる漫画』のタイトルがワケワカラン
- 『穴、文字、血液などが現れる漫画』の内容が意味わからん
- 『穴、文字、血液などが現れる漫画』は実験的手法をも用いたエロ・グロ・ナンセンス
- 作者は記号化してネタにすることによって読者が当たり前だと思い込んでいることへの意識を惑わす
- ナンセンスは意味あるものが、実は無意味なのだと気づかせるためのワザ
- 意識していなかったものを改めて意識させられることはおもしろい
『穴、文字、血液などが現れる漫画』への期待
駕籠真太郎のマンガ作品である『穴、文字、血液などが現れる漫画』を見つけたのは、全国チェーン店の某古本屋でのことでした
本のタイトルが異様だったので、筆者は手に取ってみたのです
中身をざっと確認してみると成人向けの表現がありました
しかし購入を決めたのはやはりタイトルでした
穴と文字、それに血液が〝現れる漫画〟ってなんだよ……
どうにも奇妙な表現です
つまるところ、この本への筆者の期待は、謎のタイトルの解明にあったのです
ちなみに作者の駕籠真太郎のことも調べてみました
Wikipediaに記事が出来ていて、どうやら 次のような紹介がされていました
奇想漫画家を自称しており、エロ、グロテスク、猟奇、スカトロ、ホラーといったサブジャンルに留まらず、人間という存在を弄り倒す人体改造や人体破壊をネタに狂気的な世界を描いている。
駕籠真太郎 – Wikipediaより
「奇想漫画家」を自称する「狂気的な世界を描いている」とのことです
記事の下にはメタフィクション的な構成をもっとも得意としているとも書いてあります
ふむふむ、メタフィクションか
フィクションについてのフィクション
マンガについてのマンガ
なかなか小難しそうです

『穴、文字、血液などが現れる漫画』の内容
内容はやはりと言うか、さすがと言うか――突飛でした
エロもグロもあるのですが、それ以上にナンセンス味が強いのです
作者が発表してきたものからしていないものまでを収録してあるのですが、のっけからブッ飛んでます
巻頭に収録されているのは「バトル・ロ愛ヤル」という作品なのですが、設定がもうナンセンスです
以下がその設定です
東京湾沖に造られたこの人工島ラブラブ愛ランドでは各業界を代表する愛ちゃんが集められ
ナンバー1の愛ちゃんを決定するための死闘がくり広げられていた
お互い殺し合い生き残った者にのみナンバー1愛ちゃんの称号を手に入れることができるのだ
駕籠真太郎『穴、文字、血液などが現れる漫画』久保書店,2008,p5
卓球の愛ちゃんが出たり、テニスの愛ちゃんや水泳の愛ちゃんが出たりして、殺し合うわけです
ううむ、ワケワカラン……
とはいえバラエティー豊かな本ではあります
「駅前暗黒」という作品ではすべてを黒く塗りつぶし、黒い部分は作中人物にも読者にも何が何だか識別できなくするという実験的な手法で描かれています
はたまた「駅前半分」という作品では、〝半分とは何か〟ということを大真面目に検討してみせるなどしていて、やはりナンセンスなのですが、どこか読者の常識を攪乱してくれるステキな作品です

『穴、文字、血液などが現れる漫画』の理解
エロ・グロ・ナンセンスな作品として『穴、文字、血液などが現れる漫画』を読んでみると、タイトルの謎は文字通り理解されるように思います
穴を扱った作品もあり、文字すなわち書かれているものについてを扱ったメタな作品もあり、そして身を切れば出てくるような血液も描かれているのです
とはいえ興味深いのは作者の創作への姿勢です
巻末で、作者は作画的実験をしたと述べています
たしかに筆者がうえに名前を挙げた「駅前暗黒」や「駅前半分」などではそういう向きを認められます
作者の姿勢はマンガのネタの候補に挙がっていたものとして「韓国」「中国」「沖縄」があったと書いています
それらはしかし「記号化してネタにするには不謹慎すぎる」からと却下されたのでした
却下された際の理由は、『穴、文字、血液などが現れる漫画』を理解するための道筋をつくってくれます
ようするに、『穴、文字、血液などが現れる漫画』は、何事も記号化することによってエロ・グロ・ナンセンスなものへと変換できることを証明する作品なのです
ナンセンスはわたしたちの当たり前に使っている記号が、実は無意味だったのだと気づかせるためのワザです
本当は違うのだ、という真実を明かす手法、暴露のためのワザ――それがナンセンス
そのようなナンセンスのワザで記号化されたキャラクターは、あっさりと、元ネタとは違ったものになります
『穴、文字、血液などが現れる漫画』は、わたしたちが普段〝意味がある〟と思い込んでいるものの意味をあっさりなくしてみせる――そんな作品です

『穴、文字、血液などが現れる漫画』からの発展
『穴、文字、血液などが現れる漫画』という作品からどのようなことを考えられるでしょうか
まず穴・文字・血液という言葉の並びは、筆者には哲学や精神分析が想定する現象の3つの位相を思い出させます
- 穴は、わたしたちが到達不可能なものとしてのリアル
- 文字は、わたしたちが物事を認識するためのシステム
- 血液は、わたしたちが記憶することになるイメージ
あるひとつの現象には、現象としての奥行(リアル)と現象としての機制(システム)と現象としての映像(イメージ)とが同時に起こります
以上の、3つの位相が1個の現象には潜んでいるという指摘は、〝現れているもの〟が不可解だということを示唆します
現象の全貌は一挙に把握することはできないのです
『穴、文字、血液などが現れる漫画』もまた把握することができないワケワカラン作品です
そのワケワカラなさは、しかしわたしたちを魅了する根拠にもなります
あえて、そのようなコンセプトが込められた作品集なのだと見立てれば、『穴、文字、血液などが現れる漫画』という作品はとてもバラエティー豊かなだけではなく、哲学的や芸術的といった意味で〝深みのある〟作品なのかもしれません
また、『穴、文字、血液などが現れる漫画』は、記号化してネタにすることの楽しみを示してくれます
それはエロ・グロ・ナンセンスのおもしろさとも関わってくるでしょう
わたしたちは意味のあるなしを意識することなく生活しています
とはいえ、意味を意識することのない生活は記号的なものに頼っていないわけではありません
当たり前なものとなった動作や、道具の使用、それに言葉遣いにしても、それらはみな記号のやりとりです
たとえば 『穴、文字、血液などが現れる漫画』がそうしてみせるような〝記号化してネタにする〟という操作は、そのような当たり前なものもまた記号的なものなのだと改めて意識させてくれる効果があります
改めて意識された記号を、エロ・グロ・ナンセンスのストーリーに乗せて描くことで、実は自分たちの当たり前も〝当たり前ではなかったんだ〟ということを教えてくれるのですね
いわば、エロ・グロ・ナンセンスとして描くということは告発です
告発して、暴露する
当たり前は当たり前ではなかった、ということの暴露
この〝当たり前ではなかったんだ〟という気づきが、エロ・グロ・ナンセンス作品のおもしろさのひとつです
『穴、文字、血液などが現れる漫画』も、その線からおもしろがれる作品なのです

_了
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